6:標をなくして

「ねえさんからも何度か言われていると思うけど」

そう前置きしてから、しのぶさんはゆっくりと話しだした。
狭い看護室の中は薬品のにおいで満ちている。
棚には所狭しと医療品が並べられていた。
そのほとんどが、いつもどこに置かれていてなにに使うものなのか、わたしにはわかった。

「やっぱり、あなたは看護か研究にまわったほうがいいと思うの。隠だって人手が足りていないし、なまえが望むなら正式に蝶屋敷で雇うことだってもちろんできるわ」
しのぶさんは一言一言、慎重に言葉を選んでいるようだった。わたしが傷つかないように。


しのぶさんはとても強い。
小回りが利くし、なにより機転が利く。いつもあっと驚くような考えで勝利を手繰り寄せていくのだ。
しかし、しのぶさんとわたしにはとある共通点もあった。
しのぶさんがわたしを気遣うように話すのは、蝶屋敷で稽古をつけた教え子であるわたしへの愛情のほかに、わたしの非力さを他人事とは思えないしのぶさんの事情のためでもあったのだと思う。
短躯で腕力のないしのぶさんは、鬼の頸を斬れなかった。
つまり、自分の弱さゆえの苦しみがどれほど己のこころを蝕むのかを、しのぶさんは痛いほど知っているのだ。

「あなたを戦闘で失うことは、組織にとっておおきな損失になるわ。あなたは剣を握らなくてもじゅうぶんに活躍できる。それに、うちで働く看護師たちのことを、あなたは無能とは思わないでしょ」
「それでも、わたしは戦いたいんです」
「なまえ、剣を振るうだけが戦いじゃないわ」
「わたしは強くないですが、全く戦えないわけでも鬼を滅せないわけでもない。戦わせてください。待っているのは、つらく、苦しいです」

そういう問題でないということは百も承知である。
へりくつをこねて困らせてしまっているということも。
それでもわたしは戦いたかった。戦うことはこわい。鬼は何度見てもおそろしい。
あたたかい清潔な部屋でたくさんの感謝をされながら働くと、こころがとても満たされる。
だからこそだ。あたたかいところ、やさしいところに流されていたくはない。
わたしがもっと強ければ、錆兎さんは生きていたかもしれない。せめて時間稼ぎだけでもできていたら、みんなで山を下りられていたかもしれない。
錆兎さんはきっととても強い剣士になった。
義勇さんはたいせつなひとを二度も亡くさなくて済んだ。
悔いても悔いても時が戻ることはない。
せめて、同じ思いは二度としたくなかった。

「気持ちは痛いほどわかるの。でも、ごめんなさい。なにもかもを守ると言い切れるほどわたしが強ければ、あなたが戦地へ赴くのも許可できたかもしれない。でもそうじゃない。あなたは自分のいのちを軽く見ていると思うけれど、わたしにとってのあなたのいのちはそんな軽いものじゃない。あなたを庇ってわたしやねえさんが死んだら、あなたには責任が取れる?その重みを背負えるかしら」
「それは……」

完全に王手だった。
わたしよりも、しのぶさんの方が辛そうだった。
どこかにおおきな怪我でもしたみたいに、苦しそうだった。
わがままなのはわかっていた。無茶苦茶なことを言っていると。
でもわたしには、奈落へと落ちていく自分の止め方がわからなかった。
鬼に会ってからわたしの意思を他所に破滅に向かって転がり出したこころの止め方がわからないのだ。どこかにぶつかって砕ける以外、なにも、わからないのだ。

「ごめんね。でも、わかってちょうだい」
「すこしだけ時間をください。しっかりと気持ちに折り合いをつけてから、正式にお返事させていただきたいのです。必ず頷きにまいりますから、ですからどうか」

わたしがそう答えると、しのぶさんは安心したように苦笑して頷いてくれた。

「冨岡さん、心配してたわよ」


鬼殺隊へは、傷ついた人々が精神的な療養をするいとまもなく、次から次へとやってくる。
こころに深い闇を抱えたものたちのなかには、生き残ってしまった罪悪感から、自己犠牲的になってしまうひとも数多くいる。
わたしはその数多のうちのひとりだった。
わたしたちのような者が所属部署や立ち回りの転向を余儀なくされることは少なくなかった。
生き残り続けていればいつかこうなることはわかっていた。
しかし、立派に戦って散るという唯一の禊の希望をなくしては、これからどういう面持ちで、どういったふうに気持ちを落ち着けて生きていけばいいのか。わたしにはまるでわからなかった。
目の前が急に真っ暗になってしまったようで、不安でたまらなかった。