ほととぎすの声は枝葉を越えて


 部屋の外の喧騒が、夜の独特な賑やかさへと変わっていく時刻。
 時計の針が真上に近付こうとする頃に、ようやくパソコンの電源を落とした。
「やっと終わったあ……」
 自分の席で背伸びをしながら、よろよろと帰宅の準備をする。
 社内にはもう自分以外誰も居らず、しんと静まり返る中部屋の明かりを消して外へ出た。
「お疲れ様……まだ居たのか、もう随分遅い時間なのに」
「あ、お疲れ様です。ちょっと急ぎの仕事が出来ちゃって」
 ──最近、社内便を担当し始めた事で良く顔を合わせる様になった別部署の男性が、出入口で鉢合わせれば驚いたような声音でそう告げる。
 愛想笑いを浮かべながら残業の理由を話せば、そのまま何となく二人同じ方向へ並んで歩き出す。
「こんな時間までご苦労様。最近、この辺で不審者が彷徨いてるなんて話もあるから気をつけた方がいい」
「えー、ただでさえ飲み屋が近くて治安が悪いのに……気を付けなきゃ」
「明るいうちに帰れるのが一番だけどな」
「本当ですよ。あーあ、帰りたいなあ」
「今まさに帰宅途中なのに?」
 くすくすとおかしそうに笑っている様子を横目で見ながら、疲れ切った自分の口は普段は口にしないような言葉をぽつりと零していた。
「そうですけど、つい言いたくなるもんですよ。テイワットに帰りたいなぁって……あれ?」
 しまった、と思わず自分の口を手で塞ぐ。
 ただでさえ仕事で少し顔を合わせていただけの人相手に、突然知らない場所へ帰りたいだなんて呟いてしまったことにサッと血の気が引いていく。
 ゲームを知っているかも、そもそもゲームをして遊ぶようなタイプかもわからないのに、と焦れば言葉にならない声ばかりが次々と口をついて出た。
「いや、あの、今のはついっていうか、ちょっと最近ハマってる作品の話でええと、冗談で──」
「なんだ。お前がそんな風に思ってくれていたならこんな回りくどい事をする必要は無かったな」
「……え?」
 予想もしていなかった言葉に、素っ頓狂な声しか返せなかった。それでも目の前の男は、どこか満足そうに言葉を続けていく。
「まずはこの世界を手放せるような理由でも調べようと思っていたが、自然とそんな言葉が出るなんて、同じように思ってくれていたんだな。皆もお前に会いたがってるし、旅人も連れて来られたら全て丸く収まると言っていたんだ」
「え、と、なんの、話……」
 相手の言葉に理解が及ばないのをよそに、まるで分かり合っているような態度で手を握られる。お互いこんな時間まで仕事なんてして、気が狂っているのかと顔を上げれば、ふと男の顔に違和感が生まれた。

 そもそも、彼は一体『誰』なのか。

 元々、自分の会社に社内便なんてものは存在しないと唐突に思い出す。
 なら、彼はどこの誰で、何故こんなに親しげに自分に話しかけているのか。
「この世界とはだいぶ勝手が違うから、最初は不慣れな事も多いかもしれない。心配しなくても、俺が支えるつもりだ」
 握られ手がそっと引き寄せられる。壊れ物を扱うかのように優しく抱き寄せられれば、くらりと力が抜けていった。
「ああ、そうだ。大事なことを忘れる所だった」
 意識が沈むような感覚の中、どこか聞き慣れた声は愛おしそうに耳元で告げる。
「おかえり、──。」
 ぱきん、とガラスが割れたような音が響けば、世界は暗転し、重力が増したように身体は重く沈んでいった。



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