彼女は風に攫われて、消えた。
いくら手を伸ばしても。もうそこにはいない。
自分でも驚くほど、心から愛してしまった。
自分を愛してほしいと、思った。
彼女はおれを受け入れてくれて。
おれのワガママを…笑って聞いてくれる。
可愛い笑顔も、胸を締め付けられる涙も、おれへの怒りを顕にした時も。どんな、時も。
彼女は、「エース」と名前を呼んでくれた。
右手首に着けているブレスレット。
彼女はおれの昔を知らない。知らないはずなのに。
小さいパーツで、スペードを選んだ。
くしくもおれが旗掲げした時のマークと同じ。
彼女は、汚れがなく、とても綺麗だった。
「─エース、ここにいたのか」
「…マルコ。リオは、行っちまったよ」
「そうみたいだな。…不思議な奴、だったねぃ」
頼りなさげに見えた、細い腕。脚。体。
だが、見た目以上に芯が強くて。
海賊相手に、彼女は二度も立ち向かった。
怖かっただろう。
助けを求めたかっただろう。
自分以外の誰かが傷つくのをよしとしない彼女。
彼女の優しさは、心を温かくしてくれる。
おれもそうだし、きっと船の奴らも、みんな。
そんな彼女に手を差し伸べたくなる。
彼女には笑っていて欲しいと思う。
「おれは夢を…見ていたのかな」
「…随分、幸せな夢だったじゃねぇか」
「ああ。こんなおれを、愛してくれた」
…帰らせたくなかった。
ずっと、おれの腕の中にいてほしかった。
おれはこんなにも、執着心が強かったんだな。
マルコは一度だけおれの頭をポンと叩く。
そして背を押されながらモビーへ戻った。
「エース!リオちゃんがいねェぞ!?」
「なんだ、喧嘩でもしたか?」
「あの“おはようございます!”が聞こえねェ…」
「エースの束縛の強さに愛想尽かしたんだな…」
「「「なるほど…!!」」」
なるほど、じゃねェ!!
ぼう、と背中から炎が出てしまう。
マルコが進み出て、甲板へ集まれ。と一言。
そこへ行けば、親父もいた。
「あー、突然だが。リオは自分の世界へ戻った。はいはい、うるせェうるせェ。オイ、誰だ今、マルコが手ェ出したんじゃねーのかとか抜かした阿呆は。馬鹿みてぇな冗談を言う口は縫い付けんぞ。いいか、黙って聞けよい」
…マルコ、いつになく荒れてんな。
「手紙を預かってる。おれたちに宛てたものだ」
『─白ひげ海賊団の皆様。
異世界から来た、正体不明で怪しい私を家族として迎え入れてくれて、ありがとうございます。
海賊という人たちは、怖い人の集まりだと思っていました。誰かを殺して、何かを奪って。無法者の集まりだとばかり、思っていました。でも白ひげ海賊団の皆さんは違います。いつもとても優しく、私を笑顔にしてくれました。幸せな気持ちを与えてくれました。
そんな皆さまに挨拶もせず、突然いなくなることをお許しください。親父さま、娘と呼んでくださりありがとうございました。親父さまの体調が本当に心配です。どうか、ご無理はなさらないでください。親の健康を子どもは常に願います。
クルーの皆さま、海賊に怪我はつきものだと分かっています。ですが、やはり怪我や病気には気をつけてほしいです。皆さまの明るい声が、船には必要だと思います。たびたび船の中で迷う私に声をかけてくださり、ありがとうございました。』
…リオらしい、飾らない言葉に笑みが浮かぶ。
『ナースのお姉様たち。いつも親身に、心も体も心配してくれてありがとうございました。…お姉ちゃんたちの妹になれて、とても嬉しかったです。もっとお話したかったです。』
「…エースんとこは、割愛。ブーイングすんな。
リオの気持ちはエースだけに向いてる、ってェのはてめぇら全員承知してんだろうが。エース、後で渡すからそれは自分で読めよい」
おれへの、手紙。
あの短時間で、ここまで書いて。
さらに、おれに宛てて…書いたのか。
『…最後に。皆さまの航海が順調に進みますよう。親父さまが、長生きしてくださいますよう。
白ひげ海賊団が、海賊団の皆さまが。これからの未来、幸多からんことを切に願っています。
いつかまた皆さまと会える日を、夢見て。
──リオ。』
…しんと静まり返る、甲板。
こんなに大勢いるのに。
誰一人、声を出せなかった。
「…グララララ!」
─親父を、除いて。
「本当にあの末娘は。てめぇのことを後回しに考えやがる。これだけ真摯に思われてちゃあ、
長生きしないわけに…いかねェよなァ」
目を細め、遠くを見つめる親父。
その口元は緩く弧を描いていた。
みんなの表情を見て、おれも黙ってられず。
「…なぁ、リオがいつこっちへ帰って来ても、迎えられるよう。おれたちはいつも通り迷わず真っ直ぐ、航海してりゃいいんじゃねェのか?」
「…エースの言いたいことはわかる。でもよ、
こっちへ帰って来ても…つったって。リオちゃんにとっちゃ、あっちが自分の世界だろ?」
「関係ねェよ。リオは戻ってくる。おれの元に。そんで、もう二度と。あっちには帰さない」
おれのこの言葉に、
「うっわ。マジでエース、ヤベェよ…こわ…」
全く失礼にも、ドン引く声と
「ヨッ!さっすがエース隊長だぜ!」
「エースの嫁さんで姐さんのリオちゃんは、おれたち白ひげ海賊団の大事な家族だもんなぁ!」
なんて謎に囃し立てる声と。
めちゃくちゃにため息を吐き出す隊長達と。
豪快に笑い声を上げる親父。
なんだ。
おれ、そんなに何かおかしなこと言ったか?
「…まぁ、そうだな。お前は簡単に諦めるタマじゃねぇよなァ。リオがいなくなって泣き出すかと思ったが。余計な心配だったようだ」
「そりゃ…悲しいけど。泣くかよ」
「お兄ちゃんの胸で、泣いていいんだぜ?」
「やだね、サッチの胸とか硬ぇし気持ち悪ィし、泣くならリオの柔らけぇ胸で泣きてェよ」
「あァ"ーーーーーん?お兄様の優しさを無下にすんのかァ???はいはい、隊長集合〜!各々、好きな力加減でエースを抱きしめてくださーい」
「はァ!?ちょっ、待っ…なんでジョズが最初なんだよ痛ぇよ!!!せめて力加減はしろ!」
笑い声と、笑顔が増える甲板。
これが、いつものおれたち。
この輪の中にリオがいないことが…寂しい。
最終的に何故か親父にまで頭を撫でられた。
…そこまで心配されてるとは。不甲斐ねェ。
マルコからリオの手紙を受け取り、やたら騒がしい甲板を後にして、自分の部屋へ戻る。
静かに扉を開けても
『おかえりなさい、エース!』
愛しい人の、笑顔と言葉はもう…そこにない。
ぐっ、と胸が苦しくなった。
小さく頭を振り、ベッドへ腰掛け手紙を開く。
『エース。大好きな、エース。
ずっと一緒に居たいと思っていたのに、自分の世界へ帰ることを選んでしまって、ごめんなさい。
危ない所を助けてくれて、ありがとう。
迎えに来てくれてとっても嬉しかった。
今の私がいるのは、エースのお陰だよ。
本当にありがとう。何度伝えても足りないなぁ。
エースに出会えたこと、エースと恋人になれたこと、一緒に笑い合って過ごせたこと、たくさん愛してもらえたこと。私にとってエースとの日々は何ものにも変え難い、宝物だよ。
エースはとても素敵な人だから。
これから先、きっともっと素敵な相手と巡り会うと思う。その時は相手の人と幸せになってほしい。もし私の存在が悩ませる原因になったら、この手紙もブレスレットもきちんと焼いてね。…こういうことを書いたらエースは怒りそうだなぁ。でも、いいの。エースが幸せになってくれることが何より大事なんだもん。
私はエースから想われて…すごく幸せだったよ。
最後に、私のワガママを聞いてほしいな。
この海は危険なんだと身をもって知ったから。
もし。あなたが海軍や海賊に捕まってしまったとしても、生きることを諦めないでほしい。
もがいて、抵抗して、助けてくれる人の手を、決して離さないで。またエースに会いたい。
会えるなら、エースと一緒に生きたい。
…だから。必ず、無事でいて。
大げさだな、って笑ってくれてたらいいな。
生きてほしいというワガママ…聞いてくれる?
エース、大好き。心から…愛してる。
リオより。』
…リオ。リオ…!
なんでおれは、リオを帰してしまったんだ。
ずっとここに…おれの隣に、いてほしかった。
会いたい。
抱きしめたい。
名前を呼んでほしい。
笑って、手を繋いで。
はにかむ頬にキスを落として。
赤くなったリオを掻き抱いて。
愛を囁けば、照れながら返してくれる。
おれの大切な人。愛しい人。幸せにしたい人。
別れて時間は経っていないのに。
もう、会いたい。今すぐ、リオに会いたい。
手紙を折りたたんでテーブルの上に置く。
さらにその上に帽子を乗せた。
濡れない袋に入れて、持っておこう。
無くさないように、縫い付けてもらおう。
ベッドへ背中から勢いよく倒れ込む。
布団からふわりと香る、彼女の匂い。
「……リオ」
泣かねェ。
…泣かねぇよ。
リオにまた、会う日まで。