この不気味な島に不釣り合いな楽しげな声が響く。
一度宴が始まってしまえばなかなか終わらない麦わら海賊団。彼らのお祭り騒ぎを止められる者はなかなかいない。御多分に漏れず、ローもそうだった。

バッファローとベビー5を仕留めたところで安心できるわけではない。シーザーを奪還せんとするジョーカーことドフラミンゴが次はどんな手を打ってくるか予想できない以上、なるべく早く海へ出て姿を隠すというのが最も安全に近い策である。
しかし手短にそう説得したところで意見が変わるルフィではない。ローの忠告など無かったかのように、宴の炎は勢いを増すのであった。

海軍だろうと今まで敵対していた者だろうと関係ない、共通にして最大の敵を討った後は、敵同士慣れ合うななどと無粋なことを言う者は宴の端に追いやられていた。
敵味方関係なく慣れ合うのが苦手な人間が自主的に端に寄っただけで、決して邪険にされたわけではないのだが、誰もが笑い合うこの空気に溶け込めない者が自然に排他されたというのがやはり正しい。

ローとスモーカーは騒ぐ面々を少し離れたところで見物しながら、海賊と海兵の境界を間に、ぽつりぽつりと会話していた。
彼らはこと戦闘において非情かつ冷酷だが、敵はいかなる状況でも滅ぼすというような融通の利かない戦闘狂ではない。思うところがあり、また今はまだ本当の敵がそれぞれ他にいることもあり、暗黙の停戦協定が結ばれていた。

大人しくサンジの作ったスープを飲んでいたスモーカーの元に、彼の部下達が駆け寄る。
シーザーの顔面をペンチで引っ張り毒ガスの弱点を吐かせたと鼻息荒く話す海兵達は、仲間を助けるため島内に戻るとスモーカーに報告するや否や一目散に走って去っていった。

その後ろから、同じくシーザーに何かを問いただしていた女が彼らに歩み寄ってきた。


「どーも。騒がしいのは苦手?」

「あァ……さっきはどうも」

「……」


ゆっくりとした足取りで境界線の真上を綱渡りのように歩いてきたハニーに、スモーカーは返事をし、ローはいかにも不機嫌ですという顔で彼女を睨んだ。彼女はおどけるように軽く両手を上げて可愛いポーズをとった。
先ほどまで己の部下と共にいた彼女に、スモーカーが問う。


「シーザーに何を訊いていた?」

「うーんと……、まあ…人探しを。緑の目が美しい、女神のような女性に心当たりはないかと」

「女神ィ?先刻お前がおれに訊いたのは、」

「それはまた別の人。…どうだった?」


先ほどの仕返しに心臓を抜いてやろうかと物騒なことを考えていたローだったが、話に興味があったのか、構えた右手を下ろした。
そんなことは意に介さず、ハニーは期待と不安の入り混じった声でスモーカーに問うた。


「たしぎに訊いておいた。お前の探している男は、軍の殉職者リストには載っていなかったとよ」

「……!!」


スモーカーの言葉に、ハニーの表情は途端、花が咲いたように綻んだ。


「そう……!!よかった!これ以上無い報せだよ、ありがとう!!」

「あァ……取引だからな。こちらも助かった」


スモーカーの態度にローが驚く。いつの間にこんなに親しくなったのかと、探るように二人を見つめた。
一体何の話だと自然とローの眉間が狭くなる。

ローが一人でヴェルゴと相対している間、スモーカーはヴェルゴを探して広い研究所内を当てもなく探し回っていた。
そこに現れたのがハニーだった。彼女はチョッパーに子供達を託し、一人で研究所内を移動していた。能力によって姿を消し、気配も消して。
ハニーはばったり出会ったスモーカーに取引を持ち掛けた。ヴェルゴのいる場所へ案内することを条件に、海軍にいる筈のとある人を探してほしいと。
海賊と取引など冗談じゃないと一蹴したスモーカーに、ハニーは言った。では、とある国の王女は海賊なのか?
ハニーは乗船こそ許可されたものの正確には麦わら一味ではない。海賊船に乗ったから海賊だと言うのであれば、かの国の王女はどう扱うのかと訳知り顔で反論する彼女に、スモーカーは言葉を詰まらせた。

さらにハニーは言った。海軍は自分の存在を知っていたか?魚人島で自分が暴れた証拠があるか?手配書があるか?悪事の証跡があるか?ハニーは絶対の自信を持って海軍中将に説明した。自分は麦わら一味ではない。目的地が一緒だから同乗させてもらっているだけなのだと。

実際その通りなのである。ルフィはハニーを仲間として扱っているが、乗船の際に彼女がお願いしたのは仲間にしてほしいということではなく、途中まで乗せていってくれないかということだった。

海賊船に乗っておいて海賊ではないなんて証明しようのない理屈が認められるものかとスモーカーは言いかけたが、結局、事態は一刻を争うと判断した彼の方が折れ、二人の間には取引が成立した。
ハニーはヴェルゴの元へスモーカーを無事案内した。今度はスモーカーが約束を守る番だった。

たしぎは、海軍で共有されている情報は大体記憶している。過去何十年にも亘る議事録や、異動名簿、そして殉職者のリストも。
さすがに全世界の海軍所属者リストは膨大すぎて記憶していないが、ハニーが指定したある海域の過去何年かの殉職者の記録はたしぎの脳内に運良く残っていた。

ハニーが探している、海軍に在籍する人物は殉職者には含まれていなかった。
ということは、“彼”は生きているのだ、この広い海のどこかで。そう思うと、ハニーは口角が上がるのを止められなかった。

二人のやり取りを傍で見ていたローは、自分には見せないその屈託の無い笑顔に、ちくりと心臓が痛んだ気がした。


「探し人……海軍にか?」

「そう。ずっと探してるの。初恋の人を」

「あァ?」


両頬に手を添えて乙女のようにはにかむハニーに、ローの眉間の皺が深くなる。

狙っている女が過去の男の死を引き摺っているのではないかという二年間の心の痞えが先ほど払拭され、一つ障害がなくなったと思いきや、今度は初恋の人だと?
絶対に愛しきってくれる人じゃないと嫌だとか、初恋の人を探しているだとか。あんなこと・・・・・を仕掛けてくる割に意外と少女趣味である彼女に、ローは厄介だな、と舌打ちした。
どう考えてもローは自身をそういう趣味の女が好みそうな白馬の王子様タイプとは思えない。その上相手に合わせて変わる気も無い。

彼女を落とすのに一体いくつの障害を潰さなければいけないのかと、ローは溜息を吐いた。それでも諦める気は毛頭無いのは彼の意地だ。彼女に拘る理屈は見つからないが、やられっぱなしではいられない。


「なんだよーお前ら、そんな端っこで!こっち来て肉食え肉!なくなっちまうぞ!」

「ハニーあんたコートの下濡れた服着っぱなしでしょ。私の服貸してあげるから、着替えてきなさいよ」


三人の元に現れたのは、ルフィとナミだ。
一通り子供達の無事な様子を見たナミは、これ以上海賊が子供達に深入りするのは彼らのために良くないと判断して宴を離れた。
差別的ではあるが面倒見の良い彼女は、ついこの間増えた女友達の姿が見えなくなっているのを心配して探していた。
彼女は時々酷く存在が儚く思えてしまう。いつの間にかいなくなってしまうのではないかという不安がナミの中にはあった。

そんなナミに対して、ルフィはそういう類の心配は全く考えもつかない。
楽しい宴の中ふと遠くに視線を向ければ、辛気臭い男二人と自分の仲間がそこにいたから突撃していっただけだ。


「ありがと。でも大丈夫。能力で飛び回ってたらいつの間にか乾いてたよ」

「そう?ならいいけど。あんたの能力って便利よねえ。金庫に忍び込むのも簡単そう」

「いや、壁抜けはできないんだけど……」


すり抜けられるとしたら人体だけかなと言いながら、ハニーがナミのお腹に向けて手刀を刺し込んだ。
手はナミの背中で実体化したが、ナミの体は当然のように無傷だ。傍から見たら、ナミの腹に腕が貫通しているように見える。
子供達には見せられないわね、とナミは手刀が刺さったまま軽快に笑った。


「“ツキツキの実”の……『憑依人間』ってところか?」

「あら。ローさんご明察」


その様子を見ていたローが推察を口にすると、ハニーは感心したように手を叩いた。
普通、能力者は能力を知られたくないものだが、彼女は別に気にしていない。ローの事を敵だと思っていないからである。
スモーカーに知られたのは少しまずかったかとは思いつつも、彼に『ハニーは海賊ではない』と認識させた以上、今はまだ脅威と言うほどのことではなかった。


「そう、生き物に憑りついて思うままに動かしたり、少しの間、姿の見えない霊体になったりできるの。あまり戦闘向きではないね」

「なァ、それって“超人系パラミシア”なのか?“自然系ロギア”なのか?」

「ええ?考えたこと無かったなあ……どっちだろう?」


ルフィに訊かれ、ハニーは首を捻る。
『憑依人間』であるからして、何かに憑く前の状態は霊体ということになる。謂わば魂だ。
人間の技術によって作り出されたものは自然とは言い難いが、人間の魂は自然と言えるだろうか?

悪魔の実の分類を誰が考えたのか定義もはっきりはしていないから、ハニーは自分の能力がどちら(動物系ではないだろうからして二択)なのか深く考えたことは無かった。


「あァそうだ、覇気使わずに殴ったら分かるか!“ゴムゴムの”〜…」

「え?」

「“ピストル”!」


バチィン!と激しい音が響く。降り積もる雪も吸い込みきれないほどの破裂音。
肩が燃えるように熱い。そう思った時には、ハニーは受け身も取れず雪の上に尻もちをついていた。

あまりに突然のことに避けようがなく、ルフィのほんの軽い気持ちで放った肩パンは狙った通りにハニーの肩を打ち抜いた。
同様に、突拍子もない何の躊躇もない仲間への攻撃に度肝を抜かれ、周りの人間も咄嗟に反応できなかった。
何の悪気も無い行為に殺気も何も感じられなかったのだ。
今までたくさんの屈強な男たちと戦ってきたルフィは自分の体力や丈夫さを基準に考えるため、通常の人間の体が意外と脆いということを忘れがちなのである。

一番先に我に返ったローが、唸るように喉を震わせて刀を抜いた。


「麦わら屋、そこに立ってろ……バラしてやる」

「アンタ何してんのよアホかァ!!!」


続いて我に返ったナミが、ルフィに痛烈なビンタをかました。
そのままルフィに往復ビンタをしているナミの勢いに阻まれて、ローは抜いた刀を振るタイミングを失ってしまう。
しかしそれで溜飲が下がるわけでもなく、ローは抜いた刀を持ったまま鋭くルフィを見据えていた。
そんなローに向かって、ハニーが手を伸ばした。

ルフィへの制裁をローが下すのは違うと思ったからだ。
無表情の奥に燃え滾る怒りの炎が見えた気がして、彼女は慌ててローを止めようとする。
サンジのような反応だと彼女は不思議に思った。この男、こう見えて実はフェミニストなのだろうか。

ハニーがそう考えているのと同時に、ロー本人も自分の感情に違和感を覚えていた。

他の船の仲間内でのトラブルに口を挟むような自分ではなかったはずだ。

しかし彼女が傷つけられたことに対して、ローはルフィに激しい怒りを覚えた。
これではまるで、執着というより――――

思考が感情に追いつく直前、コートの裾を引かれて、ローは弾かれたように彼女を顧みた。
加害者を責めるより治療が先か、と尻もちをつく彼女の傍に跪き、怪我の状態を見るため服を脱がせようとする。
鎖骨の間にある第一ボタンを外したところで、彼女が声を荒げた。


「ちょ…ロー、いいよ!チョッパーに診てもらうから!」

「何でだ。おれも医者だ」

「いや、何でってわたし麦わら海賊団にお世話になってる身だし、主治医はチョッパーだし、一刻を争う怪我じゃないし、チョッパーすぐそこにいるし」

「そんなこと言ってる場合か。いいから脱げ、患部を診る」

「や、やだ」

「脱げ」

「やだ!」

「脱がすぞ」

「もっとやだ!」

「何やってんのあんた達」


押し問答をするハニーとローに、ルフィへの制裁を終えたナミが割り込んでくる。
いちゃついているように見えなくもなかったが、すぐそこにチョッパーがいるのにわざわざまだ得体の知れない男に肌を見せたくないだろうとナミは判断した。

邪魔が入ったとばかりに荒々しく舌打ちしたローに、自分の判断は間違ってなかったとナミは心の中で頷く。
彼女は先程からローがハニーを見る目が普通ではないと思っていたのだ。
眼光が鋭いのは生まれ持ったものだろうか、周りの人間を平等に睨んでいるように見えるが、ハニーを見る目は何だかギラギラしていてとても穏やかな感情を抱いているとは思えなかった。

そこへチョッパーが救急箱を持って慌ててやってきた。
いつの間にか姿を消していたスモーカーが巻き込まれるのを回避するついでに、船医であるチョッパーを呼びに行ったのだ。


「ハニー〜〜〜!どうしたんだ!? うわァ!!肩の骨が外れてる!!一体何したんだ!?誰がこんなこと!!」

「チョッパー、落ち着いて?脱臼くらい、しゅじゅちゅが必要な訳でもないでしょう。大袈裟だよ」

「声震えてるし噛んでるし顔真っ青だよ!!強がらなくていいから!!」

「完っ全にルフィが悪いんだから!こいつに気を遣わなくていいのよ!?」

「見えなぐなるじ黒いモクモクみでェだがら“自然系”だど思っで……」


ナミの言葉と、両頬が腫れ上がったルフィを見て、チョッパーはルフィがまた何かをやらかしたのだと悟った。
そしてその隣でハニーの服を脱がそうとしているローは何なんだろうと思った。

「ごめんな、痛いぞ」と言って、チョッパーがハニーの肩を正しい位置に嵌め込む。ゴギ、という鈍い音と同時に、彼女が痛みを堪えるように呻き声をあげた。


「あァっ……!!」

「……」


その傍らでローは不純なことを考えていた。痛みを耐える様子が実に色っぽいなどと。
皆、脂汗を浮かべて痛そうにしている彼女に注目していてそんなローに気付く者はいなかった。

ハニーの腕を添え木で固定しながら、今度はチョッパーがルフィに説教をする。可愛らしい姿であるので迫力は無いが、とんでもなく怒っているのはルフィに十分伝わっていた。
しょぼくれた顔でルフィが改めて彼女に謝る。


「ゴメンナサイ二度としません」

「あはは。ルフィじゃなかったら怒ってたよ」

「いやちょっとは怒れよ!ルフィはまたやるぞ!!」

「痛いのは慣れてるよ。昔から」


そう言って笑ったハニーに、ローは彼女の過去を想像せずにはいられなかった。
平和な世界とは言えないこの海を旅してきたなら、辛い過去の一つや二つ持っていてもおかしくはない。自分にもある。
彼女の表情は快活だ。痛みも何も気にしていないと言うのなら、言葉の通りを信じられるほどの笑顔。

だが、疑ってしまう。おそらく彼女は本心を隠すのに長けている。他人の意識や行動をある程度操ることができるのなら、自分の表情の操作くらいお手のものだろう。
その笑顔が本物なのか偽物なのかいつか見破ってみたいと思うのも、彼女に興味が尽きない一因だろうか。

チョッパーに促されて船内に戻っていく彼女の背中を見送って、ローは思う。
ハニーを手に入れるには彼女をもっとよく知るべきだ。

二年前から気掛かりだった女に偶然再会したことには何か意味があるのだろう。
為すべきことを為した暁には、彼女を傍に置きたい。

いつまでもハニーの背中を追っているローを見て、ナミは面倒なことにならなきゃいいけど、と肩を竦めた。



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