38:帰郷

床数と治療のことを考慮して、重傷者のほとんどは蝶屋敷へと運ばれた。しのぶさんがいなくて勝手のわからないことがまれにあったけれど、それも解決できぬほどのことではくて、日々の仕事は万事順調に進んだ。
わたしのところで受け入れていた患者もほかの屋敷で世話をされていた者も、ほとんどが蝶屋敷へと移管され、すべてが収束にむけて、ゆるやかで、それでいておおきなうねりに飲まれて流されているようだった。

「なまえさんはこれからどうするんですか?」

「ううん、どうかしら。まずは、戦闘で家族を失ったひとや生活がおおきく変わってしまって困っているひとの手助けがすこしでもできたらって思ってるよ。戦いが終わったからといって、すべてのかなしみが終わるわけではないから。炭治郎くんは?」

「おれは生家に帰ります。禰豆子とみんなを連れて」

「長男だものね。わたしもたくさん人手を集めて、かかりきりにはならないつもり。これから数年のあいだは、すこしのんびりしていたいなあ」

「やっとふたりでゆっくり過ごせるんですね。義勇さん、うれしいだろうな」


琥珀色の日照り雨の降る大安の日に、義勇さんとわたしは揃って屋敷へ戻ることになった。
傘はわたしが持った。義勇さんは腰を抱いてくれた。
細かなしぶきはそのひと粒ひと粒がかがやきを孕んでいた。ひかりの粒子は触れたのもわからないくらいのやさしさで、絶え間なくわたしたちへ降り注いだ。
雲の上からしあわせが舞い降りてきているみたいだった。

「髪を切ろうと思う」
「……わ、わたしがへたくそだからですか?」
「確かにつっぱるが、別にそういうわけじゃない」

義勇さんはおかしそうに口許を綻ばせた。
わたしは義勇さんの顔と妙にきっちりとした後ろ髪とを交互に見つめる。
どうしても丁寧に扱いたくなってしまって、櫛でいいだけ撫でつけたあとに固く結ぶわたしのやり方では、たしかにこれまでとはすこし違った雰囲気に仕上がってしまうのだ。
違うよ、と言って義勇さんは笑った。
わたしは義勇さんの長い髪が、義勇さんのかたちを作り上げるもののなかでもとりわけだいすきだったからかなしかったけれど、同じように笑って頷くことにした。
義勇さんが笑うと、わたしもうれしい。
義勇さんが笑えるようになって、わたしはとてもうれしい。

「うなじにうんと頬擦りします」
「覚悟しておく」

「鱗滝さん、もう宿に戻られているかしら」
「多分」
「お呼びしたいです」
「明日にしよう。今日はふたりでゆっくりしたい」
「すっかりあまえ上手さんになって」
「おかげさまでと言うべきか」
「帰りましょう。わたしたちのおうちへ」

「なまえ」

義勇さんの左手に制されて傘をおろす。
琥珀色のひかりに祝福されながら、わたしたちは一度やわらかなくちづけを交わした。
ひかりのしぶきが前髪や頬をそっと濡らした。

義勇さんは、この終息になにを思うのだろう。
こればかりは瞳を見つめても推し量ることができなかった。
埋めようのないかなしみと、折り合いをつけることができたのだろうか。
晴れやかな表情にかおるせつなさは、もう義勇さんを苦しめたりはしないのだろうか。
深いかなしみの底に呼ばれてしまったりはしないだろうか。

すべての祈りは叶わなかった。
拾い上げてもらえずに死んでいく願いをいくつも見た。
しかしわたしは祈らずにはいられない。
これから義勇さんに訪れる日々が、選べなかったしあわせの分だけ、どうか極上の、やさしいものになりますようにと。

「義勇さんだいすき」
「あいしてる」

どうかたくさんの笑顔に溢れる日々になりますようにと。多くを望みはしないから、わたしの宝物を、わたしのなによりもたいせつなひとを、せめてそのときまで、どうか、どうかと。