雨待ち



今年は雨が多かった。

どうしてか、なんて考えたところでそんなのわかるわけない。それなのに、雨が多く降る理由がわかれば、雨が降る方法がわかれば、そんなことを思ってしまあ自分に紫陽花は情けなくなった。

また、あの人と話したいと思うなんて。男と話すために雨を望むなんて。週に何度か見る男にはそんな思いは微塵も芽生えてこない。接客のプロ、ホストにでさえ思わない。ただ、あの人だけはもっと話したいと思ってしまう。


「伊弉冉さん…」


シンジュクで出会ったホスト。

スーツを着ているときとそうでないときのあの、差。怯える彼を可愛いだなんて思ってしまう自分はおかしいのだろう。あんなに怯えているのに、傘を返そうとした。こちらを見ようとしていた。話をしようとしていた。あの状態からして並大抵の女嫌いではない。すさまじく、トラウマになるようなものがあるのだろう。これまで紫陽花が関わってきた、紫陽花がトラウマになっている男のように。

ただ、傘を返すだけなのに。


「雨…降らないですね。」
「菜花ちゃん…」
「私は出れますけどぉ、紫陽花さんは雨が降らないと外に出れないじゃないですか。」
「うん、そうだね。」

「何度も聞いてますけど辛くないですか?まさに籠の中の鳥って感じ?ですし。」
「……」
「紫陽花さん?」
「辛いと思ったことはない…」
「ですよねぇー…」
「ない、はずなのに…」
「……」
「わかんなくて…雨、降らないかなって思ってしまって…」
「…そっか。じゃあ、今は"辛い"んですね。」
「あの…」
「どうしてなんて聞きませんよぉ。そこまで野暮じゃありませんので。」


にこっと笑う菜花はいつもと違っていた。優しくて、慈しむような眼差し。今まで面白いおもちゃを見ている子供のような目だった。


「菜花ちゃん、」
「私はね、確かに紫陽花さんのこと面白い…ああ、funnyじゃなくてinterestingの方ですよ?はい、面白いと思っていたんです。でもね、貴方は政府の主な犠牲者ですから、何とかしたいという気持ちもずっとあったんですよ。」


ここの研究所の人、そして中王区で唯一公にヒプノシスマイクの使用を許された"アイドル"は自由というものが存在しない。研究所という箱庭から出ることは叶わず、決められた日にガス抜きのように中王区ではなく、その外に追いやられる。一番の犠牲者は研究所から自由に出ることすら叶わないアイドルの方であるけれど、外を知ってしまったが故の辛さというのもあるのだろう。まさに今の紫陽花がそうだ。


「台風の季節ですからまたすぐ会えますって。」
「もう会わないって決めてるの。」
「どうして?」
「どうしてって、私の立場で男と関わりをもつなんて…」


"…また、会えるかな?"
"どういたしまして。"
"約束する。"
"またここに来てほしい。"
"…紫陽花……ちゃ…"


「紫陽花さん。」
「菜花ちゃん…」
「どうしよう、私…わかってるのに…」
「ええ、ええ。私は紫陽花さんの味方ですよ。最低限の幸せくらい夢見たっていいじゃないですか。」


悪いことと知ってる


「今、本当にたった今なの…」


罰を受けることさえ


「…それでも会いたいって、私…」


覚悟してる。

いや、覚悟が出来てしまったのだ。

会わないと決めた瞬間に、会いたくてたまらなくて、もし彼とまた会えるなら、もんな罰を受けてもいいって。受けてもいいからまた会いたいって。そんなことを思ってしまった。

とんでもなく悪いことをしてしまったような表情の紫陽花に菜花は思わず笑ってしまった。何も悪いことなんてない、そんなに怯えることなんてないのにこの人はどこまでも政府の犬なのだ、と。いや、そのように作られたのだから当たり前なのだけど。

これはほんの少しの反抗心。

大切な友人をこのようにした政府に対する。

菜花は後は何とかするから早くイザナミさんに会いに行けと、帽子と薄手の上着を渡して紫陽花を送り出した。