28:黎明へのはしご

あまりにも急なことすぎて、喪服を用意する暇がなかった。
参列者のなかで、喪服を着ている者と隊服を着ている者は、大体半々くらいだったと記憶している。
元々が喪服のようなこの隊服の黒さは、洒落のきかない皮肉のようだった。
わたしたちはいつなんどきでも、喪に服して生きている。


どうして、カナエさんでなければならなかったのだろう。
だからといってほかに亡くなってもいい誰かがいるわけでもないけれど、しかし、こんなのはあまりにも惨すぎる。

花のように笑い、春のようにあたたかなこころの彼女が、この残酷な世の中にとりわけ不似合いの彼女が、どうしたってこんなことに巻き込まれて身を滅ぼさなければならなかったのか。
鬼殺の道を選んだのが彼女の意思だったとしても、巻き込まれたという表現以外、わたしのなかには見つけられなかった。
わたしたちは選択肢を持たない。
そんなものはことごとく奪いあげられてしまって、今となってはもう、選び取れるものなど、ほとんど残されてはいないのだ。
もしもその限られた選択肢のなかで、この世を去るのがわたしかカナエさんかを選ぶ余地があったのなら、わたしは、わたしがいなくなるほうを選びたかった。
カナエさんは、もっともっと、たくさんの尊いものを残せたはずだから。


しのぶさんは、すっかり目つきが変わってしまったけれど、あくまで気丈に振る舞っているようだった。
纏う雰囲気を努めてやわらかく保とうとするその姿は、残り香を抱きしめる腕から、すこしでもカナエさんが溢れていかないようにしているように見えた。
叫び出したいほどにつらいはずのしのぶさんは、わたしを見つけると懇願するように呟いた。

「あなたは自分を責めがちだけれど、自分が死ねばよかったとは、絶対に思わないで。あなたには冨岡さんがいる。自分をいじめて、彼を困らせてはだめよ」

上手には頷けなかった気がする。
嗚咽に肩を揺らしているのか、頷いているのか、みんなには、区別もつかなかったと思う。
義勇さんがわたしの肩を抱く。
義勇さんの隊服の肩口は、すでにわたしの無数の涙を吸いあげて、重たく濡れていた。
葬儀のあいだ、義勇さんはなにも言わなかった。
わたしがはぐれそうになると名前を呼んでくれるのみで、あとはほんとうに、一言も言葉を溢すことはなかった。


蝶屋敷のなかは奇妙なしずけさのなか、それでもばたついていて、わたしもみんなに倣って必要なことをひとつひとつ片付けた。
動いているほうが都合がよかった。きっとみんなも同じ気持ちだった。

義勇さんの屋敷へ戻ったのは夜も深いころだった。
手伝いをしてくれていた子をふたり、二階へ泊めることにした。
中庭の見える硝子戸から昨日とまるで変わりない白い月を見上げるわたしの顎を、義勇さんの指が持ち上げる。
その瞳の色を確かめる間もなく、くちびるが重なった。
いつもとは違う、熱を貪るようなくちづけに頭がじんとしびれていく。

「義勇さん、だめ、声が」

わたしのいいところばかりをなぞる舌先に、足ががくがくと震えて、身体中じゅうの力がすべて抜けていく。
一歩二歩と後ずさりするわたしを、義勇さんは離さない。
壁に背中がぶつかって、どんと鈍い音が響いた。
足のあいだに滑り込む膝がわたしのまんなかを掠める。あ、と思わず高い吐息がこぼれる。

「ばれてしまうから、こんなときに、いけないわ」

押さえられた顎のつっぱる息苦しささえもが快感に変わって、わたしをあまく喘がせた。
壁にもたれてずるりと腰を下げると、義勇さんの骨ばった膝に跨るようなかたちになってしまう。
声にならない音を上げたわたしの身体は一度引き寄せられて、今度はやわらかい布団の上に組み敷かれた。

義勇さんとの夜はいつも穏やかで、こんなふうに激情にまかせて抱かれるのは初めてだった。
わたしも、今日は義勇さんを深くまで欲しくて、いやというほど感じたくて、たまらなかった。
わたしたちはふたりとも、生きているという事実を、そのありがたさを、とにかく身体の奥深くで感じたかったのだと思う。
いのちの儚さを、いつかわたしたちを別つ死を、亡くしてしまうことのせつなさを、おそろしさを。


「花が散るみたいに、あっけなくひとは死ぬ」
「……抱いてください。義勇さんしかわたしの身体を自由にできないと、そうわからせて」


結局、途中で涙をこぼしたわたしのあまりの泣きっぷりに、行為は中断せざるを得なかった。
義勇さんは、月明かりや世界から匿うようにわたしの裸体に羽織をかけると、かたく抱きしめてくれた。
こわいと思った。
ひとがこんなふうになんの前触れもなく消えてしまうものなのだということを、義勇さんとのあたたかな日々にかまけて、わたしは忘れかけていたのだろうか。
わたしを強く抱くこの腕が、明日もあるという保証はどこにもないというのに。明日もあいしていると言える保証はどこにもないのに。

「義勇さん、あいしています」

義勇さんは、とめどなく流れるわたしの涙のひと粒ひと粒を、指先やくちびるで拭い続けてくれた。
ぐずぐずに泣きじゃくるわたしに何度もくちづけをくれた。
背中をさすって、頬に触れて、涙にくちびるを寄せて、わたしの泣き止むまで、ずっとずっと、側にいてくれた。

硝子戸からひかりのはしごが差してきて、義勇さんのまつげを艶めかせる。
夜が明けたことになぜだか無性にほっとして、また一筋涙がこぼれた。
義勇さんはわたしを再び抱いた。先ほどまでの激しさはなかった。
いつものようにやさしく、やわらかく、わたしは抱かれた。

眠る前、わたしたちはふたりで中庭へおりて黎明の空を見上げた。
間もなく春が来る。
やがて蝶も訪れるだろう。

「義勇さん、もしも生まれ変われたら、わたしはまた、義勇さんといっしょに生きたい」
「見つける。必ず」

世界がどれだけ残酷でも、朝は来るし、春もなくなりはしない。
たとえばわたしがいなくなっても、日は昇るし、義勇さんの心臓は止まらない。
そしてきっと、義勇さんがいなくなったとしても、世界は終わらないし、わたしの心臓がいっしょに止まるようなことも起こりえないのだ。
わたしたちはどこまでふたりで行けるのだろう。
あと何度、朝を共に迎えられるのだろう。