19:神風と臆病風

不死川さんは不機嫌そうに見えて、実は大抵の場合そうではない。
刺々しい雰囲気とひとを拒絶するような物言いで誤解されがちだけれど、面倒見はいいし、言い方がきつくとも言葉の中身はいつもやさしさに満ち満ちとしていて、その不器用さはすこし義勇さんに似ていると思う。
しかし今日は様子が違った。あからさまに苛立っている。
そしてその原因は、確実にわたしにあった。


「おまえ、冨岡とは結局なにもねェのかよ」

そう聞かれたのはつい先ほどのことだった。
いつものように不死川さんの傷を隠すために化粧を施している最中、窓の外へ視線をやりながら彼がぽつりと呟いたのだ。

「わたしたちは任務で夫婦をしているだけだから、不死川さんが思っているようなことはなにもないですよ」

そう返すと不死川さんはこちらを一瞥してまた視線を外へ移すと、しばらく黙り込んでしまった。
その得も言われぬ拗ねたような憂いを帯びたような表情が気になって、わたしもつい手を止めてしまう。

不死川さんの言っていることはよくわかる。
彼が興味本位やお節介ではなくて、完全な善意で言ってくれているということも、ようく理解できている。
しかし義勇さんへ思いを打ち明けるにはわたしはまだ未熟すぎる。
いつかはあいしていると告げたいけれど、たいせつなひとたちの後押しがあったとしても、今はまだ、どうしても、言えないのだ。

「手遅れになったって知らねェからなァ。お前らのどっちかが死ぬとき以外にだって、どうにもならなくなる可能性ってのは山ほどあんだ」

たとえば、なんらかの理由で会えなくなってしまったとき。
遠く離れたところに住むことになってしまったとき、義勇さんにお相手ができてしまったとき。
わたしは考えつくたくさんの事態を想像して口をつぐんだ。


不死川さんが言えなかった言葉やしてあげたかったことにこだわるのは、きっと不死川さんの人生においてのいちばんの苦しみと後悔がそこに眠っているからだ。
わたしたちは皆無意識のうちに、自分の成せなかった夢を他人に託そうとする。
そのひとのしあわせを願うあまりに、自分を不幸に縛りつけるかなしい出来事から遠ざけようとするのだ。
だからわたしは、不死川さんからこうして義勇さんとのことをせっつかれる度に、無性にせつなくて申し訳なくてしかたがなくなってしまう。


「わたし、そろそろ行きます」

不死川さんの過去になにがあったのか詳しくをしらない以上、不用意につつくことは憚られた。
わたしも義勇さんへの思いにはまだきつく紐をかけたままにしておきたい。
これ以上はなにも言えないと逃げるようにこの場を去ろうとしたとき、不死川さんの手が扉に手をかけたわたしの腕を取った。
肌と肌のぶつかる乾いた音が響く。

「あいつとほんとうになにもないって言うのかよ。そう言うなら、そう言い張んなら、おれは」

勢い任せにそのまま荒々しく抱き寄せられて視界がぐらりと傾いた。
不死川さんのくちびるが触れたのと扉が開いたのとは、どちらが先だっただろうか。
後頭部を支える荒々しい手がわたしの髪の毛を乱す。
噛みつくようなくちづけ。
必死で身をよじるも、抱かれる力が強すぎてまるで歯が立たない。
なにも言えない。息もできない。
不死川さんの熱い舌がわたしのくちびるを割って滑り込んでくる。
不死川さんの名前を呼ぶ声は義勇さんのものだった。
すぐ後ろにいるはずなのに、その音はずっとずっと遠くに聞こえる。

義勇さんの指先がわたしの腰元に触れた瞬間、不死川さんはわたしの身体をまるでごみでも放り投げるかのように義勇さんのほうへ突き飛ばした。

「返す」

一度どんと壁を強く叩くと、不死川さんは立ち尽くすわたしたちの横を突風のように通り過ぎていった。
あまりにも急なできごとと足りない酸素に、血が心臓がわたしの身体のなかでかっかと沸騰して暴れまわる。
義勇さんはわたしの腰を抱いたまま黙り込んでいる。顔を見ることはできなかった。