積雨



「はい、これ飲んで待っててね。」

「…ありがとうございます。」


思っていたより片付いてる部屋を眺めながら、一二三の入れたコーヒーを一口飲む。

ずぶ濡れになった一二三がここに帰ってきたのはごく当たり前のことかもしれない。だけど紫陽花は自分が何だかんだでついてきてしまったことを酷く後悔した。一二三のことを疑っているわけではないけれど、密室というのは嫌なものだ。当たり前に警戒をする。


「…っ……」


"…やめて…やめてくれ…"
"続けて。"
"はい。"
"殺傷力に特化した分コントロールが効かないのか…"
"コントロールって必要です?"
"だって、勢い余って殺しちゃうかもしれないでしょう?"
"…っ…嫌だ…嫌だあああ!!!!"
"…うるさい。少し黙っててくださいね。"
"ふざけるなあああああ!!"


それに、閉ざされた部屋には良い思い出がない。


「…うっ…あ…」


耳にまとわりつく、叫び声。

あの時、自分は何をしていたんだ。

嫌がる人に、苦しむ人に追い討ちをかけて…挙げ句の果てに意識を失わせた。目を覚ましたら彼はどうなっているのだろう。喋ることは出来るだろうか。自我はあるのだろうか。そんな考えがぐるぐると頭のなかでかきまざる。


"まだ、まだいける。"
"やめてくれ…もう…"
"それならヒーリング用のリリックで回復してから続けましょう。"
"…やめろ…もう…"


終わりはない苦しみ。

傷ついたら手当てをしてまた傷つける。

昨日自分がしたを思い出して震える。男だからやっていい、そんなはずあるか。


「…あっ…ああ…」


それでも、それが紫陽花の生きる意味だった。


***


シャワーからあがるとやっぱり体が震える。スーツを来ていないと彼女の前に立つことすら出来ない自分が空しくなる。もう少し、もう少しあの子のことを知ることが出来たら…会話くらいは出来るようになるのだろうかなんて、考えながら一二三はスーツに腕を通す。


「…っく……う…ひっく…」
「…!」


風呂あがりに、しかも休みの日にスーツを着るなんてどうかしてる。どうかしてるのに、そんな声を聞いたら、泣いているところを見たら放ってなんて置けないじゃないか。

声を押し殺しても漏れる嗚咽、止まらない涙にやがて拭うことすら諦める。震えながら泣く彼女にある日の自分が重なる。


「紫陽花さん…」
「あ…ごめんなさ…ごめんなさい…」
「落ち着いて。」


振り返った彼女は一二三の顔を見ると声に恐怖を混ぜる。懺悔や、謝罪ではなく、恐怖、そして懇願。何を思ってるのかはわからない。だけれど何もせずにはいられなくて、一二三は彼女の背中をそっとさする。最初こそ、一二三の行動に怯えていた彼女だったが、だんだん落ち着いてきたのか震えが止まった。


「…ふっ…うう…」
「大丈夫。」
「うぅー…」
「大丈夫、大丈夫。」
「…私っ…怖くて…」
「怖くないよ。僕がついてる。」
「怖いけど、逃げられないの…」
「…え…?」


彼女が言うには、普段は塀の中にいるという。晴れの日、塀の外に出れるのは月に1回、あとはずっと中で過ごしている。雨の日は太陽が出てないから自由に動き回れるのだという。


「君は一体…」
「…日光で日焼けしちゃう、でしょう?」
「ちゃんと説明してくれないか。そんなの…」


普通の人間じゃない、

そう言おうとしたところで、一二三の頭に甦ったのはあの日の紫陽花。不敵な笑みでヒプノシスマイクを使いこなした女性。

彼女は特別な人間だ。それも中王区の。


「…どうして、早く言ってくれないんだ…」
「言ったところでどうにもできないでしょう…」
「でも、」
「貴方を余計なことに巻き込みたくない…」
「僕の気持ちは無視するのかい?君を自由にしてあげたいっていう僕の気持ちを、」
「お金ならお店じゃないから払いませんよ。」
「…紫陽花さん。今だけは茶化さないで。」

「っ…嫌い…」
「うん。」
「…嫌い、嫌い!こんなに、こんなに嫌なやつなのに、そんな私にも嘘でも笑いかける貴方が…」
「嘘じゃないよ。」

「……嫌い…」
「うん…嫌いでもいい。話してくれるね?」
「…て…」
「うん。」
「助けてよぉっ…!」


その言葉が、引き金になったかのように紫陽花の目からボロボロと涙が溢れた。