09
「うむ!起きたようだな!」こんな状況、前にもなかっただろうか。杏寿郎が顔を覗き込んできていた。炭治郎は今度こそ突然起き上がったりせず、おはようございます!と元気よく言った。すると驚くほど腹が痛い。我慢だ!
話を聞くと半日眠っていたらしい。無限列車の乗客は重症の人間もいるもののみな命に別条はないとのことで、改めてとても濃い任務だったなと思う。杏寿郎は腹と額に比較的大きな傷がついているので、あと二日は要安静とのことらしかった。善逸や伊之助も炭治郎が起きたことに気が付いてそばに寄ってきて、炭治郎以外は動き回っても大丈夫なくらいには軽症なようだった。不甲斐なし!
重症だったなまえも運ばれてきており別の病室にいるとのことで、様子を見にいくと言う杏寿郎に俺も行きますと、一番軽症の伊之助に肩を貸してもらいながら歩く。しのぶが青筋を立てていたが、何とか許してもらった。
なまえも既に起き上がっていて、蝶屋敷で用意されたらしい八つ時の林檎をしゃくしゃくと食べているところだった。顔や手にぐるぐると包帯が巻きつけてあって消毒液の匂いが濃い。整えられた短い髪の毛が怪我をさらに痛ましく見せている。そばには獪岳がいて、善逸は怯えたように縮こまっていたが病室から出ていくようなことはしなかった。椅子があったのでありがたく座らせてもらう。やはり腹が痛い。
「みょうじの怪我の具合はどうだろうか。三日後に臨時の柱合会議があるそうだが出席出来そうか!」
「問題ありませんよ」
あれ程の怪我を負いながら強すぎる‥と炭治郎は眩暈がするような思いだったが、それほど強靭な肉体でなければ上弦には敵わないということだろう。杏寿郎が言っていたように今できることを精一杯、一歩一歩進んでいくしかない。それが柱まで一万歩の道であろうと。
善逸はそれでも心配そうになまえに泣きながらしがみつき、獪岳がその頭をギリギリと無言で鷲掴みにしたので、伊之助がやっぱりお前も強いな!?勝負しろ!と獪岳にぶつかっていくが面倒そうにかわされていた。騒がしい病室になまえはまた眩しそうに微笑んでいる。
ぱちぱちと何かが弾けた。俺、何かこの人に言わなきゃいけないことがあったような気がする。眠る前に何を思っていたんだっけ。
「竈門少年の妹はまだ眠っているそうだが、俺は君に言わなければならない。君の妹は汽車の中で人を助け、血を流しながら守っていた。俺は君たち兄妹を鬼殺隊の一員として認める。君たちを信じる。立派な働きだった」
積もるように降ってくる杏寿郎の優しい言葉。じわ、とまたうっかり炭治郎は泣きそうになった。認めてもらえたのがうれしい。こうして一歩一歩、禰豆子も一緒に認めてもらおう。きっと俺たちなら出来るはずだ。黄色い少年や猪頭少年も立派だった!君たちはもっともっと強くなれるだろう!と杏寿郎が言ったので、当たり前だ俺はさらに強くなってやるぜ!と伊之助は両手を掲げたが、善逸と獪岳は杏寿郎の暑苦しさに引いていた。
「みょうじにも今回とても助けられた。残念だが俺だけでは上弦の参は倒せなかったやもしれん、それほどの速さだった。そして君はとても強かった!増援感謝する!」
続いたそんな杏寿郎らしい快活な言葉が、何故かなまえの逆鱗に触れたのが分かった。咄嗟になまえの目が見開き、気配が変わる。ぴりぴりと刺すような怒りの匂いだ。きっと伊之助も善逸も肌と音で分かったのだろう、杏寿郎や獪岳も全員が動きを止めていた。
息をするのも躊躇われるほどの怒りだった。
「うそつき」
老婆のようなしわがれた声だった。腹から搾り出される怒り。彼女の肌が赤くなっていく。首元に縄で縛られたような不思議な痣のような傷跡が浮き出てくる。
「全然思ってないくせに。貴方はこう思ってるのよ。柱として上弦を倒せなくて不甲斐ないって。わたしが女なのに髪を切らせてしまったって。みんな無事でよかったけど後輩の盾になれなかったと思ってる。成すべきことをまだ為せてないと思ってる!助けられて良かったなんて全然思ってないでしょう!!!」
そんな悲痛な叫びと共になまえの握っていたベッドの骨組みがメキャ‥と音を立てて歪んだ。細腕から出てくる力とはとても思えないほどの握力だ。金属が肌を刺してまた血が出ている。炭治郎は慌ててなまえの腕を掴んで、その手を握りしめた。これ以上傷付かないように。なまえがはっとしたように怒りを沈めたが、代わりに深い絶望の匂いが漂ってきた。そしてはくはくと小さく口を動かして、言った。
「すみませんが少し‥炭治郎さんと二人にしていただけますか‥」
様子の変わったなまえがまっさきに名を出したのが炭治郎であったからなのか、獪岳からは悔しそうな怒りと嫉妬の匂いがしたが、彼女の動揺を見て渋々席を外した。他の三人も今は出ていくべきだと思ったのだろう、二人きりにしてくれた。なまえは炭治郎の手を握ったまま、ごめんなさい、と悲しそうに目を伏せる。
「どうして謝るんですか?あの‥色々事情があるんだと思いますが、俺は鼻がきくので感情も匂いでわかります。煉獄さんは嘘をついてなかったと思います。みょうじさんはどうして、煉獄さんが嘘をついていると思ったんですか?」
「‥炭治郎さんは、煉獄さんのご家庭の事情をご存知ですか?」
いえ、そんなご家庭の事情は知りませんし、突っ込んで聞くようなことではないと思います。という感想をただしくなまえは炭治郎の顔から汲み取った。
「煉獄さんのご家庭は、代々炎柱を輩出されています。生まれてから死ぬまで鬼殺隊の関係者として生きていく、特殊な‥家柄です。実際に煉獄さんご自身も炎柱ですし、先代炎柱は煉獄さんのお父様になります。そして煉獄さんのお父様は、日の呼吸についてご存知です」
「そうなんですか?」
煉獄さんは知らないと言っていたけど、先代の炎柱は知っているのか。みょうじさんも先代炎柱から日の呼吸の概要について教わったんだろうか。
「煉獄さんにお願いしてお宅に伺って、先代炎柱とお話をされると良いかと思います。わたしが煉獄さんの言葉を嘘だと判断した理由は、うまく説明できません。ごめんなさい。でもいずれ、わかるときがきますから」
なんとなく誤魔化されてしまったがなまえの様子がかなり落ち着いてきたので、炭治郎は痛む腹をおさえながら病室に戻ることにした。廊下で腕を組んで待っていた獪岳にぎりぎりとすごい目で睨まれてしまったが、まるで愈史郎のようだと思うと可愛く見えてくるような気がしないでもない。いや全然かわいくはない。そんなに睨まれても困るし仲良くしよう。同じ鬼殺隊士だし、善逸の兄弟子だし。ぎゃんぎゃんと病室で泣いていた善逸にも睨まれ、落ち着いたと説明するとなまえの病室に飛んでいった。善逸と獪岳は仲が悪いようだが、そういうところはとても似ていると思う。
まだ杏寿郎も蝶屋敷に残っていたので今度先代炎柱に会わせてほしい旨を説明すると、父上が何故?と一瞬困惑したあと、彼の顔色が変わった。
「構わないが‥父はだいぶ、酒に溺れている。会ったときに落ち着いて話ができる保証はできないし、父から日の呼吸の話を聞いたこともない。竈門少年はそれでも父に会いたいだろうか」
杏寿郎は会ってからずっと、腹から響くように声を出している。匂いを感じなくとも生命力にあふれた声だとわかる声をしている。
だが今の声はどうだろう。色がなくて、口角も上がっておらず、匂いもない。
炭治郎はそれが、炎のように燃えながら生きている煉獄杏寿郎の表面に出てこない、触らないとわからない一面なのだと気がついた。出来れば杏寿郎自身も触れたくない場所なのだと。
それでも炭治郎は前に進まなければならない。一歩一歩踏みしめるように前へ。そしてなまえや杏寿郎と並び立つほど強くなる。守られるばかりではなく、見ているばかりは嫌だ。
思い出した。俺はあの人を一人にしておいてはいけないと思ったんだ。それを伝えたかったんだ。
