アルパシアについて、話には聞いていたローだったが、実際に来るのは初めてであった。アルパシアという国の存在も知らなかった麦わらの一味も然り。

要塞国家、その意味は遠くから見ただけでもよく分かった。海との境目から垂直に高く高く伸びる石の塀は、島の中の様子を窺うことすら許さない。

決して小さくはない島に頂上が霧がかって見えないほどの高さの塀を外周分築き上げるのは、長い年月と多額の資金、労働力が必要だっただろう。
リスクを冒してなお築いた壁は、一目に分かるその圧倒的な防御力で、未然に戦争を防いできた。
そうして守られる三十六の港は、絶対安全な取引の場として、世界の物流の中心となっている。

サウザンド・サニー号が錨を下したこのRain-6港も、その一つだった。


「エレーナさん」

「あなたいつも急なのよ」

「えへへ、ごめんなさい」


高い塀には番号が振られており、麦わら一味はハニーが指示したRain-6港を探して島を半周した。
港は皆一様に大きな扉で封鎖されており、とても人力で開けられるようなものではない。
探していた港は他の港と違って、そこから外の様子を窺うのだろう、扉の横に黒いガラスが嵌め込まれている。それが目印だった。
事前に連絡していたおかげで締め出しを喰らうことはなかったが、出迎えた人物はかなり億劫そうで、開口一番ハニーを窘めた。


「来るならいつも一週間前に連絡しなって言ってるのに。もてなす用意もできやしない」

「お構いなく。紹介するね。麦わら海賊団。縁あって、船に乗せてもらってるの」

「細かいことは訊かないわ。明日までこの船は安全に預かってあげる」

「ハニーの知り合い、いいやつだなー!ありがとな!」


ルフィが満面の笑みで礼を言う。顔中に煤のようなもので模様を描いた上、ヘルメットのようなもので中途半端に顔を隠したその女性は、笑顔でそれに応えた。


「“麦わら海賊団”ね。なかなか大物の船に乗ってるじゃない。驚いたわ」

「あんまり知られたくないから、誰にも言わないでね」


サニー号は、塀の上から一斉射撃をされるようなこともなく無事入港した。
彼らを迎えるためだけに開かれた門はスイッチ一つで再び閉ざされる。エレーナは船が流されないよう固定するボラードに片足を乗せてサニー号を誘導した後、門を閉めた。

シーザーの見張り役として、船のメンテナンスを兼ねて残ったフランキー以外、島で自由行動となった。
明日の集合時間と船番交代の時間を決め、各々の予定を軽く確認したうえで解散とする。
とはいえどこに何があるかも分からない町で予定の立てようもないので、あくまで軽くだ。集合時間は明日の正午。それまでの自由時間。


「ん?ゾロ、行かねェのか?」


港を出て街へ向かおうと歩き出したチョッパーが、数歩歩いてからゾロがついてきていないことに気づく。
ゾロはすぐ迷子になるため、集合時間は分かっても集合場所に戻ってこられない可能性が高い。
少しくらい出航時間をずらしても構わないいつもと違い、今回は綿密な計画に基づくスケジュールが組まれているので、彼のせいで大幅に出航を遅らせる訳にはいかなかった。

そのため今回はチョッパーが彼と共に行動することになっていたのだが、彼は再会を喜ぶハニーとエレーナの方をじっと見つめていて、考え事をしているようだった。


「おい、ゾロ?どうしたんだ?」

「……何か、違和感があってな」

「?」


首を傾げて、チョッパーも二人の方を窺う。
彼の目から見て特に何の異常も感じられない。

ゾロとチョッパーの視線に気が付いたのか、エレーナが振り向き街へ出ようとする麦わらの一味に声を掛けた。

アルパシアは国の中央を走る大きな山のおかげで水が綺麗な国だ。
水が綺麗な国では味の良い酒が造られることが多いが、アルパシアも例外でなく、酒類はこの国が誇る数少ない自国の生産品だ。その酒に合う独自の料理もたくさん種類がある。
また塀に守られているおかげで古くから貿易が盛んで、材料もあらゆる国からたくさん手に入るから、精密機械を作る職人が多く航海の役に立つものも多いだろう。
港では市場も盛大に開かれており珍しいものが見つかるかもしれない。

エレーナが親切にも説明すると、ルフィなどは早速、刺激を求めて町に繰り出していった。
ゾロも少し気掛かりを残したような顔で、しかし酒の誘惑には勝てずチョッパーを伴って出ていった。


「あれ。ロー、きみは行かないの?」

「いや、行く。お前はどうするんだ」

「わたしはエレーナさんと少し話があるから。いってらっしゃい。気を付けて」

「…ああ」


ローは短く返事をして、船から降りて町へ向かう。
去っていくローと、その背中を少しの時間も見送ることなくエレーナの方を振り返り話し始めたハニー。
そんな二人の様子を、ナミとロビンがじっと見ていた。
準備をしていてまだ船から降りていなかった二人は、どちらからともなく彼ら二人の関係を考察し始める。


「あの二人、何かあると思うんだけどねー。さっきの、トラ男、ハニーを町に誘ったんじゃない?ハニーは気にしてないみたいだけど」

「ふふ、苦労するわね」

「そーね。トラ男がハニーのこと気にしてるのは分かるけど、なーんか目つきが普通じゃないのよね」


ナミはハニーがルフィに脱臼させられた時のことをロビンに語る。
執拗に彼女の服を脱がせようとするローの様子にただならぬ気配を感じてストップをかけたのは彼女だ。

思えば、パンクハザードを出て船内に居る時も、ローがアクアリウムバーをきょろきょろと見回していることがあった。
自分の部屋も船での役割も持たないハニーは基本的にバーのソファで過ごしているのだが、あの時はたしか暫くどこかに姿を消していた。
同盟を組んだとはいえ他の海賊の船に乗っているため、船内を警戒して観察しているのかと考えていたが、あれはもしかしたら彼女を探していたのかもしれない。

死の外科医という物騒な二つ名に、得体の知れない能力、横柄な態度。
ハニーは強気に突っかかったり躱したりと上手く接しているようだが、アレに好かれるとなると、苦労は絶えないだろう。

絶対女を下に見るタイプよ、とナミはロビンに言った。


「あら、苦労するのはハニーじゃなくて彼の方だと思うわよ」

「え?」


ロビンが意味ありげに笑う。


「ハニーを攻略するのは難しいと思うわ。性格も難しいけれど、立場もちょっと複雑なの」

「性格、…ああ……そうかもね。誰とでも仲良くなれるけど、心の奥は簡単には見せてくれない気がする。それはいいけど、立場って?」

「それは私が話していいことじゃないわね。ハニーに直接訊くといいわ」


ロビンの言い方には含みがある。
またこういう言い方をするんだから、とナミは苦笑した。

二年間、それぞれが違う環境で己の力を磨いている間にロビンが知り合っていたハニー。
ロビンが連れてきた以上、彼女は信用できる相手だったが、彼女は自らのことを多く語ることをしなかったのでまだ謎に包まれた部分が多い。
同じ船に乗ったからといって最初から心の内を見せないのは全く構わない。ナミだって最初はそうだった。いつ裏切るか考えていた自分より、きっとマシな人間だろう、彼女は。

女部屋で三人、寝る前に話をすることはあったが、彼女は麦わら海賊団の経験してきた変な島や動物の話を聞きたがり、しかも聞き上手だったので、大抵喋るのは自分かロビンだった。

直接訊けというなら、そうしたら答えてはくれるのだろう。


「言いたくないことはちゃんと、言わない子だから」


ロビンが付け足した言葉を聞いて、少し安心する。
言いたくないことを言わせるつもりはない。誰にだって隠したい過去はある。

正式に仲間なわけではない。彼女はいずれ船を降りる予定だ。必ずしも彼女と距離を縮める必要は無いのに、なぜか構ってしまう。

彼女は能力を使う時のビジュアルのせいか、ちゃんと理解して繋ぎ止めておかないと、海の底にでも消えていきそうな雰囲気なのだ。
それをロビンに言うと、よく見てるわねと返されたので、それはロビンも感じていることなのだろう。
トラ男ももしかするとそういうところに惹かれているのかもしれない。


「…でも、やっぱりハニーが心配だわ」

「あら、どうして?」

「トラ男、ハニーと今すぐ距離を詰めたいって感じなんだもん。そのうち強引に迫りそう」

「ハニーはそういうのにも慣れてるけど…、そうね、あの態度は私もどうかと思うわ」


今までも、彼女が男に言い寄られるところをロビンは何度か目撃している。
その度に彼女は時には宥め、時には賺し、それでも強硬手段を取った相手には不意を衝いて反撃、抑え込まれそうになったら能力で意識を失わせた。その後、ロビンが大丈夫かと声を掛けると、まるでお茶会の最中にいるような穏やかな笑顔で「何が?」と余裕を見せるのだ。

しかし今回は相手の格が違う。何と言っても七武海である。
パンクハザードで一度、彼女にやり込められたからには、彼に同じ手は通用しないかもしれない。
紳士とまでは言わないが女を無理やり手籠めにするような男ではないと、ロビンもナミも思っている。しかしハニーへの態度を見ていると、何かの間違いが起こりそうな気もする。

彼がこの船にいる間は一応気を付けて見ていよう。彼女達は誓った。

そんな話をしているうちに身支度を整えた彼女たちは彼らについての話題を打ち切り、街へ繰り出した。



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