彼女の頼んだものと同じアルコールを舐めるように飲む。
いつもはこんな酒をこんな風にチビチビ飲むことはしないが、今日は仲間のバカ騒ぎの中にいる訳ではない。グラスを一気に空けるような気分ではなかった。

我ながら似合わない可愛い酒を手元で遊ばせながら、隣の空席を窺う。
彼女が最後に呷っていったグラスは回収されずにまだ残っている。店員は出来るだけおれに近づかないようにしているらしい。

ついさっきまでこの席に座っていた女は、今はカウンターからも様子が窺えるテーブル席に居ついている。
水夫の恰好をした男が三人、仕立ての良さそうな服に身を包んだいかり肩の男が一人。
いかり肩は座り方からして偉そうで、水夫達はいかり肩に媚びている様子だ。それなりの地位にいると見える。
この国でそれなりの地位というと、港主。
ドレスローザの重要な情報を握っていると思しき人物に彼女は上手く接触できたようだ。

科を作って男に気があるフリを見せる彼女に、心の内がざわつく。

彼女にも腹が立つし、港主の男にも腹が立つ。彼女が体のラインが出る服を着ているのを良いことに、港主は彼女を舐めまわすように見ている。

目を抉り出してやろうか。と思うと同時に、港主には同情の気持ちもあった。
あの港主も、今から彼女の掌の上で転がされるのだろう。
港主は利用されているだけでハニーには男が望むような気持ちはこれっぽっちも無いのだ。そう思わなければ今すぐにでも乗り込んでしまいそうだった。

彼女が港主に笑いかける。笑顔に不自然さは感じられない。
仕事をゲームのように楽しんでいるのだろうか、完璧な笑顔にはいかがわしい視線を向けられる不愉快さの一つも見出せない。

彼女の表情はどこまで信じていいのか分からない。
彼女のしていることが情報収集であると、そのことを念頭に置いていても、一般人が歓談しているだけのように見える。
それは彼女が“情報屋”として優秀であることを示している。同盟を組んだ相手が優秀なのはいいことなのに、もどかしい思いがある。
まだ短い付き合いのおれには彼女の本音を暴く術を持たない。
くぐってきた修羅場の数は決して少なくないはずなのに、――――彼女に負けているみたいで気分が悪い。

そんなおれの胸中に対して、彼女が座るテーブルは実に盛り上がっていた。港主は場の雰囲気を和らげる彼女にものの数分で気を許したようで、気分よさげに何かを語っている。


「……」


港主といえば、おれ達が無事に入港できたのはハニーの知り合いがいたからだ。
エレーナとかいう女、彼女も相当の地位にいるから港主になれたのだろうが、そんな権力者がハニーとどういう関係だろうか。

情報屋ともなれば、あらゆる島に知り合いがいてもおかしくない――――のか?
ハニーは“北の海”出身だと言っていたが、“偉大なる航路”に入ってどのくらい経つのだろうか。
口ぶりからすると、故郷には長年一度も帰っていないようだったから、結構長い間この辺りで生活しているということも考えられる。

彼女達がこの島で知り合ったのだとしたら、自分もこの国に来たことがある、というくらいのことは麦わら達の前で言いそうなものだが、そんなことは一度も言っていなかったはずだ。


「……居候、か」


彼女が言い捨てて行った言葉を反芻する。
麦わら達の方には彼女を船員と区別する様子はない。だというのに、彼女はといえば頑なに自分のことを『居候』だとか『お世話になってる身』などと言う。

そのくせ、麦わら達が騒いでいるのを一歩ひいたところから眺めているのだ。眩しいものを見るかのように、目を細めて。
羨ましいと思うのなら輪の中に入っていけばいい。なのに彼女はそれをしない。奴らと親しくすることに、何か不都合な事情でもあるのだろうか。

嬉しそうな笑顔を彼らには惜しみなく向けるのに、彼らの仲間にはなりたがらない。
では基本的に距離を取られている自分などは彼女の中でどういう位置づけなのか。考えるのも嫌になる。

今だってそうだ、おれの誘いには乗らないのに、情報が得られそうな奴には自分からホイホイ近づいていって――――


「!」


衝動的に立ち上がって、刀を手に取り早足でハニーがいる席に向かう。
椅子を倒した音は騒がしい店内ではさほど気にされなかったが、ハニーはおれが向かってくることに気づいたようで、目を丸くしてこちらを見ている。
すぐに表情を変え、来るなという風に眉を顰めたのを見ても、足は止まらなかった。


「易々と触れていいモンじゃねェぞ」


ハニーの腕を取り強引に引っ張り上げ、立たせる。痛、という呟きも無視して港主の男に言った。
彼女の脚から離れた、港主の手が所在なさげにうろついたのを見て、思い切り舌打ちする。
苛つくままにテーブルを蹴り上げると、水夫達が慌てて距離をとった。


「ちょっと、ロー、待っ――――」

「来い」


港主も、水夫達も、他の客も何も言わなかった。
シン、と静まった店内に荒々しい足音がよく響く。

腹が立つ。
目の前で、海賊と思しき男に女が連れ去られていくというのに、誰一人として声も上げない。
そんな腑抜け共のくせして、彼女をジロジロ見て、あまつさえ太ももを触るなんて。

乱暴にドアを開け店を出る。
すっかり暗くなった表には人通りは無い。この時間は皆、酒場か家にいるようだ。

男が分不相応なら、ハニーもハニーだ。
いくら情報を得るためとはいえ、あんな下卑た男に簡単に触らせるなど。


「ね、離して、痛い、」

「黙ってろ、安い女が口利いてんじゃねェ」

「っ、はは、酷い言い様だなあ」

「……」


握る手に力を込めても苦笑するばかりのハニーに、更に苛立ちが募る。

何だ、その態度は。
癇癪を起こした子供を宥めるような。
おれが間違っているのを、譲歩してやっているようなその態度は何だ。

酒場から随分離れた港の傍の市場まで彼女を引っ張る。
市場は昼間の喧騒とは裏腹に人ひとりいない。月明りのみが、折りたたまれた数々のタープを照らしている。

行く当ては無かった。とにかく彼女をあそこから連れ出したかった。


「……あ」


彼女が小さく声を漏らす。
無視するつもりだったが、彼女は何かを発見したようで、今まで抵抗せずについてきた体を止めた。
それでもおれが引っ張ったため、彼女がよろけておれの体にぶつかる。


「あ、ごめんね」

「……」


謝られることにも腹が立つ。彼女に余裕があることが腹立たしい。
自分らしくなく、気が立っていることを自覚しても、苛つきは収まらなかった。

おれに謝りつつも、彼女はおれとは別の方向に目を向けている。
つられてそちらに視線を遣ると、男女が言い争いをしているようだった。
いや、言い争いというより、逃げ腰の女を男が腕を掴んで一方的に何かを訴えているようだ。
女の表情は怯えている。


「……」


黙ってハニーの手を離す。
掌にじわりと血が戻ってくる感覚がして、それほど強く彼女の腕を掴んでいたのかと彼女の顔を窺う。
しかし彼女はおれに顔を向けることなく、その男女の方へ走っていった。


「おい!」


首を突っ込んだら面倒なことになりそうなのに、迷いなく男女の方に向かうハニーの背中に声を掛ける。
しかしそんなことで止まるなら最初から彼女は走り出していない。
無駄だと分かっていても口から衝いて出た声は、彼女ではなく男女の動きを止めることとなった。

男女が固まっているところに彼女が辿り着く。
湿り気を帯びた月夜にそぐわない明るい調子で、ハニーが男女に話しかけた。


「こんばんは、お姉さんお兄さん!こんな夜にどうしたの?」

「何だあんた!関係ないだろう!」

「助けて!」


男女が叫ぶのは同時だった。
男は女のセリフに気を悪くしたのか、黙れ!と掴んだ腕を乱暴に振り回して女を揺さぶる。
女は自分の腕から男の手を外そうと必死にもがいている。

男のもう一方の手には、ナイフが握られていた。


「お兄さん、落ち着こうよ。ね?そんな顔してたら、お姉さん怖がっちゃって、お話できなくなるよ」

「……」

「お姉さん、深呼吸しよっか。体の力抜いて。大丈夫だから」


おれが追いついたのを見計らってか、ハニーは女にまずは落ち着くよう優しく話しかけた。
男の注意を引く女が現れ、さらに部外者の腕っぷしの強そうな男(自覚する限り見た目においてもおれは威圧感がある)が介入してきたことでいくらか安心した女はひとつ息を吐いたが、対して男は警戒を強めたようだ。ハニーよりもおれを見据えて、もう一度「あんたらには関係ない」と言った。


「そうだね、関係ない。でもお姉さんが痛そうにしているというのに、見過ごしたらわたしたちが悪い人みたいになってしまう。だから聞かせてくれないかな?どうしてそんな風に、か弱い女性に強く迫るの?彼女は一体、お兄さんに何をしたの?」

「……」


男が警戒を強めないよう、ハニーは両腕を左右に開いて武器を持たぬ掌を晒し、ゆっくり近付いていく。

ナイフを持つ男に自ら近付いていくなど、この女、正気か。

彼女を止めるため一歩踏み出そうとすると、ハニーは背中を向けたまま「来ないで」と言った。
おれに命令するなと思ったが、男がナイフを彼女に振るっても即座に守れる距離であるうちは彼女の意思を尊重し静観することにする。ただ、何があっても対処できるように三人がよく見える位置に移動した。


「質問を変えようか。綺麗な人だね。お兄さん、きみの恋人?」

「まだ……違う」

「まだ?」

「そうだ。おれはこいつを愛しているのに、こいつは恥ずかしがって認めようとしないんだ」


男は急に笑顔になって、自慢するように、語り始めた。
女の働く花屋に買い物に行くといつも笑顔で接してくれること。他の客にはしないこと。男だけに特別に贈られる笑顔であること。
女が気障ったらしい男と出かけるようになったこと。それは浮気であること。浮気には罰を与えなければいけないこと。

女は顔面蒼白で、小さく首を横に振っている。
男の狂気じみた話をハニーは相槌を打ちながら聞いている。そしてじりじりと、彼らとの距離を縮めていく。

もうすぐ、咄嗟に駆け寄れない距離になる。
男の予備動作を見逃さないよう見据えながら、足の裏に力を込めた。


「おれはこいつを愛している。でも同時に、酷く憎い。愛しているのに、憎くてたまらないんだ。だから、彼女がもう誰にも触れられないように、したい」

「うん、分かるよ、その気持ち。とてもよく分かる。でもさ、」

「そうか。分かるよな。あんたが分かるなら、こいつだって、分かってくれるよな」

「!」


ハニーに向いていた男の視線が、女に向けられる。
ナイフを握る手に力を込めたのが、暗闇でも分かった。
しかし“ROOM”を展開するため右手を上げた瞬間、ハニーが暗闇を引き裂くような大声を張り上げた。


「――――あァやっぱり気持ち悪いな、ストーカーっていうのは!!」


サークルを張るのと、ストーカーという言葉に激昂した男が彼女に向かって走り出すのは、同時だった。
女から男の手が離れる。これが目的かとハニーを窺うと、身じろぎの一つもなく、その場に立ち尽くしていた。
おい、避けねェつもりか。


「“シャンブルズ”」


足元に転がっていた小石とハニーの位置を入れ替える。
いきなり目の前から消えた彼女に戸惑う男に、容赦なく一閃。男の半身はそれぞれあっけなく地に伏せた。
そしてハニーはというと、またもおれの隣を走り抜け、へたり込んだ女へと駆け寄っていった。

礼の一つもありゃしねェ。
また「一人でも平気だ」などと、憎まれ口を叩くのだろうか。

念のため男をもう少し小間切れにしておく。ナイフは手首ごと遠くに蹴飛ばしておいた。
そうしてから彼女の元へ向かう。彼女は女から男が見えないようにして、腰を抜かした女を抱きしめ背中をさすっていた。


「ロー、何もあんなにしなくても。お姉さんが見たら、びっくりするでしょ」


やはりと言おうか、開口一番、文句だった。



前へ 次へ


戻る

海獺