26:幸福の箱庭

鱗滝さんへは、わたしたちの関係についてはまだなにも言わないことにした。
義勇さんが柱になったこととお屋敷を構えたことを改めて告げ、そして、わたしもそこでお手伝いをするということ、当面はふたりで地に足をつけやっていこうと思っているということだけをそれとなく言い添えた。
鱗滝さんは、そうか、と噛み締めるように頷いたのち、ちいさく肩を震わせていた。
かつて柱として威厳を持たせていたであろう鱗滝さんは、義勇さんの前になるとありふれた一端の父親のようで、その素朴なあたたかさに胸がつまった。

「ふたりとも、顔つきが変わったな。いいことだ。感謝せずにはいられない、例えようもなくありがたい出会いのことを、ひとは運命と呼ぶ。ふたりで精進しなさい」
「はい」
「はい、鱗滝さん」


義勇さんがもらい湯をしているあいだ、鱗滝さんは重たげに膨らんだ長財布をわたしに持たせようとしてくれた。
光沢のある皮素材の財布はほとんど新品のようで、普段持ち歩いていないものだということ、すなわち、そのお金がなんらかの意図で貯めこまれていたものだということを物語っていた。
わたしは首をゆるく横に振った。鱗滝さんの乾いた手を握ると、目の奥がじんと熱くなった。

「いただけません。すくなくともわたしは」
「老い先短い者が持っていてもしかたがないだろう」
「いいものをたくさん食べて、ずっとずっと、健康でいてくださらなくては」
「ならば、孫の顔を見るまでは取っておくとしようか」

面の奥で、その表情がほころぶのを感じた。
最終選別を通過した唯一の弟子である義勇さんを、鱗滝さんはこころの底からたいせつに思っている。
そして傍らに立つわたしへも、いつも遜色なく愛情を注いでくれるひとだった。

間もなく、義勇さんが首に手拭いをかけた湯上り姿で戻ってくる。
おろした髪の毛からぱたぱたと落ちる雫が床板に飲まれていった。
目があうと、義勇さんはばつが悪そうに視線を逸らしてしまう。

「義勇さん、髪の毛」
「問題ない」
「だめです、ありますよ」

義勇さんは眉根を寄せてわたしの前ですこしだけ屈んでみせた。
髪の毛を拭いてくれという合図だった。
気まぐれにあまえてくる義勇さんが愛おしく思えてたまらなくて、両頬を手のひらで包むと、義勇さんはふと目を細めてやさしくほほえんだ。

ふたりとも火にあたりなさい、と言う鱗滝さんの言葉で、わたしたちは囲炉裏を囲むようにして座り、そのまま夜深くまで会話をした。
時折わたしの頭や手に触れる義勇さんは、これからの人生をわたしと共に歩んでいくのだということを、暗に鱗滝さんへ伝えているようだった。


はじめに寝落ちてしまったのは義勇さんだった。
まぶたにかかる前髪をよけて、起こさないよう、そうっと頬をさする。
義勇さんが安らぎのなかでわたしに身体を預けて眠ってくれることが、うれしかった。
これはつかの間の平和だけれど、いつかはこんな穏やかな日常をあたりまえにできる日が来る。きっと。そう信じている。

そうして、わたしたちの踏み固めた大地に芽吹く花々は後生まで咲き続け、その種子としてわたしたちはふたたび生まれ、めぐり会うのだ。安寧の世で。思い思いに花を咲かせて。