29:花光る季節に

「炭治郎くんに会いましたよ」

そう告げると、義勇さんは目許をやさしく綻ばせた。

「どうだった」
「太陽のような子でした」
「そうだろう」
「わたしもたちまちに、あの子を信じたいという気持ちになりました。すてきなお弟子さんができて、よかったですね」
「ああ」

柱がふたりも動くことになった下弦の鬼との戦闘のあと、負傷者の受け入れを行った蝶屋敷内はひどくばたついていた。
このところは屋敷に帰られない日が続いたけれど、多忙な日々にも収束の目途がつきはじめた今日、しのぶさんの計らいにより帰宅を許可されたのだ。
今日は義勇さんが蝶屋敷を訪れる日だったため、わたしたちはそのままふたりで帰路につくことになった。
久方ぶりのふたりきりの時間にわたしの胸は弾むばかりだ。
何年経っても、義勇さんの隣にいられることは、わたしをいつもうれしくさせる。
愛は増すばかりで、わたしは今日も、このひとがいとおしくてたまらない。


台所に立っていると、義勇さんはよく後ろからいたずらを仕掛けてくる。
料理のことことと煮立つ音やにおい、まな板を叩く包丁の軽快な音、上機嫌に揺れるわたしの後ろ姿がすきなのだと義勇さんは言う。

足音が聞こえてきたから、わたしは振り向かずにそっと包丁を置いた。
長い腕がわたしをぎゅうと強く抱いて、耳元にくちびるが寄せられる。
低い声がわたしの名前をなぞるその音に、血の巡りがとくとくと早くなる。

「もう。来ると思っていました」
「味見」
「上物のお肉をいただいたんです。きっとおいしいですよ」
「お前の手料理はなんでもうまい」
「料理は愛情。わたしのごはんがおいしいとしたら、それは義勇さんをあいしているからです」

お前の愛はうまいよ、と言って義勇さんはちいさく笑った。
つられて笑うわたしの背骨が、義勇さんの胸板をぴったりとくっつけたまままるくなる。
首筋をくちびるでやわく噛まれてくぐもった笑い声がこぼれる。
こんなふうにじゃれつく姿など、きっと誰にも想像できないだろう。
わたししか知らない義勇さんの姿。このひとは存外、かわいらしいひとなのだ。

「お味見どうぞ」
「ん、うまい」

小皿に盛った煮物を頬張って、義勇さんは満足気に頷いた。

炭治郎くんは、義勇さんをとてもやさしいひとだと言って笑った。
義勇さんが炭治郎くんたち兄妹の行く末にいのちをかけたことを、申し訳ないと思ったけれど、涙がでるほどうれしくもあったと語って、そして、かならず妹を人間に戻して、義勇さんのいのちを、義勇さんとわたしへ返すと約束してくれた。
わたしと義勇さんの関わりがどうしてわかったのかと聞くと、鼻が利くためにおいでわかったのだと言われた。
信じてくれてありがとうございます、と言って朗らかに笑い、炭治郎くんは訓練場へと走っていった。
こころには、ひだまりのようなあたたかさが残った。


「わたし、いずれここで、こころの傷ついたこどもを診たいと思っています。鬼と関わって傷ついたちいさないのちたちが、すこしでも顔をあげて生きていけるように」
「向いてると思う」
「あと、炭治郎くんが、わたしのこと、義勇さんのにおいがするって」
「いいんじゃないか」
「とてもすてき」


義勇さんは、今度はわたしを正面からゆるく抱きしめてくれた。
調理中で手が汚れているから、抱き返せないかわりに、わたしは額を擦りつけるようにしてうんとあまえた。

たとえば時をさかのぼれて、このひとのおさないころまで行けたなら、わたしは震える肩を抱きしめて、そのこころを、わずかでも軽くしたい。
世界にあるのはおそろしいことだけではく、花がきれいに咲くことなんかを喜べるときが、きっといつか訪れるのだということを教えてあげたい。
それまでも、それからも、泣いたっていいのだと言ってあげたい。
すぐには信じられなくとも、きっといつか花芽吹く、種のような愛情を、そのこころに蒔いていきたいと思う。


青々とした緑のまぶしい季節。
中庭にはたくさんの花が咲いた。
椿が花を落として、やまぶきが枯れて、藤が咲いたあとは紫陽花がほほえんだ。
わたしたちが育んだ愛はやさしさとなり余裕となり、こころや花やひとを育てていく。
ふたりだけで手いっぱいだったころが、遠い昔のようだった。