翌早朝、宿を出てサニー号に戻ったローは甲板のシーザーの無事を確認した後、真っ先にハニーを探した。彼女はいつもアクアリウムバーで過ごすことが多いらしいので、彼はまず一階のドアを開けた。いない。
代わりに彼の目当てではない人物が「おはよう。戻ったのね」とローを出迎えた。


「ハニーは?」

「さあ……まだ寝てるんじゃないかしら。昨日、帰ってきたのは、随分遅くだったから」


挨拶もなしにいきなり本題に入ったローにロビンは苦笑した。
ここまで露骨だともはや笑えてくる。
ロビンは読んでいた本を閉じ、穏やかに問いかけた。


「わたしの友人に何か御用かしら」

「用ってほどでもねェよ」

「なら少し付き合ってくれない?まだ皆起きてこなくて退屈なの」


この船の中で、独りで過ごすのに最も慣れているのはロビンである。皆が起きてくる前の時間を退屈に思うことなどなかったが、彼女にとって、ローはまだ警戒対象だった。
ルフィのペースに流されたりハニーに丸め込まれたりと、彼の印象は巷の噂で聞いた時よりかなり変わったが、まだ油断はできない。
元はルフィと肩を並べる億の賞金首だ。ましてや、今は七武海であり政府側の人間。サニー号で野放しにしておきたくはなかった。

それにハニーのこともある。
自分で淹れた紅茶を啜りながら、ロビンは昨日ナミに聞いた話を思い出す。

パンクハザードでハニーがルフィに脱臼させられた時、チョッパーに診てもらいたいという彼女を無視して、治療にかこつけて執拗に服を脱がせたがったらしい。そしてその時の彼の目はまるで飢えた獣のような危険な雰囲気だったと。
何を考えているのかいまいち分かりづらいこの男が、ハニーがナミとモモの助と共に無防備でいるところに突撃しないとも限らない。

ロビンは、ハニーが彼女に気のある男を躱すのが上手いことを知っているし、仕事に口を挟むつもりもない。
しかしどこか昔の自分と似たところがある彼女に、何かしら手を貸してやりたくなる時がある。

人の伝聞とは必ずしも当てにならない。ハニーとローの関係は見守っていこうと思っていたロビンは、ナミの主観的な意見によって、ハニーの様子がおかしくなったら積極的に守っていこうと考えを改めていた。

上のキッチンでは何やら音がしている。いつも通り早起きのサンジが朝食の仕込みに入ったのだろう。
全員が起きてくるまでそう長い時間ではない。監視の目が多くなるまで、ローの事を探りがてら彼をここに引きつけておこうと彼女は考えた。

ロビンは手でローに座るよう示してローの様子を窺う。
彼は訝しげにロビンを見ると、起きてこないハニーを素直に待つことにしたのかドカッとソファーに腰掛けた。
随分距離を取ったわね、とロビンは彼の警戒を察する。これで自分がハニーだったらすぐ隣に座っただろうな、と思った。


「アイツと一番付き合いが長いのはお前だったな」

「ええ、そうね。私達の中では」

「アイツが探してるって奴は、どんな野郎だ」


渋々腰を下ろしたのはこれが目的か、とロビンは納得した。
同時に、少しローの評価を上げた。彼女の気持ちの行方を探りたいということは、彼女を真剣に想う気持ちが彼の中にもあるからに違いない。
彼女の外見や利用価値に目が眩んで近づいてきた男は数知れないが、少なくとも彼は彼女の内面にも興味があるらしい。

しかし実に可笑しいな、とロビンは笑いがこみ上げてくるのを必死に我慢した。
ローは既に知っているとハニーから聞いたのだ。彼女が探している人物は二人いることを。一人は女性で、一人は男性。
ローは“野郎”のほうにしか興味が無いらしい。分かりやすくて可笑しい。


「詳しくは知らないわ。彼女の複雑な家庭から、救い出してくれたってことと……情報が少なすぎて手がかりも見つからないって、嘆いていたことくらいね」

「名前も知らねェのか」

「ええ、知らないわ。どれだけ恰好良かったか熱心に話していたことはあるけど……聞きたい?」

「いらねェ」


ローが苦々しい顔で顔を逸らす。
今のは意地悪だったかしらと思いながらも、ロビンは少し楽しくなってきていた。


「トラ男くん、ハニーは難しいわよ」


昨日ナミに言ったことを、ロビンはローにも言う。

長く共に過ごしたロビンですら彼女の本質をまだ理解しきれていないところがあるのだ。
彼女はしっかり線引きを行っている。人を立場や好き嫌い、信用できるかどうかで分類し、そのランクによって踏み込んでも構わない領域に招き入れる。そして不可侵の領域には決して立ち入らせない。
ロビンは彼女のほとんどの領域に踏み入ることができる。ハニーのほうも自分はロビンに似たところがあると思っているからだろう。
しかし彼女はそれでも最後の領域をロビンには踏み込ませない。過去について深くは語らないことから、ロビンはそれを察していた。

基本的に人間関係が希薄なロビンにも、大切に想う仲間はいる。ハニーもその一人だ。
そのハニーがロビンにはまだ見せていない心の内をローには少し見せているような気がして、ロビンは少し彼に嫉妬していた。
ロビンのセリフには、あなたには踏み込むことができるかしらという挑戦的な意味が含まれていた。


「それはよく分かってる」

「あの子に乱暴な真似をしたらウチの船員全員を敵に回すことになるわよ」

「……」


もう際どいことはした、とローは言えなかった。
つくづくあの約束が生きるなとローは思った。

邪魔してくるのは航海士だけではない、目の前のこの女もなかなか侮れないし、戦闘力で見るなら一味全員を相手にするのはかなり厄介だ。彼女の意志であるということを強調しなければ下手なことをすれば同盟にヒビが入る。
…いや、工場さえ壊してしまえば、コイツらとの同盟は破棄するつもりだし、彼女にちょっかいをかける機会はもうほぼ訪れることはないだろう。約束と言っても、はっきりした返事はしていない。約束が生きるも何もないだろう、というのは皮肉な考えだろうか。

ローが黙り込んでいると、ロビンは持っていた本をソファーに置いて立ち上がった。


「返事が無いのが不安だけど……残念、お喋りはここまでね」


ロビンが呟くと同時に、ドタドタと騒がしい足音が聞こえて、甲板へ続くドアが音を立てて開かれる。
血管もゴムである故にか低血圧など無縁らしい、ルフィが元気よくアクアリウムバーに飛び込んできた。


「ロビ〜〜〜〜ン!!朝飯だァ!!おっトラ男もいたのか!!早く来い!!」

「おはようルフィ、すぐ行くわ」


サンジに仲間を集めるよう言われたらしいルフィがすぐまた駆け出していく。
一度女部屋のドアをノック無しで開けてサンジに蹴られナミに折檻されてからは、ルフィも女部屋の取り扱いには彼なりに細心の注意を払っている。ドアは開けず、外から大声で呼ぶに止めるだろう。

ロビンに続いて、ローもバーを出る。
ダイニングのドアを開けるとふわりと味噌汁の良い匂いがする。
ローがキッチンに目を遣ると、サンジとハニーが一緒に朝食の準備をしていた。


「ロビンちゅわ〜〜〜〜ん!今日は魚介のアラ汁と特製三種のお漬物、菜の花のさっぱりソテーに愛情たっぷり厚焼き玉子だよ〜〜〜〜!! おォ、ローもいたのか。とっとと座れ」

「おはよう、二人とも」

「おい……」

「あらハニー、起きてたのね。気付かなかったわ」


ローがロビンに非難の目を向けたが、ロビンは悪びれる様子もなく、配膳を手伝うためにキッチンへ近づいた。
サニー号の船員を差し置いて一番に食卓についたローだが、そんなことを気にする性格ではない。足を組んで食事が運ばれてくるのを待った。昨日の夜は食いっぱぐれたため、最後の食事はパンクハザードで飲んだ海豚肉のスープだ。ルフィほどではないにしろローはよく食べるため、あれだけでは到底足りたものではなかった。

待ちながら、今日もどうにかしてハニーと二人きりで話をする機会を得られないか考える。
ドフラミンゴに仕掛ける前に、払拭しておきたい懸念があった。

昨晩、ローとハニーは暫く身を寄せ合いながら、たまに沈黙を織り交ぜつつぽつりぽつりと会話した。
その中でいくつか彼女は気になることを言い残して、最後は結局喧嘩別れになった。


『前にも言ったけど、キミはわたしを愛せないよ』


唐突にハニーがローに投げかけた言葉は、ローが打ち明けた気持ちに対しての答えのようであった。
袖にするなら、“ローがハニーを愛せない”ではなく“ハニーがローを愛せない”と、そう言うべきだろう。
逃げられている。そう感じて、ローは彼女の言い回しに苛立ちを覚えた。


『それはおれが決めることだ』

『どうでしょうね。早々に愛想を尽かして……どこかへ行ってしまうだろうと、わたしは予想するよ』

『お前の予想は根拠が曖昧なんだよ』

『わたしがこんなの・・・・だから、で十分な根拠になるよ』


どういう意味だ、という問いには彼女は答えなかった。

どう問うても答えは得られそうになかったのでその場は流したが、宿に着いて寝る前に、それがどうしても気になって仕方がなかった。
その答えが得られれば、彼女の壁が一枚剥がれる気がしたのだ。

大体何を言っても韜晦される。いきなり彼女の核心を衝くような探りはやめて少しずつ知っていくべきだ。そう思うも、少しずつ彼女に近付くというのは具体的にどうしていいのか分からないし、時間も無い。
死ぬ前に彼女に満たされたいと言ったのは本心だ。しかしどうすれば満たされるのかは分からない。とにかく彼女との距離を詰めるしか方法は無かった。

ローは女性関係で困ったことがない。男の生理現象を鎮めるのに都合の良い女は向こうから寄ってきたし、特別気を惹きたい相手はいなかった。
だから彼は男女の駆け引きは苦手なのである。女側の都合を考慮する余裕など無いに等しかった。

ローは次々にテーブルに置かれる皿をぼんやり眺め、「お前も手伝えよ」というゾロの言葉も聞き流して、すっかり痛みの引いた左頬を無意識に撫でた。

――――昨晩、幾度目かの沈黙の後、ローの登場、ターゲットの来訪により立て続けに食事の機会を失ったハニーが小さく腹の音を鳴らした。人の気配の無い公園にそれは誤魔化せないほどに響いた。
ローも同じく食事の機会を逃していたので、ああ腹が減ったと思うだけで別に彼女をからかおうなんて考えは全く無く、鳴り響いた音も特に気にならなかった。
しかし腹を鳴らした側はそうもいかないようだった。

腕の中で恥ずかしそうに俯いた彼女に、コイツにも恥の概念があったのかと失礼なことを思いつつも、突如見せられた可愛らしい仕草にぐっとくるものがあったローはあることを思いついた。
願掛けのようなものをしようとしたのだ。

ローが無事にドレスローザを出ることができれば、ハニーは何でもローの言うことを一つ聞く。
彼だって死にたくはない。無事にドレスローザを出られるように、その約束を彼女が忘れないように、彼女が絶対に逃げられないように。ローは彼女の首に唇を寄せた。

彼女は普段首まで布地のあるものを好んで着るから麦わらの一味に冷やかされることもないだろうし、キスマークを付けておけば、自分の居ない間に今夜のような男を誘惑するようなふざけた格好はできまいと、そういう狙いもあった。

すっとローが軽く首筋を吸った瞬間、ハニーは異様な勢いで抵抗した。
そして一瞬狼狽えたローの顔面に思い切り平手打ちをし、ローから距離を取った。


『何しやがる……!』

『こっちのセリフ!』


ハニーは慌てて手鏡を取り出して、己の首に跡がついていないか確認する。
しかし暗くてはっきりとは確認できないことに気付いて、諦めたように手鏡を仕舞った彼女に、ローは露骨に怒りを示した。

強く吸い付く前に抵抗されてまだ赤くもなっていないだろうし、付いてしまったとしてもそれはもう取り返せない。後で確認すればいいものを、それを目の前で確認するなんてあまりにも配慮がない。


『そんなに嫌かよ』

『キスマークを付けたいなら、キミのものにしてからにして』


そう言って暗闇に消えたハニーを、ローは追う気にはならなかった。
というより、固まってしまって追えなかった。

かなり好意的に捉えれば、『将来的にはあなたのものになってもいい』という意味だと考えられる。
いや、冷静に考えて、それはない。絶対に無い。彼女お得意の上げて落とす手法だと、ローは頭を振ってその都合の良い考えを追い出した。
しかし否定的に考えても、自分のものにしてみろという挑戦だと思える。そう考えるとやはりますます欲しくなってしまった。

ローは未だキッチンとダイニングを行き来するハニーを横目に見た。
配膳を終えてさりげなく自分から遠いところに座ろうとするハニーの腕を捕まえて、強引に隣に座らせる。脱臼していない方の腕を選んだが、抵抗は無かった。
ロビンの目が光りサンジが文句を言ったが、ハニーが動じる様子を見せなかったので、二人は無理に割って入ったりはしなかった。


「跡、残らなくてよかったな」

「そうだね。本当にそうだわ」

「……」


皮肉を言ったつもりが、逆に刺された。

ローはもう少し何か言おうとしたが、昨日の続きを外野に聞かせる気はなかったのと、ルフィが全員を起こしてバタバタと登場したので、大人しく美食にありついた。



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