27:暁光にとける

義勇さんとわたしのなかで変わったこと。
わたしたちの帰る場所が同じになったこと、ためらいもなくすきと言えるようになったこと、後ろめたさを感じずに触れられるようになったこと、そして手紙をたくさん送ってくれるようになったこと。

家を不在にすることが多い義勇さんは、わたしがさみしくないように、たくさんのお手紙を書いてくれるようになった。
内容はとても簡素なものだけれど、義勇さんのわたしを案ずるこころを乗せたその手紙の数々は、わたしをいつもたちまちにしあわせにしてくれる。


今日は灰色の空から重たい牡丹雪がこんこんと降る、冬にしてはすこしあたたかい日だった。
蝶屋敷での仕事を切り上げて早くに帰宅したのは、手紙によると、今晩にでも義勇さんが帰ってくるはずだったからだ。
家じゅうを磨き上げておいしいご馳走を用意して、早くおかえりなさいと言いたくて、時間が経つのをじれったく思った。



「おかえりなさい、義勇さん。お疲れさまです」
「ただいま。起きていたのか」
「早く会いたくて。寒かったでしょう、鼻のあたまが赤くなってる」

義勇さんが帰ってきたのは夜も深い時間だった。
冷えた頬を包む熱をもっととねだるように、義勇さんはわたしの手のひらに頬ずりをする。
わたしが抱きしめるよりも先に、義勇さんの腕がわたしをきゅうと強く捕らえた。
だいすきなかおりすらもが冷えきっていて、わたしの鼻や肺をひんやりとさせる。

「どこかに泊まってしまって、帰るのは明日でもよかったのに」
「眠るのも休むのもここがいい」

そう言って手繰るように背中のあたりを掴む手のひらの力が、強かった。
わたしは鱗滝さんのように鼻が利くわけではないけれど、たとえば脳に直接届くようなこんなさみしさの感覚を、せつなさのにおいがする、というのだろうか。

「火にあたりましょう。お風呂も沸かしますね」



空が白みはじめたころ、わたしの寝巻きの衿元をなおして、義勇さんはぽつりと言葉をこぼした。

「鬼が憎いか」
「……鬼のいる世の中が憎いと思います。でも、鬼自体のことを問われているのであれば、一概にそうとは言えません。鬼ももとは人間で、わたしは、もしもたいせつなひとが鬼になってしまったら、そのときそのひとを憎めるとは思わないから」

今わたしたちを包むうつくしい暁光がもし義勇さんを焼くことになっても、もしもそんなことが起こってしまっても、わたしは義勇さんを恨むことはないだろう。
鬼になってしまう理由はひとそれぞれである。
わたしは、もしもわたしが鬼になることでしか義勇さんを救えないという局面を迎えることがあれば、もしかするとこの魂を鬼へと売り渡してしまうかもしれない。
鬼のいるこの世の中が憎い。
連綿と続くかなしみの連鎖を生むこの世の中が。
それでも、鬼にならざるを得なかったひとたちをひとくくりにして愚かで害悪であると憎むことはできないというのが、正直な思いであった。


義勇さんはわたしの言葉を聞いて目を細めると、くちびるの端に二度くちづけをくれた。
やわらかく押しあてられるぬくもりがここちよくて愛おしくて、離れていく熱を追って、わたしもくちびるを重ねる。
曲がり角を挟んで隣りあう義勇さんの部屋とわたしの私室からは、だいすきな中庭が見える。
新しく置いた石灯篭に、雪ぼうしが高く高く降り積もっていく。

「鬼になった妹と人間の兄を見つけた。独断で逃がし、先生へ紹介した。あの若い生命力が、こころの力が、ともすれば鬼を滅するひかりになると思ったからだ」
「それで、なんだか様子がおかしかったんですね」
「もしもことがあれば、腹を切る」

息をうまく吐き出せなくなって、時が止まったような気持ちだった。
わたしはそのまっすぐなまなざしを受けとめて重く頷くより、ほかなかった。
わたしの力の及ばないところで、義勇さんが死んでしまうかもしれない。
義勇さんがいくら強くとも、その強さの及ばないところで、鬼の存在によって。
その事実は重たく、すぐに笑って承諾できるようなものではなかった。
それでもわたしが頷かなければと思ったのは、苦しい未来を生む可能性を孕んだ道を、義勇さんが自らの意思で選び取ったという事実と、その選択をした彼自身のこころが、とても尊いと思ったからだ。


「もしもそのとき、彼女を殺すという選択をしていたら、義勇さんは後悔して、信じてあげられなかった自分を責めて、またこころを閉ざしてしまったかもしれない。わたしは、義勇さんが、誰かのことやその可能性を信じられるこころを持っているのがうれしい。その選択が義勇さんをいつか殺してしまうかもしれなくとも、わたしは、義勇さんが己のこころを殺す選択をしなくて、よかったと思います」


義勇さんの頬を、琥珀色のひかりが照らした。
きらめく暁光に蕭々と降る雪の影が混じってまだらになり、まるでわたしたちの人生のようだと思った。
雪はやがて溶けるけれど、ひかりは消えない。
春も夏も秋にも冬にも、朝になれば等しくわたしたちの元へ訪れる。

叱られることを予感したせつなげなこどものような面持ちで肩を落としていた義勇さんは、わたしの言葉を聞くと、風が吹けば消えてしまいそうなちいさな笑みを浮かべた。
わたしはその笑顔がなにものにも消されないよう、そっと頬を撫でた。
この選択が正しかったと思える日が、なるべく早く訪れますようにと、祈りを込めて、そっと。


義勇さんの腕に抱かれながら、わたしはその兄妹のことを思った。
ふたりきりで、どんなに心細かったことか。
出会ったのが義勇さんでどんなに救われたことか。

いつか長い夜が明けたとき、ふたりの世界に昇る太陽のあたたかなひかりが、義勇さんのこころをきっと照らしてくれるはず。
あたたかな腕のなかでまどろみながらわたしは、そんな願望じみたことを思った。
それは確信にも似た、確かな予感だった。