胡蝶の夢 壱


 ひんやりと夜風が吹いている深夜、高専の敷地内をのんびりと歩いていく。
 ほんの少ししかない街灯を頼りにふらふらと歩いていれば、見知った大きな人影が目の前に現れた。
「あれ、こんな時間に何してるの」
「五条先生こそ、こんな遅くにどうしたんですか」
「僕はついさっきまで任務。で、君は?夜更かしは女子の敵じゃないの」
「あはは、ちょっと、最近寝付けなくて」
「ふーん……それで散歩してるの?でもいくら敷地内だからって、夜道の一人歩きは先生としては見過ごせないなあ。送ってあげるからもう部屋に戻りな」
 そう言うと五条先生はゆっくりと隣を歩いて女子寮まで付き添ってくれる。
 他愛のない会話をしながら寮の入り口まで来れば、くるりと先生へ向き直ってお礼を述べた。
「忙しいのに、ありがとうございます先生」
「いいって、可愛い生徒の為だからね。あ、そうだ、眠れないならこれあげるよ」 
  ごそごそと五条先生が取り出したのは、手のひらくらいの巾着のようなもので、金糸の刺繍がとても綺麗だと思わず見とれてしまった。
「あの、これは……?」
「香袋……あー、香水とかアロマキャンドルとか?そういうのに似たやつだよ。気休め程度にはなると思ったんだけど」
「へぇ……!可愛い袋ですね」
「お土産にって買ってみたけど、皆育ち盛りだからか食べ物の方が嬉しいみたいでさー、良かったら貰ってよ」
「え、勿体ない……いいんですか?ありがとうございます」
「それじゃ、おやすみ」
 ひらひらと手を振って去って行く五条先生を見送れば、早速部屋に帰ってベッドに袋を括り付ける。
 ふわりと優しい香りが広がれば、何だか今夜はちゃんと眠れそうだと布団に潜って目を閉じた。

「おはよう野薔薇ちゃん」
「おはよ。アンタ、何か今日は朝から機嫌良いわね?」
「えへへ、昨日はちゃんと眠れたんだ」
「ふーん、よかったじゃない。最近寝不足気味だったものね」
 翌朝、にこにこと野薔薇ちゃんにそう報告しながら、昨日五条先生から貰った袋のおかげだろうかと少し嬉しくなる。
「それにね、ちょっといい夢まで見れたんだ」
「夢?どんなの?」
「みんなと遊んでる夢だよ」
「もー、可愛いこと言うじゃない!」
 ご機嫌に二人で教室に向かいながら、これなら今日の夜も大丈夫そうだと少し眠るのが楽しみになった。

 一日を終えて部屋に戻れば、昨日より少し部屋の中にあの袋の香りが広がっている。
 何だか余計な力が抜けてほっとすれば、眠る為にいそいそとお風呂に入ったりと準備した。
「ふふ、また何か夢が見れたらいいなあ」
 期待に胸を膨らませながら、今までと違って布団に潜ればうとうとと船を漕いでそのまま意識が遠のいていった。
 ──夢を見る。見慣れた教室、楽しそうな同級生達の笑い声、それから五条先生の声も。
ふと、目隠し越しに先生と目が合ったような錯覚になる。首を傾げながら近付いて、五条先生の手がこちらに伸びてきて。それから
「……っ!?う、わ……あ…」
 はっと目が覚めれば、視界は見慣れた自分の部屋の天井を映した。 
  随分と恥ずかしい夢を見てしまった気がして、ばくばくといつもより早い鼓動を落ち着けようとそのままベッドから起き上がる。

 そんな朝を迎えても、いつも通り皆と授業をして、楽しく会話をしていればふと何か違和感を覚えて思考を其方に巡らせていく。
 それに気付いた虎杖君は、きょとんと声をかけてきた。
「……ん?どうかした?変な顔して」
「虎杖、アンタ変なこと言ったんじゃないの」
「え、俺?」
「あ、ううん。違うの……なんか……この話、前もしなかった?」
 首を傾げながら三人にそう問えば、不思議そうな顔を返されてしまった。
「いや、俺は記憶にない」
「俺も今日初めてこの話したと思ったんだけど」
「別の人と話したとか?ほら真希さん達とか」
「ううん、そういうのじゃなくて……あ!夢!夢で見た!」
「夢?正夢ってことか?」
「なんだよもー、びっくりしたじゃんか!」
 納得した私とは反対に、三人が可笑しそうに笑う光景も、昨夜見た夢と全く同じだった。
「なになに〜?皆して楽しそうじゃん、どうしたの」
「あ、五条先生!聞いてよ、こいつ正夢見たらしくて、珍しくね?」
「ち、ちょっと虎杖君!恥ずかしいから!」
「へぇ、てことはちゃんと寝れてるってこと?寝付けないって言ってたもんねぇ……ん?」
 ぺしぺしと虎杖君の肩を叩いていれば、じっと五条先生はこちらを見つめてくる。
 あれ、これも何だか見覚えが。なんて思った時には先生の手はするりと私の頬を包んで、ゆっくりと目の下を確かめるように撫でた。
「でもまだちょっとクマが出来てるね、あんまり寝れないようなら硝子に相談するとか、病院行った方がいいよ」
「……あ、ありがとう、ございます」
 ここまで再現されなくても、なんて真っ赤になりながら頷けば、五条先生は満足そうに手を離した。

 それから頻繁に夢を見る。そうじゃない事も時々あるけれど、明らかに正夢になる事が多いそれに、何だか違和感が拭えない。
 しかも眠りが浅いのか、最近は日中もうとうとしてしまう日が出てくる。
 うっかり意識を手放した時にさえぼんやりと夢のようなものを見てしまうものだから、起きた時に記憶が混濁して皆に迷惑をかけてしまっていた。
「おい、大丈夫か」
「あ、う、うん。あれ?今外で体術の練習……?」
「いや、もう授業とっくに終わってるぞ。……眠れないんだったか、前に五条先生が言ってたけど」
「そう、なんだよね……最近は昼間に眠気が来ちゃって、良くないよね……」
「流石にそんな状態のままは良くないと思うぞ。ちゃんと診てもらった方がいい」
「そうだよね、そう、しようかな」
 伏黒君の言葉に頷けば、そのままふらふらと家入先生の所へひとまず相談に行こうと歩き出す。
 途中、ぽすんと誰かにぶつかってしまい力が入らずにそのまま座り込んでしまった。



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