33:あなた

わたしは、義勇さんのことならきっとなんだって許せてしまうのだと、そう思っていた。
だって事実、今まで義勇さんのことで許せなかったことなど、ただのひとつもないのだ。
しかし今度のことは違う。
許容できないと、そう言うよりほかに言葉は出なかった。
怒りでも落胆でもなかった。やるせなさと表現するのとも違った。
許せない、と思った。
なにをとはわからなかった。

義勇さんはわたしに許しを求めていたかもしれない。これまでのように、それでもいいよ、と、わたしが頷くことを。しかし、どうしたってできない。できないのであった。

「そんなのいやです……」

譫言のように繰り返すわたしを、義勇さんもすぐになぐさめてはくれなかった。
わたしのこぼすちいさなわがままのすべてを叶えてくれた義勇さんも、今回ばかりは「わかった」とは言えないようだった。


その日わたしは「痣の発現した者」の寿命を聞いた。
二十五は迎えられないというのだ。
柱稽古のいちばんの狙いは、痣を発現させることである。詳しくはわからないけれど、己の潜在能力以上のものを引き出すためのたいせつな歯車のようなもので、鬼の抹消のためには必要不可欠であると考えられている。
柱のなかには既に取得した者も数名いた。義勇さんも炭治郎くんも皆、一丸となってそこを目指しているというわけだ。

もし、運命ではなく、努力や才能や強さがその現象を引き起こすならば、義勇さんは確実にその呪いを受けることになるだろう。
出会ってから今日までの歳月よりもずっと短い時間しか、もうわたしたちには、否、義勇さんには、残されていないかもしれないというのだ。
この際わたしのことなんかはどうだってよかった。
今すぐに会えなくなってもいい。
今日で最後でいい。それで義勇さんが生きてくれるなら。生きていてくれるなら。

わたしはわたしのできることを考えた。なにをしたらいい、わたしがなにを失えば義勇さんが生きていられるのだろうか。
しかし、たとえわたしがどんな責め苦に遭おうとも、それは義勇さんのいのちには直結しないのであった。わたしはつくづく無力だった。


「すまない」
「謝られてもどうしようもないです。義勇さんが悪いわけじゃない」
「つらいなら」
「いっしょにいることがつらいわけじゃありません」
「……なまえ」
「怒りたいわけじゃない、困らせたいわけでもない。嫌いになられたってかまわない。ただ、もう、どうしたらいいかわからないの、なんて言ったらいいか、わからないの」


義勇さんは、わたしを見つめて、ただ申し訳なさそうにしていた。
痣の出た者は二十五手前で命を落とす。
柱たちや、稽古に励むほかの隊員たちは、この事実をどう受け止めているのだろうか。
名誉の死とでも思うのだろうか。そうなのだとしたらばかげている。
世には帯刀禁止令が敷かれた。斬らねば生きていかれない時代は終わったことになっている。時代錯誤もいいところだ。
そんな美徳でうっとりできるのは、いつか生まれてわたしたちの物語を伝え聞く、のちの世のひとたちだけである。


しかし、わたしとて自分が剣術に長けていたならば同じように痣の取得を目指したのだと思うし、そのことに対して、きっと誰の存在があったとしても、迷いはしなかったのだと思う。わたしたちには、迷うという選択肢など残されていないのだ。
ほかのすべての道を絶たれて、あたかも自ら選んだかのように錯覚させられている。
あたたかな未来ややさしい未来はすべて夢まぼろしで、霞を掴むように現実味のないこと。選び取るに足らないうたかたの幻想。そういうことなのだ。
たくさんのひとの思いを継いできた。
無駄にしてはいけない。同じかなしみを生んではならない。終わらせなければならないのだ。しかし、しかしだ。


「いやです、義勇さん、そんなのわたしいやです」
「なまえ……」
「もう行かないでほしいです、どこにも」
「なまえ」
「死なないで、死にに行かないで」


鼻の奥がじんわりと熱くなって、ああ泣いてしまうと思ったときにはもう涙がほろほろと溢れて、すでに顎のあたりで大渋滞を起こしているところだった。
義勇さんは肯定も否定も謝罪もせず、なかば突進するようにその胸に両手をついたわたしの腰をしずかに抱いてくれた。
しかし、そんなことをしてほしいわけではないのだ。
叱りとばしてでもくれればよかったのだ。こんなことも我慢できないのかと、ひとでなしだと、叱ってくれればいいのに。
こうなってしまってはもうなにもかもが気に入らなくて、こんな気持ちははじめてで、頑張ってくださいとかわいらしく言えたらよかったのに、わたしはただ泣きじゃくりながら義勇さんの胸元を力なく叩いた。何度も。ばかみたいに名前を呼びながら、何度も叩いた。
嗚咽するたび、わたしの口元で義勇さんの名前がちぎれた。羅列するただの音のようにばらばらになった。


「……か、覚悟はできているつもりでいたんです。でも、全然、だめですね。わたしは愚かです。義勇さんに行ってほしくない。死ぬための努力なんてしてほしくない。ほかの誰が死んでしまっても、あなたにだけは生きていてほしい。生きていてほしい、それが義勇さんの願いと違ったとしても。ほんとうは、腹のなかでこんな勝手なことを考えているような人間なんです。たとえこのままふたりでどこへ落ち延びたとして、後悔ばかりでゆめゆめ生きたここちもしないでしょうに。それこそ、死んでいるかのように。でも、じゃあ、どうしたらいいのでしょうか」

「黙っていることもできた。そうしなかったのは、いずれお前の耳に入ることを危惧したからではなく、そうして理不尽だと言ってほしかったからなのかもしれない。おれたちのかわりに」

「義勇さん……」

「稽古をやめることはできない。無論、責務を投げ出すことも。おれのいのちがどう扱われようと、今更なにかを変えることはできない。ただその重さを、お前だけがわかっていればいい」


勝手でごめん、と義勇さんは呟いた。
おおきな時代の渦にのまれて、それでよしとされるとを理不尽だと叫ぶこと。なす術もなく流されていくことを残酷だと思うこと。わたしのいとしいひとは、そんなことしか望めないというのか。

わたしは、こぼされた本音のほんのひとかけらごと義勇さんをかたく抱きしめたまま、陽の落ちるまで、ただじっと動かずにいた。
わたしの嗚咽は義勇さんの胸のなかに消えていった。
こうしていると、世界はわたしたちふたりで完結しているかのように思えて、ままならない現実のすべては夢であるという気がした。
頭を撫でる手のひらがやさしかった。世界を救う手のひら。わたしだけのものじゃない。