31:野駆ける新風

義勇さんは屋敷の裏にちいさな二階建ての病院を建ててくれた。
西洋の建築法を取り入れた建物は要所要所がなんともハイカラで、かわいらしくこぢんまりとしたお城のようだった。白の漆喰と深い黒茶色の幕板や雨どいとの、ぱっきりとした色の差がお洒落で、わたしはひと目ですきになった。

ひとり体制で受け入れられる人数は多くない。時折人手を借りつつ、一名から四名程度のこどもを匿い、読み書きや炊事を教えたり、わたしの経験したことや見てきたことを話しながらこころの回復の経過を見守った。
生きるちからを取り戻したこどものなかには、そのまま平穏な日々のなかに帰っていくものもいれば、入隊を目指すものもいた。入隊するもののほうが、若干名、多かった。
回復しないまま親戚や里親に引き取られていくものもいた。
迷ったまま入隊を決めるものもいた。
わたしは柄にもなく先生などと呼ばれていて、直接こどもたちと会うことはほとんどないけれど、義勇さんのことは皆「冨岡先生」と呼ぶのだった。


屋敷へ戻ると、玄関のたたきにきれいに揃えられた見覚えのない雪駄が置かれていた。
鼻緒が赤かったけれど、おおきさを見る分に、おとこのひとのもののようだった。

参加しないと突っぱねてしまった義勇さん以外は、現在、柱稽古の真っ最中である。
わたしの説得ではてこでも動かなかった義勇さんも、ようやく参加する気になったのだろうか。
とにもかくにも、お客様なんてめずらしい。
夕食にはなにをこしらえようかなどと考えているうちに、ぱたぱたと近づいてくる足音と廊下の角で鉢合わせになった。
緑と黒の市松模様の羽織に赤みがかった墨色の髪。炭治郎くんだ。
いつの間にか後ろにいた義勇さんに肩を掴まれて振り返ると、見たこともないくらいに困惑しきった表情をしていたものだから、わたしはくすりと込み上げる笑いを抑えることができなかった。

「いらっしゃい、炭治郎くん。ゆっくりしていってね」

詳しいいきさつを聞くのはやめにした。
差し入れのおむすびやお団子を持っていくとき以外は顔を出すのも控えて、夕食やお湯の用意が済んだときも、声をかけるだけに留めた。
近くを通りがかるたび、炭治郎くんのよく通る明るい声だけが聞こえてきた。



「義勇さん」
「……疲れた」
「ひとと信頼を築くというのは、元来疲れるものなのです」

お風呂に向かう炭治郎くんと入れ違いでお膳を下げにいったわたしの肩に額を乗せ、義勇さんは肩を落としてうなだれる。
体重をかけられてほんのすこし仰け反りながら、わたしは義勇さんの頭をよしよしと撫でた。義勇さんは応えるように低く唸る。
いつもは気まぐれな猫のような彼が、おとなしい犬のようになってしまった。しょんぼりと下がったしっぽまで見える気がする。
ちいさな罪悪感が生まれては、新しい風に吹かれてあぶくのように消えていく。

「だいすきですよ、義勇さん」

だいすき。
だいすきなあなたのよさを、いつかたくさんのひとに知ってもらえたらうれしい。

背中をまるめてわたしに頭を預ける義勇さんは、まるで怯えるこどものようだった。
義勇さんにとって、他人と関わることや自分を語ることは、深く根付いた劣等感を刺激する行為に等しい。
しかし、ひとりで泣いていたところから、もう随分と遠くまで歩いてきたのだ。

「……自信がない」

低い呟きはわたしの胸元でちいさく響き、こころをびりりと震わせた。
これはほとんど願望まじりの憶測だけれど、わたしは炭治郎くんの訪問や今度の柱稽古は、義勇さんを変えてくれる好機になると思うのだ。
あのころよりも強くたくましくなった自分に、たくさんの愛を向けられた自分に、気がついてほしい。
前進するたび、無条件にあいされていたやさしい日々からは遠のいていく。
強くなることも名をあげることも、たとえば財産を手に入れることだって、しあわせに直結するとは限らない。
変わることをこわいを思うわたしが、義勇さんの変化を望むのは浅ましく、残酷なことかもしれない。

しかし、変わっていくべきなのだ。わたしたちも。
たくさんの尊いいのちのおわりを見送ったわたしたちには、きっとまだ、成すべきこと、目を向けるべきことがたくさんあるはずだ。


わたしはおおきな背中をやさしく撫でながら「だいすき」と繰り返し口にした。だいじょうぶだとかがんばれと言うのは無責任すぎるから、せめて愛を伝えたいと思った。

高く昇った太陽から吹くひかる風が扉をたたくから、どうかすこしずつでも、顔を上げて歩いて行ってほしい。
たとえ誰を失っても、わたしを失っても、強いまなざしで世界へ舞い戻ってゆけるように。
変わっていくべきなのだ。
世界があなたを必要としているから。