正午、サニー号に全員が集合した。
前に上陸したのが娯楽の無い危険な島であったのも手伝って、一味はアルパシアで存分に羽を伸ばした。
ルフィの怒りを買い派手にやられたシーザーと、考えなしのこれまたルフィに脱臼させられたハニー以外は万全の体調である。
爆発に巻き込まれたルフィ、ルフィとフランキーのせいで大怪我を負ったチョッパー、ヴェルゴに手酷くやられたローなどは奇跡の回復力でもって何故か既に絆創膏すら貼る必要がない健康体だ。そんな彼らを化け物扱いしているハニーの脱臼もまた、既に治りかけていた。
そして貿易で栄えた町だけあって、食糧、砲弾、燃料などの物資は滞りなく補充された。

アルパシアでの休息は今から七武海に喧嘩を売ることを考えれば大いに意義のある暇であった。

甲板では、拘っていた“風来バースト”のためのコーラが樽満タンに補充されたことで多少余裕が出たウソップが、チョッパー相手に新兵器について熱弁をふるっている。
その傍らでブルックが要塞国家をテーマにギターをかき鳴らし、騒音を全く気にせずゾロが昼寝をし、ルフィは市場で買ったアルパシア特産の肉を頬張り、その様子をロビンが楽しそうに見ている。
たとえこれが地獄の門の前だったとしても、この一味は平常運転で往くだろう。マイペースはルフィに限ったことではないのだ。

ドフラミンゴと確執のあるローは、自由な一味に「本当に大丈夫なんだろうなコイツら」と不安になりつつも、もう後戻りはできないため最後に信じられるのは自分だけだと決意を新たにした。
そして朝食の後、またしてもローの隙をついてどこかに消えたハニーをローは探していた。
彼は船内を一通り探したが朝食以来誰も彼女を見ていないと言う。時々、誰にも告げずにいつの間にかいなくなるのだと、チョッパーが心配そうに言った。

そろそろ出航の時間だが探しに行くべきだろうかと船の外を見ると、エレーナと別れの挨拶を交わしているところだったのでローは拍子抜けした。


「じゃ、エレーナさん、ありがとう。また来るよ」

「ええ。そういえば、一ヶ月前くらいにSWTの連中が来たわよ。相変わらずこの辺を回ってるみたい」

「そうなの?また会いたいな……。ああそうだ、P−8港の恨みを買ってるみたいだね。スキンヘッドにちょび髭のおじさん。エレーナさん言い方キツいんだから、気を付けたほうがいいよ」

「ご忠告どうも。面と向かって言える勇気があるなら、ヴェクターで蜂の巣にしてやるわよ」

「あれ、ITAじゃなかったっけ?」

「あれはちょっと使いすぎちゃって、メンテも兼ねてカスタム中」

「使いすぎたって……」


物騒な会話をしている。

なるほど、彼女はただの港主ではないらしい。当たり前のように愛銃の話をする彼女達を見遣りながらローは考えた。
親しそうに話をするハニーとエレーナは一体どんな関係なのだろうか。

いつの間にかローの隣にナミが立っていて何だかニヤニヤしていたので、ローはバツが悪くなる。二人の視線に気付いたのかハニーがエレーナに今度こそ別れの挨拶をして、梯子を使って甲板に上ってきた。


「ごめん、お待たせ」

「ううん、そういう意味じゃないのよ。それよりいいの?あんなあっさりしたお別れで」

「いーのいーの」


島々の交流がなさ過ぎて独自の文化が出来上がるほど“偉大なる航路”は渡るには厳しい海である。気軽に行き来できるものではないため、時には何の気なしの別れが一生の別れとなる。
それが以外にも簡単な別れの挨拶で済んだため、ナミは急かしてしまったかとハニーに気を遣ったが、彼女は軽快に笑って梯子を仕舞った。

みんなー!出航準備―!と声を張り上げるナミと慌ただしくなる船内を横目で見やりながら、ローは梯子を仕舞い終えたハニーに声を掛けた。


「どこかへ行くなら誰かに言ってからにしろ」

「言ったよ?ゾロに」

「それは今殴られて目を覚ました奴のことか」

「あはは」


心配した?とヘラヘラ笑うハニーに、ローもつられて少し笑った。
喧嘩別れにはなったが朝食時のやりとりで溜飲は下がったらしく、昨晩の禍根を残した様子はない。
それどころかやけに機嫌がいい気がして、ローは彼女を注意深く見つめた。

アルパシアを覆う塀の門が開かれ、サニー号が海へ乗り出してゆく。
ハニーは門が閉まるまでエレーナに手を振り続けた。振った腕が脱臼側ではないのを見て、ローはまだ中には包帯が巻かれているであろう長袖を見遣る。怪我をさせられた時、大袈裟だと言いながら痩せ我慢で笑った顔を思い出し、まだ傷が痛むのかと考えた。


「肩の調子はどうなんだ」

「え?うん、もうほぼ治ったってチョッパーが。普通三ヶ月は安静なのに、異常な回復力って言われたよ。いやそれを言うなら瘡蓋すら出番無かったみんなはどうなってるのっていう」

「……」


やはりいつもより長く喋り浮足立っているような彼女の様子に、ローは顔を顰めた。
暢気なものだと思ったわけではない。逆に緊張を紛らわせるためにはしゃいでいるような気がしたのだ。

思えば、彼女は元億を余裕で超える賞金首、現七武海のローに対してドレスローザで死なないで欲しいと涙を流して哀願した。それは彼女が麦わらの一味と違いドフラミンゴの強さを正しく認識し恐れているからに他ならない。
彼女は飄々としているようでいて、これから起こることに強い不安を抱えているのかもしれない。
そう思うとローは急にハニーを抱きしめたくなって、彼女に手を伸ばした。

しかしその腕は案の定するりと避けられる。追撃しようとするローとハニーの間にギャアアァン!!とギターの音が飛び込んできた。


「聞きましたよハニーさん!楽器がお上手なんですってね!何か一曲披露していただけませんか?」

「……」

「ああ、もしかしてエレーナさんに聞いたの?いいよ。何か貸してくれる?」


気持ちが高まったところでブルックに横槍を入れられ、ローは不機嫌に押し黙った。
ローにちょっかいをかけられると思ったハニーはこれ幸いとブルックの提案に乗る。


「何がいいですかねェ」

「ピアノとバイオリンは小さい頃に習ってたから弾けるよ。あとギターやフルートも教えてもらったから、少しは」


それは素晴らしい!ブルックが手を打つと、固く軽い音が響いた。どこかの島の原住民の楽器みたいだ、とハニーは思った。


「ふふ、さっきちょうど楽器が弾きたくなったところ。わたし、旅楽団に所属していたこともあるんだよ」

「ほう、旅楽団というと……町から町へ、島から島へ、音楽で人を潤しながら旅をする人達ですね。私、生前何度かそういった人達が乗った船に遭遇しましたよ」

「生前…」

「ヨホホ、一度死んでますから」


先に会話していたのはおれだぞ。ローはそう思ったが、ハニーの過去の話を少し引き出してくれたので容赦した。自分が聞いても誤魔化されるうちに逃げられることはよく分かっている。
ブルックは歳の割に察しが悪いが、それでもローの鋭い視線に気付いた。


「あ、トラ男さんも何か弾きます?」

「いや、興味ない」

「きみは聖歌隊に入れられても脱走してたクチでしょう」

「おい何で知ってる」

「ふふん、情報屋だから」


フレバンスでのこと、しかもこんな他人にとってはどうでもいいことを知っている訳が無いのでローはそれがハッタリだと分かったが、自分の性格を当てられたようで悔しくなる。まるで小さな子供の頃から変わることができていないみたいではないか、と。
実際、子供の頃には予想もつかなかった現在であるし、ロー自身、肉体も精神も成長した自負があるからそんな被害妄想のような考えはいつもならしないのだが、ハニーに言われる言葉だと妙にムキになる癖がついていた。

航海は順調だった。新世界はこれまでの海とは全く異なる現象がよく起き、海面に顔を出す生物もまた麦わらの一味の見たことのない種類ばかりであった。
ローは暫くこの新世界で計画のために奔走していたため“海坂”などに驚くこともなかったが、一味のほとんどと錦えもん、モモの助は何かが起こるたび船内を走り回る。それをローは冷めた顔で見ていた。


「はい、お茶」

「…ああ、悪い」


それぞれ役割を持つ一味と違い、この船の船員ではないローとハニーは長い航海になるとどうしても暇になる。
特にローは一味と馴れ合うつもりもなかったので、船員を手伝おうなんて考えも無い。ドフラミンゴとの取引に備えて体力を温存する必要もあったので、ひとり甲板の芝生の一角を占領して休んでいた。それで一味の誰も気分を害することは無いが、実に尊大な態度である。

一通りブルックに楽器を貸してもらい演奏し終わったハニーも、これまた暇を持て余していた。
船員は皆それぞれやるべきことをし、そうでない者も読書や昼寝などをして過ごしている。邪魔するのも申し訳ないと、彼女は船内を一回りしてからキッチンで飲み物をもらい、仕方なく甲板に戻った。しかし一人でいるにはどうしても落ち着かなかったので、ローに話しかけることにする。甲板には、忙しなくしながらも常に一味の誰かがいるという安心感もあってのことだ。


「不機嫌だね?」

「この状況で上機嫌でもおかしいだろ」


一海賊団の船長として長年やってきたローとしては、他人の船は居心地が悪い。
作戦が順調に進んでいるのは喜ばしいことだが、ドフラミンゴと顔を合わせること自体は酷く不愉快であるため戦闘前の高揚感も無い。
つまりドレスローザに近付くにつれて、元々悪い彼の人相は更に悪くなっていくのだ。


「約束、覚えてるよね」

「……。お前こそ、忘れるなよ」

「約束は忘れも破りもしないよ、わたしはね」

「お前は何か含ませねェとものも言えねェのか。いい加減おれにだけそういう態度でいるのをやめろ」

「皆と同じ態度でいいの?わかった。次の宴はそうね、わたしの必笑持ちネタ“幽体二人羽織”の相方はロー、キミに決めたからね」

「やめろ……」


傍から見たら仲良く見える応酬をしながらしばらく二人で茶を啜っていると、サンジが二階のキッチンから半身でローを呼んだ。暇なら野郎は夕食の仕込みの手伝いをしろと言う。
どいつもこいつも邪魔しやがって、とローが無視を決め込もうとすると、ハニーが代わりに名乗りを上げたためローも渋々立ち上がる。キッチンに向かうと、既に呼びつけられたブルックが細い指でブラックベリーの種を取り除く作業に没頭していた。


「ありゃ、レディーは休んでていいんだぜ」

「やることも無いし、タダ乗りもどうかと思うから、できるだけお手伝いしたいんだよ」


先ほどキッチンで茶をもらった時にもハニーはサンジに何か手伝えることはないかと訊いたが、その時もサンジは彼女の申し出を丁重に断った。彼はあくまで女性を大切にするあまり親切でそうしたのだが、気を遣われすぎるのも居心地が悪いものだ。ハニーはローに便乗して再び手伝いを申し出た。


「可愛い上に性格が良いなァ〜、ハニーちゃんは!それに比べてロー、お前さっき無視しただろ」

「コイツの性格が良い?冗談だろ」

「そんな…っ、なんでそんなこと言うの?酷い……」

「ロー!!テメェ、レディーになんてこと言うんだ!ハニーちゃんが傷ついてるだろうが!」

「あァ分かった、訂正する。確かにコイツはイイ性格してるよ」


やっぱり仲がいいですよねェ。会話に入らず作業していたブルックは他人事そのものである。サンジに言いつけられた作業を終えて高みの見物であった。
おれに命令するなと言いながらも、ハニーに言いくるめられてローは夕食の準備を手伝う。サンジの嫌がらせか、皮膚がピリピリと痛くなるカライモの処理をあてがわれた。

夕食の準備を手伝うなんていつぶりだろうか、とローは考える。

母親の手伝いをよくしていた記憶はまだ褪せてはいない。国がまだ平和だった頃は、包丁を使わせてもらえないくらい幼かったか。いや、包丁を使って料理の手伝いをした覚えはある。これはまだ船員が少なく、料理当番もしなくてはいけなかった時代の記憶だったか。この辺は曖昧でよく覚えていない。

ローは大体の事は器用に熟すので、カライモの皮はあっという間に剥けていく。
ローの隣ではハニーがひたすら枝豆を皮から出していた。

サンジは飴と鞭の使い方が上手い。女性には常に飴だが。
メシを食いたいなら手伝えとのサンジの言葉に逆らう者はそもそもいないが、手伝った者は味見の権利が与えられるので、ほとんどの船員は喜んでサンジの手伝いをする。
ローは別に味見などに興味は無かったが、不本意ながらもせっかく働いたので皿を受け取った。


「さァ食え!味見はカライモとエビその他のかき揚げ、獲れたてウミメダイの蒸し焼きベリーソース仕立てだ!」

「サンジのご飯は美味しいなあ……」

「ヨホホ、本当にそうですねェ!私もこの船に乗ってから体重が増えてしまいましたよ!って私、」

「太る肉無いじゃないの」

「ちょっと先言わないでくださいよハニーさん!!」

「ほんと美味しい。もうご飯作るの自信無くしちゃう」

「ハニーちゃん、今朝も手伝ってくれた時手際よかったもんな。よく作ってたのか?」

「放っておいたら何食も抜く…世話の焼ける人がいたからね」


かき揚げを頬張りながら、懐かしむように言うハニーの目は遠くを見ている。
男かと訊いたらサンジに突っかかられそうだったので、ローも黙って味見という名の褒美を口に入れた。

突っかかってくるのは彼女だけで十分だ。
咀嚼しながら、船員の目の前ではそれすらもしてこないことを不満に思った。



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海獺