30:日照り雨

煉獄さんの訃報を聞いたのは、久方ぶりに帰ってきた義勇さんと布団のなかでまどろんでいる最中のことだった。
その死は硝子戸の外にいる義勇さんの鴉から、あっけなく伝えられた。
死とは言葉にしてしまうと残酷なほどにあっさりとしていた。
わたしたちの思いをよそに、言葉の響きだけが足早に通り過ぎていった。

半身だけを起こしたわたしの腰元から掛け布団がずるりと落ちて、情けない衣擦れの音をあげる。
朝に弱いはずの義勇さんはすっくと起き上がり、しずかに肩を上下させるばかりのわたしをあやすように抱いていくれた。
言葉はでなかった。
義勇さんの胸板や背中や手のひらが熱かった。
いのちのあたたかさはわたしをすこしだけ安心させた。


煉獄さんがくれたいくつもの言葉や、太陽のようなこころや笑顔を思い出す。
記憶というものは美化されるばかりだ。
わたしはこれから、うつくしくなっていくばかりの死者たちをこころに住まわせながら生きていく。
死者のなにものにも代えがたいうつくしさは、ときにはわたしの背中を押し、ときには不器量なわたしが生き残り息をしていることを責めているようにも思えた。

「……義勇さん」
「善良な人間から死んでいく」
「それでも、生きてください」
「……わかってる」

生きてほしいと思うのは呪いだろうか。
ふたりで生きていきたいと思った。強く生きていきたいと思ったのに、それは間違いだったのだろうか。
わたしたちが生き残る理由はどこにあるのだろうか。
多くのひとを導くのではなく、ふたりで支えあってようやく立っているようなわたしたちが。


言葉を交わすより熱を交わすより、食事をしたいと思って、わたしは台所へ向かった。
涙がしずかに頬を濡らしたけれど、しゃかりきに支度を進めた。
調理中となると決まってあれやこれやとわたしに構おうとする義勇さんは、冷たい井戸水を湯呑に汲んできてくれて、そのついでに一度くちづけをくれただけだった。


漬けていたお魚と玉子を焼いて、ごぼうのきんぴらとにらのおみそ汁と、大根のお新香をお膳に並べた。
わたしたちはほとんど無言のまま黙々と箸を進める。
愛するひとと摂る食事はこんなときだっておいしくて、こころを満たしていく。満たされる器があるのは、生きているからだ。
涙があふれて止まらなかった。
誰かたいせつなひとが亡くなるたび、わたしたちは滑稽でもなんでもいいから、生きていることを確かめようとする。


「指令が下った。昼には発つ」
「……はい」
「苦しければここを離れてもいい。お前なら、生きていく手立てがほかにもあるだろう」
「それは、義勇さんにわたしは重荷ということですか」
「……いいや。逆だ」
「……おむすびを、たくさんこさえます。お腹が空くといけないもの。帰ってくる日には義勇さんのすきなものをたくさん作るから、いつもみたいに、お手紙で知らせてくださいね」


愛するひとの死への恐怖心は、共に生きると決めたあの日から確かにおおきく膨らんで、ときにわたしのこころを蝕んだ。
身近な人々に足音もなく忍び寄る死の数々は、覚悟という覚悟を決めきったと思っていたあの日より、わたしを怯えさせた。
たくさんの死を見てきた。すべてをわかった気でいた。
しかし、しあわせになればなるほど、義勇さんを近くに感じれば感じるほど、死への恐怖心はおおきくなり、わたしはより過敏になるのであった。

「古傷は雨で痛むのに、こころはときにお日さまで痛みますね」

たいせつなひとを失っても、空は残酷なほどに晴れ渡る。
世界はわたしたちに寄り添って泣いてくれなどはしないのだ。

「なるべく早く帰る」

伸びてきた両腕に身を任せて、わたしはその胸にすっぽりと抱かれた。
よく晴れた日の日陰のような、すこし冷たく濡れたにおいがわたしを満たしていく。


なにに負けてもいい。こころを強く持て。
どんなにつらくともこころを守れ。
わたしはもっと強くなれる。
わたしは、煉獄さんの言葉どおりに生きてこられただろうか。
義勇さんとのなりゆきも報告できないまま、わたしたちはもう永遠に会えなくなってしまった。

煉獄さんに弟がいることを知ったのは、洋館への潜入任務を終えたしばらくあとのことだった。
戦えないわたしの先行きをやさしく案じた煉獄さんは、わたしを通してきっと、弟さんのことを見つめていたのだろう。

天照らす炎のようなひと。
なにを思って、沈んでいったのだろう。たいせつなひとを残して。