37:光芒

はじめて会ったとき、わたしたちはまだ、ほんのこどもだった。
月の下でおびえていた。宍色のひかりを見た。彼はまぶたを閉じていた。
月夜を飛び回る宍色の糸が、わたしたちをかなしい運命もろともきつく絡めとった。

彼ははじめ、臆病の色を隠さないこどもだった。
わたしは彼のその正直を、まっすぐを、生やいのちの象徴としてたいせつにしていたのかもしれない。こころに抗いいじらしく生きようとする身体に、その若く強い生命力に、なにか希望のようなものを感じていたのかもしれない。
そのときわたしはまるででくのぼうのような人間で、こころにも身体にも、わたしじゅうどこを掘ったって、やるせないかなしみしかなかったから。


生きることに目的のなかったわたしは、彼のように、燃えるように誰かを思えるひとや、なにか目的や強い信念をもって生きるひとに憧れていて、そのひとたちのなかに自分自身の生きる意味を見出そうとしていたのだと思う。
自分のためになど、到底生きてゆけそうもなかった。

もちろん、彼のかなしみに寄り添いたいという気持ちも多いにあった。
今まで注がれてきたであろうたくさんの愛が渦を巻いて彼を絶望のふちへ運んでしまうのを、なんとかして阻止したいと思った。

彼への気持ちは、透明な慈愛と手前勝手な利己主義的思考との二色で出来ていた。
透明はなにかと混じると色かたちをなくしてしまうから、あのときの自分がほとんど利己で動いていたのかと問われると、わたしはそれを強く否定することはできない。
誰かのことを考えているほうが、身体を動かしているほうが、都合がよかったのだ。

義勇さんも、わたしのそんな醜さを認めたうえで黙ってくれていたのだろう。だからこそ、あんな荒くれかたができたのだと思う。

わたしたちは再び顔をあわせるようになるまで、ついぞ満足に言葉も交わさないままだったけれど、お別れのときに彼のゆくすえが愛としあわせに彩られるようにと祈った気持ちは、水のように混じり気のない、純粋な思いだった。



「みょうじさん、水柱さまの利き腕が……」

「目の前の負傷者に集中して。あのひとはだいじょうぶ、どんなかたちになったって、生きてかえってくる」

「でも……」

「わたしたちはわたしたちの役割をこなすの。わずかでもお役に立てることをするのよ。そうでなくちゃならないのよ」

彼女はそれきり口ごたえをしなかった。わたしの頬や顎やまぶたを拭いてくれた。
次から次へとこぼれるので、彼女のひと撫でふた撫ではあまり意味をなさなかったけれど、ありがとう、と思った。喉が震えて声にはならなかった。

わたしたちの前には極めて優秀といわれていた隊士が横たわっている。とくとくと血を流していたけれど、今はもう、外へ寄越せるものはなにもないといったふうで、しんとしずかにしていた。



義勇さんは、迷子のようなわたしを拾い上げてくれた、迷子のようなひとだった。
わたしたちは迷子どうしで帰る場所を築きあげ、ふたりいっしょに迷子をやめた。

無骨な言葉をほどいたときに残るこまやかなやさしさが、頬を撫でるようなまなざしが、ときに多弁な指先が、わたしはだいすきだった。

飲み込みやすいかたちのやさしさがだいすきだった。
わたしを卑屈にさせない水のようなやわらかさで、わたしを恐縮させない静けさで、そうっと懐にすべりこんでくるようなやさしさが。

見つめると言葉が聞こえてくるような気がしたから、瞳を覗き込むのがすきだった。
困ったように目を逸らすのも、眉尻を下げてちいさく笑うところも。くらしを共にするようになってからは、目をすうと細めてくちづけをくれたところも。



「水柱さま、生きていらっしゃいますよ、生きていらっしゃいます」

「そうですね、生きています」

「自分たちもあちらへ参りましょう、お達しが。生き抜きましょうね、みょうじさん」

戦闘に向かった隊士も前線で看護にあたっていた隠も大勢が死んだ。
いよいよ、動けるならば前線へ、とわたしたちへも招集がかかった。
彼女に励まされて、わたしはまるで看病されているかのようだった。
義勇さんを気にするこころが彼女に筒抜けであるということが情けなくてしかたがなかった。


義勇さん。
わたしをいつもたいせつにしてくれた。あいしてくれた。
義勇さんにとって、わたしをあいすること、即ち他人をあいすることはきっと、とても勇気の要ったことであったと思う。
なにかを手に入れるということは、同時に、手放してしまうときのおそろしさも請けあうということなのだ。
わたしと共に生きると決めたとき義勇さんは、わたしを理不尽に奪われることや、わたしを庇って自らがいのちを落としてしまうこと、そしてわたしまでもが彼のために死んでしまうかもしれないということという、あらゆる悲劇の可能性をも、そのおおきなこころで請けあってくれたのである。
それがたいせつなひとをなくし続けた義勇さんにとってどれだけ重たい決断であったことか、わたしなんかには到底はかりしれないことだった。


たくさんの音と声が交錯するなか、わたしたちは駆けた。
治療を必要とする者がうざうざと転がっていて、目指す前線は遠かった。地獄のようだった。けれども、朝陽がわたしたちを迎えに来ていた。黄金色の朝焼けが目に染みた。


どっと歓声のようなものが聞こえてまもなく、戦闘のおわりとわたしたちの勝利は、音としてわたしたちの頭上から降ってきた。
死と同じく、気の遠くなるほど長い年月をかけた戦いの終息さえもが、音になってしまえば淡泊だった。
すべてが夢のなかの出来事のようで、抱えきれない感情に飲まれるまま、わたしはただ茫然と涙をこぼすしかなかった。

隠のひとりに呼ばれるままによたよたと歩いていくと、大通りへ続く路地の出口あたりに村田さんが立っていた。彼はこちらに気がつくと駆けつけ肩を抱いてくれて、そうしてひとだかりのなかへわたしをやや強引に押し出してくれた。

揉まれるままでたらめに前へ進み人垣を抜けたその先で、幾重にも連なる細く薄い黄金の光芒を一身に受け、義勇さんは座っていた。


「義勇さん」


義勇さんはこちらを振り向くと驚いたようにすこし目をまるくして、そしてまなじりを下げてやさしいほほえみをくれた。

「ただいま」

「……おかえりなさい。おつかれさまです」

こんなかなしみが早く終わればいいと思っていたのに、平和は途方もなく遠く無縁なもののように感ぜられて、いつも具体的な想像はできないままでいた。
今も、訪れた平和がわたしたちのもとに留まってくれているのか、手のひらのうちにあるのかどうかは目に見えなくてよくわからなかった。
それでもこのひとが鬼のために血を流さなくてもよいのだということは、皆の喜びようから見て、確かなようだった。平和はたしかに、ここにあるようだった。

「……飯の支度を手伝えなくなった」
「そんなこと、いいんです」
「しっかりと抱けなくなった。お前はいつも危なっかしいのに」
「手を繋いでいてくれれば、わたし、じょうずに歩かれます」
「すまない」
「生きていてくれて、ありがとうございます」
「うん」
「義勇さんが、義勇さんが死んじゃったら、わたし生きていかれないと思った。神さまをだいきらいになるところだった」
「うん、なまえ」

わたしは義勇さんのすぐそばにぴったりと張りつくように座りこみ、おさないこどものようにみっともなく声をあげながらわあわあと泣いた。
やがてわたしが泣き止むころ、うつらうつらとしはじめた義勇さんは、わたしの頬へこっそりくちびるを押しあてるとそのまま肩にもたれてまぶたを閉じてしまった。しずかな寝息がわたしをほっと安心させた。


義勇さんが運んでくれた朝が、わたしたち皆を包んでいた。
かなしみにくれた義勇さんの守った野花が咲き広がり、奇跡を手繰りよせたのだ。
ほろほろとまた性懲りもなく流れてきた涙が義勇さんの髪を濡らして、玉虫色にかがやかせた。
深い花のかおりと共に吹く朝陽を孕んだ風の、得もいわれぬやわらかさに、わたしの意識もゆっくりと沈んでいった。
因果のほどける音がする。
おそろしい夜はもう来ない。