29

それは突然の出来事だった。

真っ昼間にモビーは襲撃を受けた。
親父さまを倒して名を上げるのだという海賊が、何隻かの船隊を組んでやってきたのだ。
ここまではまだいい。
白ひげ海賊団の船に乗り、何回か経験したから。

正直に言って、敵はここまで来れないと思っていた。大抵エースが船を焼き払い、行き場を失った海賊船の人達は海へ逃げて降伏する。
船の数が多い場合でも、モビーの甲板にすら到達することはほぼ不可能で、敵を圧倒していた。
恐ろしいほど強い、白ひげ海賊団。

エースの部屋で待機している私。
完全に安心しきっていた。
問題は、ここから。

「こんな所に女がいるとはな」

一体誰の女だ?

にこやかに私を見つめるその人。
もちろん、どこの誰かも分からない。
分からないけど、全身に鳥肌が立ち、冷や汗が背中を伝う。こわい。この人は、危ない。
どうやってここまで来たのか。
何故この部屋に来たのか。
疑問を口にすることが出来ず、その人を見る。

「お前を、夢の世界へ誘ってやる」

静かに近づいてきて、片手で額を掴まれた。
その手を払おうと両手で掴むがビクともしない。
声を上げようとすれば、もう片方の手で口を塞がれる。何をしようというのか。夢の世界とは。

閉ざされた瞼の裏に浮かぶ、エースの姿。
私が、私の存在が。この船を脅かすのは許されない。怪しいだけの私を追い出さずに受け入れてくれた、親父さまの大事な。大切な、仲間家族
渾身の力で足を振り上げた。
振り上げた足は相手の股間に直撃。

「ぅぐぁぁあ!!っ、…ぐっ、貴様ァア!!!」

激昴する敵の声がこだまする。
手が離れた瞬間、扉を開けて飛び出した。
なりふり構ってはいられない。

「エース!!誰か!いませんか!!!」

甲板に向かって走る。
よろけながら後ろから追いかけてくる。速い。
あの人は、たぶん、能力者だと思う。
目を塞ぎ口を抑え…何かをしようとしていた。
ティーチさんから教わった特徴を思い出す。

動物に変わった?
─変わってない、つまり動物系ではない。
自然の現象になった?
─これも変わらない。人の姿のまま。
考えうるのは、超人系。
そして直接触る。私も腕を触れた。それなら。

甲板へ向かう途中の階段に差し掛かる。
上階と現在地、下階を繋ぐ踊り場に、非常用として開けることが可能な扉があった。
それは非力な私でも、開けることが出来る。
その扉を背にして止まった。

追いついた敵は私に手を伸ばす。
勢いよく首に手がかかり、体重は後ろへ。

「あのまま大人しくしていれば!手荒な真似をせずに済んだものを!!馬鹿な女だ!!」
「馬鹿なのは、どっちよ…!」

勢いを殺さないよう、そいつの腕を引いて扉を開く。体が海へと傾いた。敵も目を見開いて驚いている。私がこんな行動を取るとは、覚悟があるとは、思っていなかったんだろう。

「せいぜい困りなさい!!能力者!!!」
「こンの、クソ女がァァァ!!!」

真っ逆さまに落ちる。
諦めの悪い敵は私の首から額へ手を伸ばした。

「夢に!落ちろ!!!」

その言葉と共に、青く深い海の中へ。
…遠くで、エースの声が聞こえた気がした。


***


『───リオ、』

この声は、エース?
海に落ちたはずなのに、エースの声が聞こえる。
なんだろう、夢かな。
夢にまでエースを見てしまうとは。
ふ、と目を開ければ。

そこは、怒号飛び交う、戦場…で。

エースはどこにいるの?どこから声が…?
驚きと恐怖で震えながら周囲を見渡すと。
彼は。エースは。
…捕まっていた。
彼の隣には剣を携えた兵士?がいて。
眼前では何百、何千という人達が戦っている。
それを見下ろせるほど、高い所に彼は膝をつき、両腕を後ろに回し、手錠を掛けられて…。

一瞬で血の気が引いていく。
なんてひどい夢だろう。夢であってほしい。
こんなこと、起こってほしくない。
涙で前が滲む。
震える足を叱咤して、彼の元へ向かう。
私の姿は誰にも見えていないのか、止められることはない。目の前を飛び交う銃も、剣も、拳も。私には向けられることがない。

『エース!!!』
『待ってろエース!』
『今、助ける!!』

そんな仲間の声に、喜びではなく苦悩の表情を浮かべて、戦場を見つめるエース。
どうして。どうしてそんなに悲しそうなの。
苦しそうなの。
パキ、と何かが凍る音が聞こえた。

『悲しむ、だろうなァ…』

こればっかりはどうしようもない。
仕方がないんだけどさァ…。
…なんでかね、お嬢さんの姿が目に浮かぶよ。

誰に向けた、言葉なんだろう。
遠ざかる背中に“正義”の文字が目に入った。

戦場を抜けて、階段を登り。
エースのすぐ目の前まで来た。
たくさん、怪我をしている。血を流している。
彼にも見えていないようで、目は合わない。
膝をついて、頬に手を伸ばせば。触れた。
でも、気づかない。
たぶんエースには分からないんだ。

「エース、」
『…おやじ、みんな、ルフィ。……──リオ』

呟くよりも小さな言葉。

「エース、ねぇ、エース。これは、夢だよね?…こんなこと、起こらないよね?」

血を拭いたくてもそれは叶わなくて。
触れられるけれど、助けることは出来ない。
そういうことだろうか?
エースの前髪に手をやり、優しく分ける。
頬に唇を寄せて抱きしめた。

「お願い、エース、生きて…」

どうして捕まっているのか、わからない。
でも、どうか。どうか。
生きることを諦めないで。
会えないけれど。
触れられない、けれど。
助けることも…出来ない、けれど。

生きてほしい。

あなたには、愛する仲間がいる。
親父さまがいる。世界がある。
あなたが生きる理由は、そこにある。

お願い、お願いだから。
エース…!

「──リオ、おい、リオ!」

大きい声で名前を呼ばれ、強く体を抱き締められた感覚で、ようやく目を覚ます。

「………エー、ス?」
「リオ!!っ、よかった…マルコ!マルコォ!
リオが気がついたぞ!!早くこい!」
「エース、」
「おう、ここにいる。もう大丈夫だ」
「エース…エース、いかないで…」
「どこにも行かねぇよ、そばにいる」

痛いほど強く抱きしめてくれる。
名前を呼んでくれる。
優しいキスが、降ってくる。

「リオ、」
「エース…怪我はない?」
「ああ。何一つ負ってねェよ。大丈夫だ」
「よかった…」
「リオこそ、怪我はねぇ?痛い所とかは?」
「ん、ないよ。大丈夫…ありがとう」

抱きしめていた腕の力が緩み、ぽんぽんと背中を優しく叩かれて少しずつ落ち着いてきた。
なんて、ひどい夢だったのか。

「すっげぇ焦った。敵と一緒に、海へ落ちていくリオの姿が目に入って…! 」
「海、へ?」
「ああ。…おれはちょっと、怒ってるからな。でも、気がついてくれて安心も…してる」

体をベッドへと横たわらせてくれた。
…そうだ。敵襲を受けて…、敵の一人が部屋に入ってきて。そいつをどうにかしようと逃げて。
海へ道連れにしたんだ。

誰が助けてくれたんだろう?
エースを怒らせるほど、心配かけちゃった。
マルコさんにも怒られるよね…。
船も親父さまも、無事なのかな。
敵襲は、どうなったんだろう。

「エース。私、守れたかな」
「守れた…?」
「親父さまの船を。エースの、家族を。私がいるせいで、この大きくて優しい船を危険に晒すことなんて出来ない。私一人の命で守れたなら、嬉しいな…。私はこの船にいてもいなくても構わない存在だから。消えたって、いいの」
「やめろ、リオが消えていいわけねェ。リオの命は、この船の命だ。勝手にいなくなって、死ぬのは!…許さねェぞ…!」
「エースが生きてるなら、いいよ」
「…?おれが?なに、言ってんだ…?」
「エースは、おじいちゃんになるまで…生きて」
「…リオ…?」
「エース、エース。好き…大好き」

ふっ、と意識が途切れる感覚がやってくる。
再び眠りへ誘われるように。
エースが何度も名前を呼んでいる。
うん。ごめんね、エース。ありがとう。
もう少しだけ眠らせてね。

思考も瞼も、ゆっくり閉じていった。

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