22:ケース

きちんとしたことがすきだ。
ちゃんとしていること。
たとえばたまにおしゃれなカフェでのんびりとすること。たとえば美術館へ行ったり、ガーデンのなかを散歩したり、ホテルで昼食をとること。
教科書のような料理を三食きちっと作ること。入念なスキンケアを行うこと。誰にも見せないちいさな足の爪にマニキュアを塗ること。
おんなのことしてきちんとしていること、人間として、おとなとしてちゃんとしていること。

自分が模範的なかたちをしていると感じるとき、わたしはひどくほっとする。
どこへ出しても恥ずかしくない子だと思われたい。誰からかはわからないけれど。でも、恥ずかしくないひとになりたい。


ドレスを着て、今はもう結婚式場としか使われていないチャペルのエントランスホールへ向かうわたしは、うまい具合にきちんとできているように思えて気分がよかった。

途中、ネイビーのスーツを着た時透さんとすれ違った。
時透さんは竈門さんと談笑していて、一瞬目があったけれど、不自然にもわたしたちは会釈すらせずに、お互いそっぽを向いたまま行き違い、通り過ぎる馴染み深いかおりだけを感じていた。


今日は入社時によくしてくれた先輩の結婚式だった。
すぐに部署が離れてしまったため接点は多いほうではなかったが、時折いっしょにランチやディナーに行く。

彼女はわたしを見るや否やおおきく手を振って、名前を呼んでくれた。
お色直し後のカナリヤイエローのドレスが、明朗快活な彼女によく似合っていた。
先輩の相手は、先輩の部署の上司だった。

「来てくれてありがとう!うれしいわ」
「蜜璃先輩、おめでとうございます。先輩、とってもきれい。おしあわせに」
「なまえちゃんの式も楽しみね」
「まずは相手を見つけなくっちゃいけませんね」
「あら、いいひとがいるって聞いたけど」
「いやだ、いないですよう。そんなこと、誰が言ったんですか」
「ううん、気のせいだったかしら」
「もう、先輩ったら」

向こうのテーブルでは、時透さんと、彼のくちびるを奪った同僚が談笑しているのが見えた。
目があって、彼女がこちらへウィンクを寄越す。わたしはちいさくガッツポーズをして返した。むなしかった。きらめきの詰まったうつくしい会場に不似合いの、灰色の気持ちだった。


「この前はだいじょうぶだった?急に帰っちゃったから心配した」
「うん、平気。ごめんね、いいところだったのに邪魔しちゃって。でも、順調そうでよかった」

時透さんとの会話が一段落したのかこちらへ駆けてきた彼女の息が、興奮気味に弾んでいる。
時透さんにまつわるなにかを話したいように感じたので、わたしは甘んじて受け入れることにして、努めてほがらかな笑顔を作った。

「夢みたいだったなあ」

マシンガントークを聞くこころづもりでいたのに、彼女の口から出た言葉はそのひと言のみだった。
なんだかとても、かなしくなってしまった。

彼女の横顔は夢見る少女のようにみずみずしくかがやいている。
わたしには、時透さんと過ごした時間のなかでうっとりと思い出せるような記憶は、ただのひとつだってない。すべて思い出すと泣いてしまうような、かなしい出来事だ。

「気持ちよかった?」
「いやだ、ちょっと、おかしい!欲求不満?」
「そうかも」

彼女が高い声をあげて抱腹する。ちっともおかしくないのに、わたしも一緒になって笑った。

会場へは社長も来ていて、ふたりへ祝福の言葉を述べていた。
これは社内恋愛が禁止とされていたうちの会社のなかで、その縛りが効力を失ってしまったのだということを暗に示している。

彼といてもシリアスにならない彼女。
彼女なら、彼と健全な恋愛ができるように思えた。ふたりは存外、お似合いなのかもしれない。
そして近い将来、ふたりはこんなふうに皆からの、わたしからの祝福を受けることになるのかもしれない。そう思うと、すこし、涙が出た。笑っていたので、誰からも気がつかれることはなかった。