勘違いと危機感


 千寿はぼんやりとその光景を眺めていた。
 雷に打たれた、いきなり後頭部を殴られた感覚だ、等とよく物語の中などではそう比喩されるものの、そんな感覚が自分の身に起きたわけでも無く。
 ただただ、まるでドラマのワンシーンを液晶越しに眺めているような、そんな気分だった。
 視線の先で歩いている五条の横には、それは美しい女性。此方に気付く事無く親しげに腕を組みながら、二人が夜の街の中へ消えていくのを見送るように見つめていた。

「おはよう七海君」
「おはようございます。珍しいですね、何か用ですか」
 翌日、高専へ立ち寄っていた七海の元へそろりとやって来た千寿は、その問いに曖昧に返しながら向かい側のソファへすとんと腰掛けた。
「え?ううん、用ってわけじゃないんだけど、世間話というか、なんというか」
「貴方らしくないですね、言いたいことがあるのならはっきり言ってください」
「う……えーと、あの、五条さんが女の人と仲良さそうに歩いてたんだけど、その……同じ男性として七海君はどう思う?」
 束の間の沈黙。その間にも部屋の温度は心無しか下がっていったように感じられた。
「見間違い……出来るような容姿じゃありませんね、あの人は」
「こういうのって、浮気?って事なのかなあって……私、どうするのが正解なのかな」
 千寿の問いに七海は絶句した。
 五条がどれだけ千寿の事を想っているかは、目の前の本人以外であれば誰もが周知している事である。
 そんな彼が彼女を蔑ろにする様な行為など、ましてや浮気など天地がひっくり返って氷河期に戻ったとしても有り得ない、と。
「……貴方の勘違いだと思いますがね。本人に確認したんですか?」
「……した方がいいのかな?」
「もし万が一、有り得ないと私は思いますが、本当にそれが浮気だったとして、貴方はどうしたいんです」
「どうしたい……?え、どうしたらいいかな、やっぱり別れた方が良いんだよね?」
 困ったように眉を下げてそう聞き返す千寿に、七海は頭を抱える。
 特に悲しむ様子の無い彼女の態度に厄介な事を相談されている、と理解すれば深くため息をつくしかなかった。
 今も昔も変わらず五条の好意に曖昧な態度のままの千寿を見て、それに巻き込まれる此方としてはいい加減にしてくれ、と何度胸中で思ったことか。
「とりあえず、合鍵とか返した方がいいのかなっていうのは何となく思ってるんだけど……あと部屋に置かせて貰ってる荷物とかも、ちょっと片付けた方がいいかな?」
「本気で言ってます?」
「え、違うかな」
 きょとん、と首を傾げる千寿にこれ以上の厄介事は勘弁して欲しいと思いながら、七海は自分に出来る最善手を尽くした。
「憶測でものを言うのは危険ですよ、兎に角本人に確認した方がいいと思います」
「……気まずいなあ。でも、うん、そうだよね……ごめんね七海君、ありがとう」
「いえ、誤解だと良いですね、本当に」
 切実にそう思いながらこの場を後にした千寿を見送れば、これ以上厄介事に巻き込まれないように長期遠征にでも行ってしまおう、と七海は心に決めた。

 仕事を終えて帰宅すれば、玄関に千寿の靴が置かれているのを見て五条は思わず口角を緩めた。
「千寿来てるの?この前の報告書ならちゃんと出したと思う……けど……」
 滅多に来ない千寿が部屋に来た理由を憶測で語りながらリビングへと入れば、思わず言葉が消えていく。
「あ、五条さん」
「……あのさあ。僕の居ない間に、何してるか、聞いていいよね?」
 テーブルの上には大きなボストンバッグが一つ。すぐ下の足元には段ボールが置かれていた。
 鞄の中にはこれまで置いていた千寿の為の日用品が、段ボールには消耗品や揃いで準備した食器類の片割れが詰め込まれている。
「何って、置いてあったものとか片付けようと……あ、そうだ、これも」
 至極当然のようにそう答えた千寿は、思い出したように鞄から鍵をひとつ五条へと差し出した。
「……千寿の部屋の鍵なら貰ったけど?」
「いえ、これは五条さんの家の鍵です」
「はあ?なんで」
 ぎり、と思わず差し出された手を掴んで力を入れていく。驚いた千寿は眉を下げて更に言葉を続けた。
「え、その、新しい人に渡すのかなと思って……」
「ちょっと待ってよ、何の話?冗談はもう止めろって言ったよな」
「この前、綺麗な女性と腕を組んで歩いてるのを見たので……ほ、他に好きな人が出来たの、かなって……」
 しどろもどろになりながらも、今している事の理由を千寿が説明すれば、五条はぴたりと動きを止めて掴んでいた手を離した。
「くそ、やられた……違うから、誤解だよ千寿落ち着いて、浮気なんて絶対してないから、ほんとだよ」
「私はいつも通りですけど……むしろ五条さんの方が落ち着いてください」
「五条って呼び方もやめてよ悟に戻してよ、本当に誤解だから、僕千寿以外の女に興味なんてこれっぽっちも無いから、前にも言ったよね?」
「わ、わかりましたからあの、離してください」
「やだ絶対別れたりなんかしないから、ごめんねちゃんと千寿に説明しとけばよかった、本当に違うから」
 あれは嫌いな上層部の関係者だから、護衛を仕事として頼まれて仕方なく相手しただけだ、とつらつらと千寿の肩を掴みながら誤解を解こうと説明する五条に、千寿は何とか割って入ろうと声をかけた。
「あの、一回落ち着いてください、分かりましたから」
「僕性格悪いけどさ、千寿のこと蔑ろになんてするつもりないんだよ、どうしたらいい?今すぐ護衛なんてくだらない依頼した野郎とあの女連れて来て吐かせれば信じてくれる?あ、でも千寿と一緒に過ごす部屋にあんな汚いの入れたくないな、人気のない所でいっそ……」
「だ、駄目ですって、ちょっと、悟さん!!」
 べちん、と両手で五条の頬を挟めば千寿は声を張り上げる。
 叩いた弾みでずれた目隠しの隙間から、呆然とする五条の表情がちらりと覗いている。
「ちゃんと悟さんの話、聞きますから、私が勝手に勘違いしてるのは分かりましたから。だから、落ち着いてください」
「……別れない?」
「はい」
「この鍵もまだ持っててくれる?」
「悟さんが返して欲しいと言ってくるまで、もう私からは返しません」
「片付けてる荷物、ちゃんと元に戻してよ」
「置いてあった場所にちゃんと戻しておきます」
 ぽつりぽつりと、しおらしい様子でそう尋ねる五条に返していけば、肩を掴んでいた両手は後ろに回され抱き締められていく。
「……もう二度とこんな事しないで」
「すみません、約束します」
「絶対だよ、このまま千寿が離れたらどうしようって本気で焦った」
「ええと、その、本当にすみません……」
「今日はもうこのままずっと僕と一緒に居て」
「……はい」
 ぎゅうぎゅうと此処に居るのを確かめるように抱きしめながら、不貞腐れた顔をして五条は千寿にそう告げる。
 申し訳なさそうにこくりと五条の言葉に頷くしかない千寿は、何処かほっとした自分を不思議に思い首を傾げながら、次からは話し合いをもう少ししようとぼんやりと考えた。



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