18:天照る聖歌

お屋敷の大広間から裏山の方面へ出ると、そこにある小道から会堂に行くことができる。
使われなくなったものを土地ごと買い上げてお屋敷の傍らに今も残してあるのだという。
そのちいさな会堂のなかで、今日は煉獄さんとふたりきりだ。

当日騒動が起きた場合の避難場所として使用したいこと、導線や建物内の安全を確保する方法を説明すると、煉獄さんはうんうんと力強く頷いてくれた。
採光のよい空間のなかで、煉獄さんの太陽のような髪の毛がきらきらとひかる。
動くたびに宝石のようにひかりを反射して、あたりを照らしているようにすら見えた。
彼の持つ生来のかがやきを、わたしはすこし羨ましく思った。
うしろにある大きな十字架の荘厳さは煉獄さんによく似合っていた。

「冨岡とはうまくやっているか?あれは口数がすくないから、大変なこともおおいだろう」
「いえ、よくしていただいています」
「それはよかった」
「たしかに口数はおおくありませんが、言葉のひとつひとつにたくさんの思いが込められているのがわかるんです」

そうか、と煉獄さんは笑った。おひさまのような笑顔だった。
嵐を吹き飛ばすような明るさがわたしにはとても新鮮で、なんだかくすぐったい気持ちになる。
おだやかな昼下がりのうつくしい会堂で、やわらかなひかりに包まれて、明るいひとと過ごす。
この平和な時間のあいまにも鬼はどこかでじっと息を潜めて夜が来るのを待っているというのに、その事実がとても現実味のないことのように思えてしまう。

「冨岡にお前がいてよかったよ」
「義勇さんがいて助かっているのはわたしのほうです」
「出会いに感謝しなければな」

わたしが曖昧な笑みで返したから、煉獄さんはこの話の続きを飲み込んでくれたように見えた。
このひとは、一体どんな思いで鬼殺隊に身をおいているのだろう。
どうしてそんな風に笑えるのだろう。
しあわせを見つけるこつがあるなら、考え方の工夫があるのなら、それを教えてもらいたいと思った。
いつも膝を抱えているひとたちのために。たとえば、義勇さんのような。

「不安はないだろうか」
「……わたしも共に戦えればよかったと、そればかりです」
「剣を握るだけが強さではない。お前はおまえなりに皆の役に立てばいい。それが強さになる」
「わたしの」
「なにに負けてもいい。こころを強く持て。どんなにつらくともこころを守れ。お前はもっと強くなれる」

剣を握らないことを肯定する言葉のどれもを飲み込めないまま過ごしてきた。
同じようなことを言われても、こころが余計に閉じてしまうばかりであった。
煉獄さんの言葉は義勇さんの言葉とはまた違った不思議なあたたかさを孕んでいて、心臓の奥で直接響いたみたいにわたしのなかを駆け巡る。
わずかな隙間からひかりが差し込むようにわたしのこころを照らした。

「冨岡を守ってやってほしい」

煉獄さんはそう言ってまた笑った。
煉獄さんの言葉はきっと、わたしの向こうにいるほかの誰かに向けた言葉なのだと、なんとなく確信めいたものを感じた。
そう思うとなおさら素直に落とし込めるような気がして、わたしは聖母の像に、煉獄さんと煉獄さんのたいせつなひとの未来がしあわせであるようにと祈った。

こころを強く持つこと。こころを守ること。
義勇さんのこころを守ることができたら、わたしはとてもしあわせだと思った。
曇りのない笑顔が、わたしのこころをも晴らしていくようだった。