13:語るゆびさき

わたしと義勇さんで使うように、と奥さまは二階のお部屋をひとつ貸してくれた。

床には鳶色の天鵞絨の布が敷かれていて、おおきな上げ下げ窓には同じく天鵞絨の生成り色をした窓かけが、透かし模様のはいった薄い布と重なって垂れ下がっている。
室内には、おとな三人ほどが眠れそうなほどおおきなベッドと、立派な鏡台、背の高い机がひとつと椅子がふたつ、凝った細工の洋服箪笥が置かれていた。

わたしたちはこの部屋を拠点として訪れる客人や屋敷内を探りつつ有事の際の避難経路と避難場所を確保し、煉獄さんと不死川さんはここからほど近いちいさな洋館を拠点として、屋敷周辺やこの界隈の聞き込み調査を行うという算段らしい。


義勇さんは藍色の浴衣姿でベッドに腰をかけて、今日の記録を手帳へ書き記している。
湯上がりの濡れたおろし髪が頬に張りついていて、その色っぽさにどきりとしてしまう。
なるべく意識しないようにと一度深呼吸をしてからすこし離れたところに腰をおろすと、ばねがきしりと鈍い音を立てた。

「疲れただろう。休むといい」

そう言って義勇さんは立ち上がる。髪の毛からぱたりとひと粒滴が落ちた。

「髪の毛、そのままだと風邪をひいてしまいます」

ベッドに座り直すよう促して、見た目よりもやわっこい髪の毛をタオルでわしゃわしゃと拭き直す。
こうしていると、こどものお世話をしているみたいだ。
刀を握り、鬼を斬る。斬らなければ殺される。
そんな世界に生きているひととはとても思えない。

「あの、夫婦のふりをすること、義勇さんは知っていたんですか」
「……手紙をやったときは知らなかった」
「もう。じゃあ今日知ったのはわたしだけなんですね」
「不服なら降りてもいい」
「いやなはずないです」

なるべくからっと、他意のないように答えたくて、上擦りそうになった声を抑えて告げる。
義勇さんはいやじゃないんですか、とはこわくて聞けなかった。

そのまましばらくは、どちらともなにも発さなかった。
わしゃわしゃとわたしが義勇さんの髪の毛を揉み乾かす音だけが響く。やさしいサボンの香りがする。

義勇さんとの無言の時間が、わたしは無性にすきだった。
あたたかくやわらかな澄んだ水に揺蕩うような静けさ。
なにかに急かされることもなく、ごくゆるく包まれているような得も言われぬ心地よさを感じるのだ。

ふと、義勇さんがわたしにもたれかかるように体重をかけてきた。
立ち膝をついていたわたしはそのままぺたりと座り込んで、義勇さんを後ろから抱きしめるようなかたちになってしまう。
ずっしりと心地のよいあたたかな重み。義勇さんの重み。ベッドが軋む。

「義勇さん」
「ここちよくて、眠くなる」
「頭を触られるの、わたしもすきです。なんだか安心して。この辺りをこうして押してあげるのも気持ちがいいですよ」

義勇さんの頬を手のひらで包みそのままそうっと自分のほうへ倒していき、膝に頭を乗せる。
耳を覆うように手のひらをあて直し、両手の親指を立てて、額からこめかみのあたりを位置をずらしながらゆっくりと押していく。
義勇さんはすうっと瞳を閉じて、されるがままでいてくれている。
長いまつげがつやつやとかがやいて、まるで人形のようだ。

「旦那さまがいるって、こういう感じなんでしょうか」
「お前は、結婚がしたいとは思わないのか」
「どうでしょう。だいすきな人とずうっと共にいられたらしあわせだろうなあ、とは思います。でも、自分が誰かからそんなふうに思ってもらえるっていうのは、想像がつかないから」

義勇さんは、と聞いてみたけれど、答えはなかった。

「寝るぞ」

むくりと起き上がる義勇さんにあわせて一度ベッドを降りる。
端と端に眠ればおとなひとり分くらいの隙間は空く、広いベッドだ。
義勇さんはうんと左側のほうへ寄ると、わたしに背を向けるように横向きに姿勢を変えた。
ふいにあまえてきたり距離をとったりするさまは、気ままな猫のようだ。


義勇さんは、わたしのことをどう思っているのだろう。
わたしは義勇さんがすきだ。
誰かをすきになったのははじめてだけれど、わたしにはこれが恋だとはっきりわかる。
しかしわたしが義勇さんに望むことは、共に生きていくこととはすこし違った。
できるだけ長生きしてほしい。
一日でも長く、しあわせに、健やかに、おだやかに、生きていてほしい。
わたしは義勇さんと会える偶のしあわせな時間のうちに、義勇さんの上に折り重なるかなしみをすこしでもほどければいいと思う。
義勇さんと出会うたくさんのひとが、そんなふうに、義勇さんのこころを軽く軽くしていければいいと思う。
でも同時に、そんなふうに余裕ぶったことを考えられるのは、わたしが愛されることを知らないからだとも思う。

もしも、もしも恋愛に於いて今以上にしあわせなことがあるということを知ってしまうことがあれば、わたしは今ある余裕の一切を失ってしまう気がしてならないのだ。


そんなことを考えているうちにすっかり目が冴えて眠れなくなってしまう。
左を向くと義勇さんの白いうなじが見えた。
なんとなしに寄り添うように近づいて、額をその背中につけてみる。
あたたかい。こわばった気持ちが、義勇さんに触れたところから波紋が広がるようにほどけていくのを感じる。
義勇さんはわたしが義勇さんに触れるのを拒絶しないし、わたしも義勇さんがわたしに触れるのをいつだってうれしく思う。
できるだけ長く、この距離のままいられたら。