45

吐いた息は白く、時折身を強ばらせるほどの冷たい風が吹く。天気の良い日中でもまだまだ寒い。
晴れているから散歩へ行こう、と提案したのは私だけど。風を遮る物がほぼない河川敷に寄るんじゃなかったと絶賛後悔中。身を震わせていると、隣で川を眺めていたエースが突然声を上げた。

「リオ、あの花!見たことねぇか!?」

指をさした方を見てみると。
確かに花が咲いていた。遠目でも確認できる白い花。残念ながら何の花かは分からない。けれど、妙に惹かれた。近くで見てみようと繋いだ手を引く。

白い花の手前で、膝を折る。
カバンに付けたキーホルダーと見比べて。

「エース、この花って…」
「おれが島で見つけた花と同じだ」
「これ以上近づくと、あっちへ戻りそう?」
「ああ。そんな予感がする」

なんか体がぞわぞわしてきた!
そう言って自分の腕を摩ったエース。
…ついに見つけてしまった。
エースが“元の世界へ帰れる場所”を。

小さな花弁が冷たい風に吹かれ揺れている。
すぐにでもエースを帰してあげたい。
でも、もう少し。もう少し…一緒にいたい。
エースを見上げてみると、目が合った。

「こっちに来た時、言ったよな」

『おれはリオを向こうの世界へ連れて行く。この世界から、奪う。そして二度と…こっちには帰さない』

「…うん、覚えてる」
「本気だぞ」
「それも…わかってる」
「おれは死なない。リオと一緒に生きる。…なぁ、リオ?おれだけじゃなくて、二人で幸せになりたい。リオが側にいないなら、おれは幸せになれねェ」

座り込む私の隣に、エースも同じように座った。
優しい手がそっと頬へ添えられる。

考えてなかったわけじゃない。
ずっとこの世界にエースが居てくれるとも、思っていない。エースは向こうの世界の人だから。
あの世界に必要な人だから。
いつか絶対に帰さなければならない。
その“いつか”が、やって来たんだ。

エースの言葉は嬉しい。
けれど真剣で真っ直ぐな言葉に揺れる。

「…リオ、おれが怖いか?」
「ううん、怖くないよ」
「マルコは怖いか?おれはまだ、まぁまぁ怖い」
「…ふふ、マルコさんも怖くないかな」
「じゃあ。海賊が、怖い…か?」

返答に、詰まった。
あの世界には様々な海賊がいる。
麦わらの一味のような海賊もいれば、
人の命を奪い、略奪の限りを尽くす者がいて。
国を支配し、我が物顔でそこに君臨する者も。
自身の過去が辛く重いが故に…だとしても。

そして。
家族のように迎え入れてくれる、海賊もいる。

けれど、なんの力も持たない…ただの一般人でしかない私があの船に、白ひげ海賊団の船に。
ずっと乗っていてもいいのだろうか。
彼らの、親父さまの足枷にはなりたくない。
今度こそきっと、ただ守られるだけの存在になってしまう気がする。漫画で先のことを少しだけ知ってるからと言って、あの世界で暮らすとなると…話は別だ。かなり勇気がいる。

「…うん、怖い」

自分の命も、守れない。
おそらく誰かの命を危険に晒してしまう。
その“誰か” は、エースかも、しれない。

「この世界はリオにとって最も安全で、死ぬ確率…なんてのは限りなくゼロだよな。あっちに比べりゃ、平穏も平穏だ。…でもよ、」

優しく頬を撫でる手が背中へまわり、体を強く引き寄せられる。そこから私の頭を抱えるように、ぎゅう…と抱きしめてくれた。

抱きしめたまま、エースは言葉を続ける。

「この世界に“おれ”はいない。リオに何かが起こった時、助けてやれない。泣いてる時に、抱きしめられない。リオが無事でいるのを祈ることしか出来ない。そんなのは、もう。耐えられねぇ」
「っ、でも!私が船に乗ったせいで親父さまや、皆さん…他でもない、エースに!迷惑をかけたくない!!…白ひげ海賊団の、邪魔はしたくない」
「…リオが船に乗ることが迷惑なわけねェだろ。邪魔なわけがあるか。マルコを思い出せ」

あいつ、なんて言ってた?

『おれの余計な仕事の負担が減る。なによりリオの仕事は無駄がない。おれのサポートを頼もうと思う。文句は聞かねェ。これは決定事項だからな。
─リオが出来る女で助かるよい』

リオが能力者を海へ落とした時。
その後、快気祝いの宴があったよな。
どれだけの仲間がお前に声をかけてきた?
ナース達の言葉も忘れちまったか?

『エース隊長!』
『リオちゃんの独り占めは良くないと思います!私たちの部屋へお泊まりさせてください!』
『リオちゃんはリアクションが豊かで、よく笑ってくれて…とても愛らしいわ。癒されるの』
『恋バナも真剣に聞いてくれるし!』
『リオちゃんの世界の話も面白いよね』
『エース隊長、独占欲強すぎじゃないですか?』

「…で…でも、でも!」
「怖ェのはわかる。不安なのも、わかる。…なぁ。なんで、リオの気持ちをおれが分かると思う?」

抱きしめてくれるエースの腕の中で首を振る。
わからない。
弱い私の心を…何故、強いエースがわかるの?
じわり、目に涙が浮かんでしまう。

「おれはリオを知ってるから。リオは自分が怖い思いをしても、一歩踏み出して立ち向かえる心の強さを持ってる。自分に力がないと分かってるから、危ない時に声を上げることが出来る。…心が弱いおれを。包んで、抱きしめて…愛してくれる。
なぁ、リオ。リオのことを守らせてほしい。
おれはリオにとって安心できる場所になる。
不安な時、逃げ出したい時、悲しい時。弱音を吐いたっていいんだ、おれがリオを支えて守るよ」

エースの言葉が少しずつ胸のわだかまりを溶かしていく。大丈夫だ、と。心配はいらない、と。
抱きしめてくれる腕の力が緩み、体が離れる。
私の両手をしっかり握ると瞳が交わった。

エースは、優しく笑って。

「リオ、おれと一緒に生きてくれないか」

堪えていた涙が次々と溢れてくる。
…本当にいいのかな?
エースと一緒に、向こうで…生きても。

私の溢れた涙を見て、また笑うエース。

「へへ、二度目のプロポーズだな!」
「エース…っ!」
「すっげぇ好き。リオを愛してる。離したくねぇ、離れたくねぇ。他の誰にも、譲らねぇ。だから連れて行く!リオの人生、おれがもらう!」

不安が消えたわけじゃない。
心配事がなくなったわけじゃない。
それでも、彼が私を必要としてくれるなら。
私の人生を、もらうと笑ってくれるなら。

エースの隣に、いてもいいのなら。

「…私、エースを幸せにするって言ったよね」
「おう。幸せにしてくれるか?」
「うん、幸せにする。二人で、幸せになる」
「そう言ってくれると思った!」

一度抱きしめられて、両脇に手を入れて。
ぐん!と上へ抱き上げられた。

「リオ!おれいま、すっげェ幸せ!」
「ふ、ふふ。もう幸せなの?」
「ああ!愛する人が、おれのもんになるんだぞ!
こんなに嬉しいことはねェ!そうと決まれば!」

一歩踏み出す。

が。
私はエースの腕を叩いて止めた。

「ん、なんだ?行かねぇのか?」
「エースの服や帽子、家に置いたままだよ!それと、椿にだけは事情を話しておきたい!…だから、一度家に帰ろう?だめ?」
「そうだな、ツバキには挨拶しておかねぇと!」
「…ありがとう、エース」

なにが?と首を傾げる。
私の意見をちゃんと聞いてくれて。だよ。

抱き上げられたままだったので、下ろしてもらって手を繋ぐ。風は先ほどと変わらず冷たい。
目を瞑るほどの風に、繋いだ手を強く握った。
隣から笑う声が届く。

おれの手は、暖かいだろ?

笑顔を見せるエースに、私も笑みを返す。

「椿を誘って、外でご飯食べよっか!」
「おれはリオの味ブレッブレの料理も好きだぞ!」
「…エース、それ褒めてないからね?」
「今日は濃いのか薄いのか、楽しみなんだ!」
「いやもうそれ、貶してるよ!!向こうに行ったら、サッチさんや四番隊の皆さんに料理を教えてもらうから…!美味しいって言わせてみせる…」
「期待は、まぁ、しないでおく!」
「してよ!!」
「味付けはおれの方が上手いもんなー」
「そうなんだよね…、悔しいなぁ!」

先のことを笑顔で話せるのは幸せだと思う。
例え、エースの運命を知っていたとしても。
とても悲しい未来が待ち受けているとしても。
私の存在が、それを防げるか…まだわからない。

それでも。
私はエースと一緒に、生きたい。

顔を見合わせ、声をあげて笑う。
ゆっくり歩を進めて河川敷を後にした。



***


「…はぁ?」

椿をご飯に誘って、散歩中の出来事を話すと
ものすごく低い声で反応が返ってきた。怖い。

エースがこちらへ来たきっかけになった白い花。
それは椿から貰ったキーホルダーと、同じ花。
向こうの世界からこちらへ帰って来てお昼を食べに行った時。彼女に言われた言葉がある。

『赤崎、その白い花のキーホルダー。あんたが持ってなよ。きっと…必要になる。私は自分より、赤崎の願いが叶って欲しい!』
『あんたがエースの未来を変えるんだよ。彼を死なせないで。二人で、幸せになって!!』
『願う時は覚悟を決めて。こちらの世界で彼を想い続けるか。あちらの世界で彼を救って、二人で幸せになるか。…はは、すごいね、あんたの人生で究極の二択になるよ!』

自分のことより、私を思ってくれた椿。
背中を思いきり押してくれる椿。

「つまり?一緒に向こうへ行く…と?」
「うん。究極の二択は、後者を選びました」
「そう…。いずれあんたは向こうへ行くと思ってたけど、まさかエースがこっちに来て赤崎を連れて行くとは…考えてもみなかったわ」
「いくらツバキでもリオは譲らねェぞ!」
「ちょっとエースは黙ってて」

ツバキの怒り方、マルコっぽいな。
それは、怒らせたらまずい。という意味だろう。
エースは言われた通り唇をキュッと結んだ。

向こうへ行ったら恐らく、もう二度とこちらには帰って来られない。だから身辺整理を始めることを伝えた。まず初めに、会社を辞める。
就業規則があるのですぐには辞められない。
引き継ぐにも時間はかかるから。
そして、家。家具や家電、その他。
持っていけないのでほとんど処分するつもりだ。

「…あっちの世界へ行くってなったら、あんたの存在は丸ごと向こうに移るわけだよね。私もオタクが長いからこの考えに至るんだけど、向こうへ行った瞬間、赤崎はこっちの世界で“存在しなかった”って…変わるんじゃない?」
「!!それはありえそう…」

額を抑えてため息を吐く椿。

「自分で言っといてなんだけど、信憑性ひとつも無くて笑えるわ。でもそんなこと有り得ない、って否定も出来ないんだよなぁ。エースがここにいるのがまず有り得ないことだからね…」
「リオ、ツバキ。おれ、腹減ったんだけど」
「この自由人!…はー、好きなものを食べて」
「私たちも頼んでおこうか」

緩い空気を醸し出すエースに、椿はより深く長いため息をついた。私より苦悩してる感じだ…。

料理を食べながら今後のことを話す。
途中、エースがフォークにお肉を突き刺したまま、例のポーズで寝てしまい、椿は笑いながら写メを撮っていた。「これが5億の男か〜!」と。

私の存在が残るとしても、消えるとしても。
家は退居することにした。
洋服とある程度の雑貨は椿が預かると申し出てくれたので…遠慮なく、甘える。もしも戻ってきてしまったら、うちへ来なさいよ。
その言葉に涙を浮かべるが、急いで拭う。

「あんたみたいな面白い人、忘れたくないわ」
「うう…椿、離れても友達でいてね…」
「リアルでそれ言われたの初めてなんですけど」
「私も初めて使ったよ!椿も連れて行きたい…」

はた。と。
自分の言葉で気がついた。

カバンにつけているキーホルダーを取り外し、
椿へと手渡せば、私とそれを交互に見る。

「椿、私は椿の願いが叶ってほしい。だからこのキーホルダー、返すね。エースに会えたのもエースが来てくれたのも、椿のお陰だよ。本当に…ありがとう。私、椿が好きだから。幸せになってほしい。椿を想ってる人と一緒に、幸せになってほしいよ!」
「赤崎…」
「願う時は覚悟を決めて。こちらの世界で彼を想い続けるか。あちらの世界で彼と一緒に幸せになるか。椿の人生で究極の二択になるよ!」
「どこかで聞いたことのある台詞じゃん…」
「んふふー!ブーメランだね!」
「言い方!…その通りで笑うわ」

手渡したキーホルダーを見つめる椿。
彼女にしては珍しく、瞳が揺れていた。
賢く優しい椿は、私以上に思い悩むと思う。

「ツバキ、迷った時はシンプルに考えろよ」
「「!!!」」
「びっくりした…。起きてたの、エース?」
「あんた顔面に米粒付いてるよ」

濡れタオルを渡せば豪快に顔を拭く。
そして真面目な表情で椿を見やった。

「会いたいか、会いたくねェか。それだけだ」
「はは、ほんとにシンプルだね…」
「会いたいって気持ちは、前へ進む原動力になる。少しでも会いたいなら、会うべきだ。ツバキにも、悔いを残してほしくねェからな!」
「…悔いのないよう生きてるエースに言われちゃあ、そのアドバイスは蔑ろに出来ないな」

…なぁ。ツバキ、おれのこと知りすぎじゃねぇ?
情報屋とか諜報員に向いてそうだな。
真剣な声色で私に耳打ちしたエース。
…声量抑えてないから椿にも聞こえてるよー!

「あっちの世界と繋がってるキーホルダーを持つ私だけは、きっと赤崎のことを覚えてる…と、思う。正直に言えば、エースがこっちに来てからあの人に会いたい気持ちが大きくなってるんだ。…本当に、覚悟決めなきゃだね」
「待ってるよ、白峰主任!」
「ヨッ!ツバキさん!」
「…このバカップルに感化されたんだと思うと…
うーん、なんだろう。悔しいわぁ…!」

本日三度目のため息。
今度のため息は、暗く重いものではなくて。
椿は静かに俯いて、もう一度顔を上げると。
困ったような顔で…笑っていた。

後は、親に知らせるかどうか。
存在がなくなる可能性があるなら、今のうちに貯金を下ろして親に送るのもひとつの手かな。
うちは良くも悪くも、放任主義だった。
薄情な娘で申し訳ないけれど、私は私の大切な人と共に生きていく道を選んだよ。

それからも話題が尽きることはなく。
時間まで三人、笑い合いながらご飯を食べた。
お店を出て椿とは駅で別れることに。

「じゃあ、また明日ね」
「うん!今日はありがとう、椿!」
「なあツバキ、今さらなこと聞いていいか」
「何?」
「会いたい人って、おれと同じ世界の奴?」

エースの質問に、椿はニヤリと笑みを浮かべる。

「いずれ、エースより強くなる人だよ」
「へェ?おれより?そいつに会えんのが楽しみだ!ツバキの相手でも手加減はしねェからな!」
「エース、絶対痛い目見るぞ〜!」
「……ひょっとして、相手は…ジジィ…?」
「私の守備範囲そこまで広くないから!」
「おれが痛い目に合うならそれくらいの奴だろ!」
「…例えば、海軍元帥とか?」
「!!…お、お前すげぇな…!?」
「んなわけないっつーの!」

二人のやり取りに、思わず笑ってしまう。

椿に手を振って私たちも家路に着いた。
あのキーホルダーが、また。
椿と彼を…引き合わせてくれますように。

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