小さな魔女は何も知らない


「おねえちゃん!」
 たた、と軽快な足音と共に小さな女の子が駆け寄って来る。
「こんにちは、クレーちゃん」
「こんにちは!えへへ、クレーは今日もおねえちゃんと遊べるのすっごく楽しみにしてたの!」
「私も楽しみにしてたよ、今日は何して遊ぼうか」
 きらきらと輝く宝石のような目をして、クレーちゃんは楽しそうに今日の予定を教えてくれる。
「えっとね、今日は最初におさかなをどっかーん!……は、ジン団長に怒られちゃうから、おさかな釣りしたいなあ」
 小さな体で動くその様子をじっと見つめていれば、やはりそれはどこをどう見ても自分が遊んでいたゲームの中のキャラクター、クレーそのものなのだとしみじみと痛感する。
 ──数日前、突然このテイワットにやって来てしまった時は、何が起きているのか全く分からないまま、これは鮮明な夢なのだろうというくらいにしか思っていなかった。
 けれど、待てど暮らせど自分が目が覚めることが無い事実に気が付いて、ようやくこれは現実なのだと知った時には血の気が消えたものだった。
 幸い、彼女の母親であるアリスさんに接触出来たことでこの世界から帰る方法がある事を教えて貰えた。
「次の満月の日に、貴女が来た時と同じ方法で帰してあげられるわ。その間は良ければクレーちゃんと遊んであげてくれないかしら」

 そんなわけで、帰れる目処もついて心穏やかな状況で、残りの日々をクレーちゃんと遊ぶことに費やしている。
「おねえちゃんはすっごく遠い所からモンドに遊びに来たんだよね?ママが言ってた!」
「そうなの、モンドからはすっごく遠い所にお家があるんだ」
「ねぇねぇ、モンドは楽しい?」
「うん、ご飯も美味しいし綺麗な景色はたくさんあるし、クレーちゃんも居るしね」
「本当!?じゃあ、おねえちゃんもモンドにお引越ししたらいいと思うの!」
 嬉しそうにそう提案する彼女は、きっと純粋に一緒に居たくてそんな事を口にしているのだろうと優しく頭を撫でる。
「うーん……お引越しは、難しいかなあ」
「そっかあ、クレー、おねえちゃんとずっと一緒に遊んでたいのになあ」
「ごめんねクレーちゃん、あと何日かしたら帰らないといけないから……」
 しゅん、とどこか寂しそうな顔をする小さな少女に、良心が少し痛みながらもそう説明する。
「わかった、クレー、ちゃんとおねえちゃんとばいばいするよ」
「ありがとう、でも私、クレーちゃんの事忘れないからね」
「うん、うん!クレーもずっと忘れない!」
 少しだけ、自分を慕ってくれるこんなに可愛いこの子を置いて帰ることに後ろ髪を引かれつつも、この世界での残り時間もあと僅かなんだ、と思い残すことの無いように思い切りクレーちゃんと遊び尽くした。

 満月の夜を迎える日。今日がこの世界とのお別れの日なんだと思いながらクレーちゃんと待ち合わせをしていれば、彼女は何かを大事そうに抱えてやって来た。
「クレーちゃん、それどうしたの?」
「あのね、これ、おねえちゃんに飲んで欲しいの!」
 そう言いながら差し出された瓶の中は、キラキラと少し光沢のありそうな液体で満たされている。
「私が飲むの?」
「うん!これはね、うれしい事が起きる魔法のアップルサイダーなんだよ!」
 魔法、と聞いて少し身構える。この世界で、魔法という言葉が意味するのは願掛けなんて可愛らしいものでは無いことは充分理解しているつもりだ。
「クレー、おねえちゃんにクレーのこと忘れてほしくなくて、そしたらね、ママがこれをくれたの!『おねえちゃんがクレーの事が大好きなら、ぜったい飲んでくれるから』って。これならおねえちゃん、クレーのこと忘れないでくれると思ったの!」
 無邪気にそう説明する様子に、思わず背筋がぞわりと震える。
 これを飲んではいけないと、どこか本能が告げている。けれど、期待に満ちた幼い彼女の視線はずっとこちらを捉えて離さない。
 これを飲んだらきっと後には戻れない。あの人がどんな人物か、自分は多少なりとも知っていたはずなのに。
 ぐるぐると思考と感情が渦巻きながら、画面越しではない、正真正銘生きている目の前の少女を見つめて、震える手で可愛らしい形をした瓶の蓋を開ける。
 ──ああ、なんてずるい魔女なんだろう。
「……っう、けほ……ッ」
 煽るように傾けた瓶の中身を一気に飲み干す。
 飲み込んだ瞬間に、どくどくと心臓が早鐘のように動いていくのが嫌でも分かった。
「おねえちゃん?大丈夫……?もしかして、おいしくなかった?」
「ッ……は……だ、大丈夫、おいしかったよクレーちゃん。ちょっと、ええと、パチパチしたからびっくりしちゃっただけだから」
 慌ててそう説明すれば、安堵した表情をしながらクレーちゃんは楽しげに言葉を続ける。
「ほんとう?クレーもね、アップルサイダーのパチパチ〜ってなる時が楽しくて好きなんだあ」
「そっか……あのねクレーちゃん、私からもサプライズがあるんだ」
「サプライズ!?え、なんだろう……!?」
「クレーちゃんがたくさんモンドの楽しい所を教えてくれたから、やっぱり、私モンドにお引越ししてこようと思ったんだ」
 優しく小さな掌を握れば、彼女の可愛らしい瞳はみるみるうちに大きく見開かれて嬉しそうな笑顔に変わっていく。
「え、じゃ、じゃあ、これからもおねえちゃんとずっと一緒に遊べるの!?」
「そうだよ」
「わ、わあ……!クレーすっごくうれしい!やっぱりママはすごいや、本当にうれしい事が起きたんだもん!」
「……クレーちゃんがうれしいと、私も嬉しいよ」
 喜びを抑えきれないのか、ぴょんぴょんと周りを跳ねて回る様子に笑みを浮かべる。
 こうなってしまった今となっては、果たしてあの人が帰れると言っていた言葉の真偽も、最初からこうするつもりでいたのかも、もう確かめようがない事だ。
 パチパチと、口の中で弾けるアップルサイダーは、ほんの少しだけしょっぱいような味がした。

「これからもたくさん遊んでね、おねえちゃん!」



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