抽冬先輩と千寿と


 真玉千寿は困惑した。
 目の前には信用も信頼も尊敬もしているひとつ上の先輩、抽冬雪花がにこにことこちらに手を差し出している。
 その手の上には透明の小さな包みがひとつ。小さなぬいぐるみに見える中身は、どこをどう見ても自分の恋人である五条悟にそっくりな姿形をしていた。
「……あの、雪花先輩。これは」
「これ、千寿ちゃんに」
「ええと、五条さんそっくりに見えるんですけど……?」
 悩ましげな顔を向けながら、千寿は雪花とぬいぐるみを交互に見つめる。
 彼女が年下の千寿が心配になるくらい、素直で優しい女性なのはよく知っている。
 このぬいぐるみも、五条と交際する事を聞いて(正しくは五条が各所に言いふらして)自分にと渡しに来たのだろう、と考えるものの見た目のせいか受け取るのに躊躇った。
 そうしてしばらく無言で見つめている千寿に段々と不安になったのか、雪花の眉が下がっていく。
「い、嫌だった、かな……?」
「嫌じゃありません、ありがとうございます雪花先輩」
 慌てて雪花の手からぬいぐるみを受け取る。嬉しそうに笑う様子に安堵すれば、雪花は仕事だからと別れて行った。

 自室に戻って改めてぬいぐるみをまじまじと観察する。何度見ても五条にそっくりなそれに、どうしたのかと複雑な顔を浮かべた。
「……本人もこれくらい静かだと良いんだけどなあ」
 くるりと裏返してぬいぐるみを軽く調べてみたり、指でつついて転がしてみたりと異常がないか探ってみるものの、特に何も起きる事は無かった。
「……物に罪は無いし」
 見た目が五条に似ているせいか、どこか見られているような気さえしつつも雪花がくれたものだから、と千寿はとりあえずリビングに飾る事にした。

 数週間後、久々に雪花と昼食を共にした千寿は彼女が手にしているものに目を疑った。
「……雪花先輩、それ……」
「あ、これ?傑くんがね、何かあった時のために持ってて欲しいって」
 照れたようにそう告げる雪花に額を抑えながら小さくため息をつく。
「そう、なんですね……夏油先輩が、それを」
「そうなの、可愛いよね」
「可愛……?」
 下手な事に口を出すと自分に返って来かねない、と夏油の笑顔が浮かびながら大事そうに持ち歩いている様子の雪花に無難な返事をした。
「千寿ちゃんはこの前の、持ってないの?」
「え?部屋に置いてありますよ」
「そ、そうなんだ……」
「……あ、写真ですか?それなら今度一度持って来て……」
「そういうわけじゃないんだけど、あのぬいぐるみ五条くんが拘って……あっ」
 ばっ、と千寿は食事の手を止め雪花の方を見る。雪花は明らかに口元を抑えながらやってしまったとばかりの表情を浮かべていた。
「ち、違うの!なんでもないの!」
「今、五条さんって言いましたか?」
「言ってない、言ってないよ、五条くんが作ったなんて言って……あっ!」
 ぼろぼろとひとりでに真実を口に出す雪花をじっと見つめながら、千寿は優しく声をかける。
「先輩、落ち着いてください。別に怒ってませんから」
「ほ、ほんと?」
「はい、大丈夫ですよ」
 安心した様子で頷く雪花とそのまま昼食を続ければ、仕事を終わらせた後千寿は確認をしようと五条の部屋を訪ねて行った。

「千寿から来るなんて珍しいね!なになに、どうしたの」
「悟さん、これ、心当たりありますか」
「……えー、何それ?僕に似てる気がするけど」
「雪花先輩に貰いました」
「そうなの?雪花、傑そっくりの人形持ってたし傑の悪戯?凝ってるねえ」
 ずい、と目の前にぬいぐるみを突きつければ、にこにこと笑いながら我関せずの態度を取る五条にじとりとした視線を千寿は送る。
「悟さんが雪花先輩に根回ししたんですよね」
「あれ、僕疑われてる?酷いなあ、雪花が勝手にそう言ってるんでしょ?僕だってその人形今初めて見たから知らないよ」
「……本当ですか?」
「本当だって、むしろ傑だろ、僕の名前出して雪花の事騙してるんじゃない?」
「確かに、夏油先輩もやりかねないですけど……」
「でしょー?ほらほら彼氏の僕を疑うなんて酷いよ千寿」
 しくしく、と態とらしく泣くふりをしながらそう告げる五条に小さくため息をつく。
「……すみません」
「分かってくれたらいいんだよ!」
「じゃあこのぬいぐるみは捨てておきますね」
「……え、捨てるの?」
 ぴたりと五条の動きが止まる。問い掛けられた言葉にきょとんとしながら千寿も当然のような顔をする。
「夏油先輩の悪戯ならこれ、呪骸かもしれないですし……何か起きる前に捨てようかと」
「いやいや、流石に可哀想じゃない?僕似の人形だよ?心は痛まないの?」
「はい、全く」
「即答?もうちょっと惜しんでよ……?あ、ほら、雪花だって悲しんじゃうよ?折角渡したもの捨てたなんて聞いたらさ」
「先輩には後でお詫びに行きます」
「ちょっと落ち着こうよ千寿、別に捨てなくても良いと思うなあ僕は」
「……悟さんは関係ないですよね?」
 突然慌てだした五条に、淡々とそう答えれば肩を落として震え出す。顔を上げたかと思えば、むすっとした表情を五条は向けた。
「あーもー、そうだよ!僕が作って雪花に頼んだの!だから捨てないで!」
「いえ、尚更捨てます……」
「何で!?僕が丹精込めて作ったんだからそのまま飾っといてよ!」
「やっぱり悟さんが作った呪骸じゃないですか……部屋に置いておくのはちょっと。そもそも何でそんなに必死なんですか?」
 困ったようにそう問いかければ、千寿を抱きしめ額を押しつけながらぽつりと五条は寂しそうに呟いていく。
「だってさあ……千寿、土産のお菓子以外受け取らないでしょ。僕が直接渡したら絶対断られると思って……傑じゃないけど心配なんだよ、何かあったらどうしようって」
「だからってこんな回りくどい事しなくても……」
「こうでもしなきゃ千寿に何かあった時一番に駆け付けられないと思って……ちっとも僕の事頼ってくれないし……」
 弱々しく告げる五条に少しだけ申し訳なく思えば、ごそごそと鞄を漁る。
「わ、分かりました、分かりましたから。そういう事ならこれ、悟さんに渡しますから」
「……鍵?」
「私の部屋の合鍵、悟さんに渡しておきます。そんなに心配だって言うなら、何かあったら私の部屋に入って構いませんから。これならいいですよね?」
「え、いいの?合鍵だよ?」
「呪骸渡されるよりは……それに嫌だったら、渡しません、し」
「……ありがと千寿!あっじゃあ僕の合鍵も渡しとくね!いつでも来ていいから!ていうか毎日来てもいいよ!僕も毎日千寿の部屋行く」
「いや、毎日はちょっと」
 ぱあ、と嬉しそうにする五条に照れたように赤くなりながら、一先ずこれで変なものは押しつけられないだろうと安堵する千寿だった。

「合鍵貰えるなんて思ってなかったからラッキーだったなあ、雪花にはお礼しとかなきゃかな」
 千寿が部屋を去って行くのを見送った後、上機嫌に受け取った鍵を眺めながら五条は同期の雪花にほんの少し感謝した。




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