11:ネバーランドで出会えたら

あの夜の誓いむなしく、寝ても覚めても、わたしのなかは時透先輩でいっぱいだった。
すきをやめようと思えば思うほど時透先輩との時間は強くあざやかに思い出されて、わたしのこころを支配する。
こんなに揺さぶられて、なにをやってもうまくいかなくて、悔しくてかなしくてしかたがなかった。
限界だ。
なんとか歩いて今日をやり過ごす、それだけでいっぱいいっぱいなのだ。
うまく過ごせた日なんかは自分を褒めたくなってしまう。そんなささやかな生活を、平穏を、つまらなくともあいしていたのだ。

悲鳴嶼部長から呼び出されて、わたしは久方ぶりにとことん絞られた。初歩的なミスだった。
部長は男女の区別をしないし、贔屓もしない。誰にでも平等に接してくれる。
指導されるときも同じだ。部下であればおんなであろうと平社員であろうと、皆等しく厳しく叱られる。
今日はそれがとてつもなく有難いことに思えて、わたしはばかみたいに大泣きをした。
なつかしい気持ちだった。
間違っていると叱り、正そうとしてくれるのが、うれしくてしかたがなかった。
もっともっと叱ってほしかった。だめだと言ってほしかった。そんなことではいけないと。それは間違っているのだと。

社会人になったってわたしはまだまだこどもで、おとなになんて、ほんとうはちっともなりたくなかった。
おとなのふりをして周りの真似をして、生きた心地なんてちっともしなかった。
自分の意思とは遠いところで生かされているみたいだった。
それは間違っているよ、と叱ってくれた両親、先生、ちいさなころお世話になったひとたち。
おおきな愛にくるまれて、生暖かいやさしさのなかで、ずっと生きていたかった。
どこへ進むかなにを選ぶのかを自分で考えて生きていかなきゃならないだなんて、こわくてしかたがなかった。
わたしはいつだって間違ってばかりで、気がついたときには帰り道を忘れている。

今だってこうやって、ひょっこりと現れたひとのことなんかをすきになってしまって、誰か叱って無理やりにでも引きずり出してくれればいいのに、ずんずんずんずんと沈んでいくだけで、動かれなくて、息が苦しい。


一度止まった涙がまた溢れてきて階段の脇で立ち尽くすわたしの肩を、誰かが叩いた。
知っている。時透先輩だ。

「どうしたの」

嗚咽をこらえて見上げると、そこにはやっぱり時透先輩がいた。
ぽん、ぽん、と規則的に来る背中への感覚があまくて、心地よくて、わたしはまた泣いた。声をあげてわあわあと泣いた。
抱きしめ返すことはできなかった。もっと泣いてしまいそうだったから。

先輩のせいなのに。
手に入らない先輩はもういらないのに。

先輩のお日さまのようなやさしいにおいはわたしのこころをあたたかく満たし、溢れて涙になって、とめどなく頬を濡らした。
自分のせいなどとは、ほんのわずかも思っていないくせに。
わからず屋の先輩なんかに慰められてもこころに響くはずはないのに、先輩のことなんてだいきらいになったはずなのに、いとおしくてしかたがなくて、こころがちぎれていくつにもなって、それぞれが意思を持ってわたしのなかを勝手に這いずりまわっているみたいで、こんがらがって、また泣いた。