「名前、すまない、許してくれ」

またこの男は私の部屋にやってきたらしい。
泣きながら私に縋り付き、許しを乞うてくる家康に、ただならぬ不安と嫌な予感をひしひしと感じる。
一頻り私に謝罪をし終えると、家康は胸元から小刀を取り出した。私が幼き時分に家康にあげたものだ。

「名前、……本当に、すまない」

家康はその小刀を私の胸に突き刺した。



「…ゆ、め?」

また不思議な夢を見てしまったらしい。
やけに現実感を帯びていて、得も言われぬ恐怖と、漠然とした悲しみが私の胸を支配する。
知らず識らずのうちに目から溢れてきていた涙を拭い、誰にも悟られぬよう顔を洗う。
伊予河野の女巫じゃあるまいし、連日こんな重苦しい夢はやめてほしいものだ。

特に、家康の夢は。



「名前様、火急の知らせが」

襖越しにそう話しかけてくるのは、私の父である大谷吉継の家臣の1人だ。

「直ちに屋敷へとお戻りください、とのことです」
「何が、あったのですか」
「徳川勢による謀反です…!」

謀反…、それで家康の様子がおかしかったのか、と独り合点する。そのような暇はないというのに。

「直にここにも被害が及ぶと思われます、屋敷へとお逃げくださいませ」

言伝を伝えきると、御免と言って家臣の1人は戦場となっているであろう方角へと戻っていった。

「謀反、ねえ…」

硝煙の臭いと人の悲鳴が、風に乗って聞こえてくる。
私は、この現実がまだ夢の続きのような気がして、受け入れることが出来ず、一歩も動けないでいた。



「やれ、名前よ」

少し悲鳴が止んできた頃、父は私の部屋へと文字通り飛んできた。

「急ぎ屋敷へと戻りやれ」
「なんで、ここに」
「われの言うておることがわからぬか」

黒目と白目の反転した、鋭い目で睨まれる。
このまま目を合わせ続けていれば、蛇に睨まれた蛙のように身体が硬直し、動けなくなりそうだった。

「…っ、直ちに、支度をして参ります」
「ぬしは良い子よ、ヨイコ」

先程の家臣とは違い、父は部屋の前で私の支度が終わるのをじぃ、と待っていた。
きっとあの輿に乗せられてひとっ飛びなさるおつもりなのだろう。
怖いから嫌なんだけどなあ、なんて、今の私に言える勇気はない。

「父上、お待たせしました」
「後ろに乗りやれ」

案の定だ。落ちないようにしっかりと父にしがみつく。苦しいと言っている父の言葉は聞こえないフリをした。

「名前よ、此度の謀反の張本人が誰かもう知っておるな?」
「徳川家康だと、お聞きしました」

厭に声が震える。
父への恐怖はないのに、何故こんなにも苦しい気持ちになるんだろう。
そう思っていると、父が突然溜息を漏らした。

「あの狸、許せぬなァ」
「何故ですか?」

前を向いたまま、父は私の頭を撫でる。

「我が子を泣かせる男は、父にとっては皆すべからく敵よ、テキ」

私は無意識で涙を流していた。