4:沈溺

女神のようなひとだなあ、と思った。
額に当てられた手のひらから、お天道さまを彷彿とさせる、圧倒的な癒しのぬくもりを感じる。

全身に負った傷は深く、正直、今回ばかりは死んでしまうのだと覚悟した。走馬灯だって見た。
かろうじて生き残りはしたものの、その傷が痛くて痛くて夜も病んでしかたがなく、今度は不眠気味になってしまったのだ。しかし、痛みと戦うばかりの眠れない日々は彼女のおかげで終わりを告げる。

「お久しぶりです、村田さん」

彼女はベッドの横の椅子に腰を掛けると、おれの額にちいさな手のひらを乗せた。
そのありがたい重みとあたたかさに恍惚としているうちに、すべての感覚がはらはらとほどけて鈍くゆるくなっていき、気がつけばすっかり眠りおちてしまったようだった。
おやすみなさいというあまい声が、浅い眠りの海のなかに、しずかな波紋を残して沈んでいった。


選別のとき以来、すれ違うことはあれど話したことはなかった彼女のことは、時折噂で聞いていた。
花柱とその妹さんに稽古をつけてもらった子だが、剣士としての腕は振るわない。
己の神経を這わして物体や人体の回路に作用することでそれらをほどく力があるらしいが、対象のしくみを理解していないと使えないことや、作用するまでに時間を要すること、対象の抵抗に効き目がおおきく左右されることから実戦向きではなく、主に蝶屋敷での簡単な看護や薬剤開発などの手伝いをしているらしい。
痛みも死への恐れもなにもかもがほつれた布をほどくようにほろほろとかたちをなくしていくのは、得も言われぬ快感なのだと、浮き足だった様子で帰ってきた同僚を見たことが何度かある。

噂に違わぬ不思議な体験だった。
快感とはまた違ったかもしれない。
すべてが無に還っていくような、そんな感覚だった。
こんなふうに死ねたらしあわせだと、ぼんやりとした意識のなかで、そう思った。


「気がついたんですね。気分はどうですか」
「ああ、えっと、久しぶりにちゃんと眠った気がします。近ごろは寝てるのか失神してるのかよくわかんないような感じだったので」

久々に気分がよくなってなんでもかんでも喋りたくなり、彼女が今も隊服を着ているのはなぜなのか、ついぽろっと聞いてしまいそうになった。
どうして隠や看護師にならないのか。
現場に出ない隊員もいるなか、どうして今も剣を取るのか。
剣術がだめだって、あなたにはほかの道もあるというのに。

選別の解散式で絶望に打ちひしがれる姿を見たとき、彼女が今後鬼殺の道を歩むなんて無謀だと思った。
血に濡れてぼろ布のようになった死んだ少年の着物を両手で抱いてふるふると震え泣く彼女は、今にも自決してしまいそうな面持ちだった。
あたりまえだけど、今の彼女はあのときよりも顔色もよく、本来の性分の清らかさを取り戻したようにおだやかでたおやかだ。
しかし、ひとたびあの夜のことを口にしてしまえば一気にこころを奈落の淵まで落としてしまいそうな、そんな危うさを携えているようにも見えた。
彼女のうつくしさのなかには、そういう恐ろしさがあった。

「あ、冨岡さんだわ……。怪我でもしたのかしら」
「いや、前の傷の経過を見せに来たんだと思います。先日胡蝶さんに叱られてたようだから」

そう伝えると、彼女は安堵の笑みを浮かべた。
おれは、おれのいのちが誰かの役に立てばいいと思う。
誰かの役に立つ方法なんかほんとうはもっともっとたくさんあるはずなのに、やはり鬼を斬りたい。一体でも多く斬りたいと思う。
強くはないおれがそうして生きることを、みんなは生き急いでいると思うかもしれないけれど。

「声かけてきたらどうですか。ずっと根詰めたみたいな顔してて、心配で」

みんながみんな、自分の一番後悔しなさそうな死場所を定めてしまっていて、そこに向かって歩いている。そんなふうに思えて、せつなかった。
おれは決して強くない自分のことを棚に上げて、弱いひとややさしいひとたちを見ると、刀なんかは置いてしまってなにかほかのことにいのちを燃やしてほしいだなんてことをいつも考えてしまう。

彼女は眉尻を下げてどこか痛いところがあるみたいに苦しそうに俯いていたけれど、やがてそのまますこしほほえんで会釈をして、彼の後を追い、廊下を駆けていった。