この国の日暮れは早い。
午後4時には町が赤く染まり始め、5時になる頃には辺りは薄暗くなる。

国民は早い日暮れに合わせて、定時が来れば一斉に仕事をやめ店を畳み、家か酒場に直行する。
そして酒場では飲むだけ飲んだら日付が変わる頃にはとっとと帰宅するのが、アルパシアの国民の一般的な生活である。

Rain-6港から近い町で一番大きな酒場に入る。
大衆居酒屋でありながら、下品な雰囲気の無い、どの年齢層でも楽しく騒げそうな店だ。
カウンターの前にずらりと並べられた席のうち、入り口がよく見える場所を陣取って、アペロール・スプリッツをオーダーする。
テーブル席も含めてまだ人がまばらな店内で、人の声に耳を傾けた。


「北北東エリアの掘り出し物市に行ったけど、素晴らしかったわ。本物のユニホーンの角が売りに出されてた」

「彼女が浮気したんだ。絶対に許せない。おれはどうしたらいい」

「W-59港の収益が悪いらしい。あそこは西の海の特産物がメインだったか?港主があの手腕じゃあな」

「そこであいつ、何て言ったと思う?『その青臭い態度は何なの?』だってよ!」

「おい、カウンターのところ。綺麗な女だなァ。お前、声かけてこいよ」

「いっそ遠征にでも出ればいいんだ。自給率が上がらんのなら」


話題や服装から、話者の職業を推察する。内職、民兵、貿易、貿易、貿易、民兵。
どうもお国柄がよく表れている職業の比率だ。国の中心に行けばここまでではないのかもしれないが、港に近い町だと貿易関係者と自衛民兵が多くなるのは当然だろう。

彼らに用はない。今日のターゲットは決まっている。港の主だ。
商売で何より重要なのは情報である。不漁、需要、流行、天候、交通状況、政治。港を持ち貿易を生業とするのであれば、有益な情報は金を出しても買う価値がある。
お世話になっているエレーナに、お土産の一つでも持って帰りたいところだ。

何より、ドレスローザの情報も仕入れたい。
ドフラミンゴに喧嘩を売るのだ。同じ七武海とはいえ、ルーキーのローとは実力は比べ物にならない筈。ルフィ達が傷を負わずに済むように、わたしにできることはしておきたい。

この酒場に辿り着く前にも情報を集めていた。
一日あれば行き来できるほど島同士が近いのだ。ドレスローザと交易している港主が一人や二人は必ずいるはず。
そう考え、市場でドレスローザの特産品を売っているところを探し店主から商品を卸した港主の情報を引き出した。

幸いにも、サニー号のあるRain-6港から近い港の主が、十年ほど前からドレスローザと交易していることを知った。
十年というのが気になる。これは最初から当たりの予感がしている。
そして港主が毎日のように通うという酒場がここであることも突き止めた。

今わたしはその港主を待っているのだ。
ここのご飯よりもきっとサンジのご飯のほうが美味しい。だから勿体ない気もするが、時間を潰しがてら何か食べていこうか。この時間にお酒だけ飲むのも不自然だ。

船だと魚が多いから、お肉かな。
オーダーをお願いしようとしたところ、カランと扉が開く音が聞こえて、そちらを窺う。
如何にも港で力仕事をしてきたといった風貌の大柄な男が店内を見回してから、こちらに近づいてきた。


「よォ、寂しいね姉ちゃん。彼氏に振られたかい?」


センス皆無の声掛けに内心吹き出しそうになりながら、横目でちらりと男を見遣る。
顔を向けたら会話する気があると見做されてしまうかもしれない。相手にするのも面倒なので「ええ、独りで飲みたい気分なの。放っておいて」とだけ言って、視線を正面のグラスに戻した。


「勿体ねェなあ。おれと飲もうぜ。慰めてやるよ」

「間に合ってるよ。他をあたって」

「可愛くねェこと言うなよ、なあ。こっち向け」


この時間に既に深酒をしているのではないかというくらいの無様な食い下がりように、吹き出しそうになっていた気分から一転、不愉快な気持ちになる。

言いくるめるのが効かない場合は、力づくでご退場いただかないとな。
港主が来る前に済ませてしまいたいから、能力を使ってしまおうか――――

とその時、大柄な男の頭上から不機嫌な声が降ってきた。


「退け」


冷えたセリフはそう大きい声でもないのによく響き、カウンター周囲の温度を下げた。
カウンター内の店員と大柄な男が固まる。

男の背後を窺うまでもなく、声の主には心当たりがある。威圧的だが妙に落ち着く良い声だ。

可哀想な店員に同じのをもう一杯と声を掛けると、店員はそそくさと奥に入っていった。
再び横を窺うと、男はどう見ても堅気ではない彼の雰囲気に飲まれたか、大太刀を手にしているような輩に関わるまいと思ったか、酒場から出ていくところだった。


「随分とイイ女が絡まれてると思ったら、お前か」


立ったままカウンターに肘をつき、ローが口元を歪める。覗き込むようにされると、目を合わせないわけにはいかなかった。
なぜ普通に笑えないのだろうか。子供が見たら泣き出しそうな笑顔だ。
大人が見たら、それさえも様になると思ってしまうのだけれども。


「びっくりした。キミ、まともな口説き文句も言えるんだね」


こちらも微笑んで返すと、ローは眉間に皺を寄せた。


「可愛くねェ女」

「冗談だよ。助けてくれてありがとう。でも、あれくらい自分でどうにかするよ」

「あァ、慣れてそうだ」

「ふふふ」


思った反応が得られなかったのか、溜息を一つ吐いて彼はわたしの隣に座った。
そのタイミングで、店員が恐る恐るわたしの追加したカクテルを出してくる。

この国は海賊とはほぼ無縁だ。わざわざ荒くれものを国に招き入れるほど取引相手に困ってはいない。
よほどメリットのある取引でなければ海賊と繋がりを持とうとは思わないだろう。
個々の考えはどうだか知らないが、大体の民意は、面倒ごとを海外から持ち込むのを嫌っているように思える。これは昼間の情報収集の折に気付いたことだ。

酒場の店員というものは大体が荒事に慣れているものだが、そういう訳で、ここの店員は危ない雰囲気の人は苦手なようだった。


「こいつと同じのを頼む」

「ロー、これちょっと甘いよ。別のにしなよ」

「別に嫌いじゃねェ」

「飲んでみる?」


自分のグラスを差し出したわたしの顔をローが意外そうな表情で見つめる。
味見という意味で合理的なことを言ったつもりだったが、お気に召さなかっただろうか。潔癖ではないはずだが。


「貰う」

「はい」


つい、とローの方にグラスを押し出す。
舐めるように一口。グラスを持つ節榑立った指がセクシーで、思わず見つめてしまう。


「いい。これを貰う」

「あら、意外。店員さん、同じのをもう一つお願い」


気に入ったようだ。
なんとなく、彼は甘い酒は苦手だと思っていた。まあ甘いと言っても、これはスッキリしているから飲みやすい。食前酒に良いと思ったのかもしれない。

ほどなくして店員が戻ってきて、前にグラスの無いわたしの前に新しいアペロール・スプリッツを置いた。
新しいグラスをローの方に寄せて、元のわたしのグラスを返してもらおうとすると、拒否された。


「これでいい」

「なんで」


どうあっても元のグラスを渡してくれない気配だったので、諦めて新しいグラスに口をつける。
人の出入りを確認するために出入口の方を向くと、ローがわたしの方を見ていた。

だからその目をやめて欲しい。普通に見ているだけなのかもしれないが、睨まれているように感じる。
わたしが何をしたというのか。したけど。
責められているように感じるのはわたしにやましいことがあるからだ。


「言いたいことがあるならどうぞ」


徐々に賑わい始めた店内。まだ一杯になるには程遠いが、人目はある。
妙なことは仕掛けづらいだろうと判断して水を向けてみた。手を出しづらい時に少しくらい怒られていた方が後々の仕返しが軽いだろうという打算である。


「おれに恨みでもあんのか」

「恨まれる理由に心当たりは?」

「無ェよ」

「なら恨んでないんじゃない?」

「その物言いをやめろ。お前、怒ってんのか?」

「怒らせる理由に心当たりは?」

「だから無ェよ」

「なら怒ってないんじゃない?」

「……」


絶句したローが、代わりに視線で殺しにかかってくる。
彼はまだわたしに変なイメージを持っているようだ。わたしは外見ほど大人しくないし、滅多に怒らないと言われることは多いがそういう訳でもない。
確かに彼に対しては多少攻撃的だが、居候先が同盟を組んだだけの遠い関係だ、この態度は自然な態度の範疇に十分含まれるはずだ。
海には周りを気にしない荒くれものが多い。海賊なんかやっていたら、変に阿った言い方をする人間の方が周りには少ないはずだ。
そこまで気にするものでもないだろうに。

普通に文句を言ってくるならちゃんと怒られるつもりだったのに、遠回しな言い方をされて、ついこちらも捻くれて返してしまう。
ガス抜きをさせるつもりが、却って怒らせただろうか。


「…言い合いをしにきた訳じゃない」

「うん?一番大きい酒場だから来たんじゃないの?」

「いや」


なるほど、一度船に戻ったのか。
フランキーが直接言ったか、誰かに話したのを又聞きか何かしたらしい。

外泊できるこの機会にローが敢えて他人の船で過ごすとは考えられなかった。
ローでなくとも、船乗りたちは島に上陸すれば、お金に余裕がなかったり治安が悪かったりしない限り宿をとるものだ。長い時は数か月海に揺られるのだ、機会があればできるだけ陸で眠りたいのが人間だと思う。
だから島に宿を取っているのだろうと予想していたが、何かしら用事があって一度船に戻ったらしい。そこでわたしがここにいると聞いた訳だ。

意図を探るために彼を見つめる。
あまり親しくない人間に正面から見つめられると、大抵の人は視線を逸らす。しかし彼はいつまで経ってもわたしから目を離さない。

まるで口論の代わりに視線で競り合ってるみたいだ。

彼もそう感じているとしたら、一歩も引かないわたし達はお互いに大人気ない。


「お前と話をしにきた」

「話……」


どくん、と心臓が跳ねる。冗談めいたセリフで茶化しでもしてくれればよいものを、この男は滅多に笑わないから、凄みがある。
緊張を悟られないよう唾を飲み込むのを我慢して、気の抜けた顔を用意して応える。
仮面を被るのはお手のものだ。彼に対しては絶対の自信はないけれど。


「何の話かな」

「特に何という訳でもない。お前のことが知りたいだけだ」

「……」


顔に出さないせいで自分の感情も読めない。自分でもよく分からない混ぜこぜの感情を一つでも読まれないために、目を伏せた。
大丈夫。ローは冷静で頭もよく回るが、人の動作一つで思考を読み取れるほど観察眼に優れているわけではない。
心臓の音が聞こえる距離でもない。わたしの考えなど、彼には分からない。分かる訳もない。


「キミとお喋り?生憎、キミの興味を惹けるような話題は無いなあ」

「何でもいい」

「それが一番困るんだよ」

「名前、年齢、出身、好きな物、嫌いな物、家族構成……色々あるだろう」

「“情報屋”にタダで情報を売れって言うの?」

「高慢だな。お前の個人情報にどれほどの値が付く」

「ムカつく絶対教えない」

「…ここの代金くらい持ってやるよ」


わたしの情報は酒代程度なわけ?というセリフを用意していたが、やめておく。それはさすがに捻くれ過ぎだ。また口論になるのは目に見えている。
年齢や好みに値が付くほどわたしの身分は高くないし、仕事に支障が出る訳でもない。
そんな些細なことをここで隠すのも性格が悪いか。


「でも、名前はもう知ってるじゃない」

「フルネームを知らない。言いたくなかったら言わなくてもいいが」

「うん。家の名前、あんまり好きじゃないんだ」


世の中には、碌でもない親もいるのだ。
母親性なら名乗りたかったくらいだが、わたしは母親の性を知らない。
知る機会は絶たれてしまっている。二度と故郷に帰るつもりはないのだから。

何の問題も無い仲の良い家族の元で育った彼には、理解はできても実感はできない感覚だろうか。本来、一番の味方であるはずの親に危害を加えられるという経験が無いと。


「……」

「まあ、他は答えられるよ。26歳、“北の海”、綺麗なもの、醜いもの、父母と妹が一人」

「“北の海”か」

「キミのことは知ってるよ。共通点が多いね、わたし達」


グラスを一気に空にして次の酒を頼む。促すと、ローも同じく呷った。

なんとなく気まずくなって、グラスについた水滴を手慰みに突く。
家の事を思い出すと気分が暗くなる。
ローもそれを感じ取っているのだろう。こういう時、彼はフォローではなく沈黙を選ぶらしい。

不機嫌に黙り込んだとでも思っているだろうか。そっちから話せと言ってきたのだから他の項目から話題を広げるとかしてほしいものだ。

わたし達の前に新しいグラスが置かれる。
沈黙に耐えられなくなって、気になっていたことを訊くことにした。
気になってはいたが、地雷を踏む予感がしてなかなか訊けなかったことだ。アルコールが入った状態でしか訊けないだろう。


「ローはどうして、わたしのことは屋号じゃなくて名前で呼ぶの?」


ルフィを麦わら屋と呼ぶのを始め、彼は麦わら一味を全員屋号で呼ぶ。
ゾロやロビンは苗字だが、ルフィやサンジは通り名、フランキーとウソップとブルックは特徴だ。屋号で呼ぶという以外、特に縛りやルールは無く、呼びやすいように呼んでいるように思える。ナミの通り名は“泥棒猫”だけど、ローは彼女のことを“ナミ屋”と呼ぶ。
なんでだろう、思い至らないだけで、彼なりに他のルールがあるのだろうか。


「わたし、屋号で呼ぶとそんなに呼びにくいかな?」

「…あァ、そうだな。お前は呼び捨てのほうが呼びやすい。嫌なら呼ばねェ」

「嫌じゃないよ。でも、発音的には呼びにくくはないと思うけどなあ。…なにか心理的な理由でも、あるのかな?」

「“言いたいことがあるならどうぞ”」

「イヤな男」


探り方が露骨に思えたのか、やり返す機会を窺っていたのか。意地悪を言う彼に舌を出してそう言うと、彼は愉快そうに喉で笑った。
こういうやりとりを望んでいたのかもしれない。会話においても、自分が上の立場でいたい訳だ。
イヤな男と口では言うが、そういう人は別に嫌いじゃない。

躱された質問は捨ておくとして、彼の名付けルールを暴いてみたくて新たな質問をしてみた。


「じゃあ、仮に屋号で呼ぶとしたら、わたしのことはなんて呼ぶの?」

「エロ屋」

「なんで!!?」

「本気で驚いているとしたら頭診てやるよ」


この呆れ顔である。
そのまま情報屋とかいろいろあるだろうに、大変不名誉だ。心当たりは大いにあるが、ほんのちょっとしたただのお遊び程度の可愛い悪ふざけに些細な八つ当たりが加わっただけだというのに。
わたしに対する接し方を見ても、彼は女性にあんな仕打ちを受けたことはなかったのだろう。
かなり色濃く記憶に残ったとみえて、思わずニヤついたのを見咎められた。

視線から逃げるようにフードメニューを眺める。先ほどの男に声を掛けられて忘れていたが、夕飯はここで済まそうと考えていたのだった。


「船には戻らねェのか。おれにとっちゃ都合が良いが」


フードメニューを眺めるわたしを見て、ローが問うてきた。
何が都合が良いと言うのかしら。


「ああ、そうだ。言うのを忘れてた。そこに座るのはキミの勝手だけど、わたしはすぐ移動するよ」

「戻るのか」

「ううん。自分の役割を果たそうと思ってね。ドレスローザの情報を持ってる港主を待ってるの」

「“情報屋”の役割か」

「そう。居候してるばかりじゃ……あ」


酒場の扉が開いて、水夫らしい恰好をした男たちが数人入ってきた。
最初に入ってきた人物だけやけに身なりがいい。いかり肩、額の左に傷跡、オールバック、右手親指に銀の指輪。
ドレスローザの品を扱う店主に聞いた特徴に当てはまる。目当ての人物だ。


「それじゃご馳走様。一人で飲みすぎないようにね」


奢ってくれるということなので、ありがたく席を立つ。
上着を脱ぐと、ノースリーブの肩を夜の空気が冷やして、体が火照っているのを自覚する。
やはりお酒の前に何かお腹に入れておくべきだったか。

背中を刺すような視線を無視して、港主から情報を引き出すべく彼らの方へ向かった。



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