シックス・センテンス_1

突っ立ったままでモニタを見つめ続けているあきの事など知らない画面越しの王様は、散々楽しそうに笑った後無慈悲に接続を切った。
「ああクソ、またパーティがおっぱじまりやがった」
ダニエルは苛立ちを隠そうともせずガシガシと雑に頭を掻き、溜息を零す。鳴り響く携帯の呼び出し音に眉を寄せながら、ダニエルはアンに「後は頼む」と告げ部屋を出て行った。
ドアを閉じる前に一言、「仕事をしろよ」と釘を刺して。
その言葉にまだまだ語りたそうな表情を浮かべていたアンは渋々というようにあきに向き合った。
「ええっと、ミズ、ヒトトセ?ごめんなさいね、魔術の話になるといつもこうなの。…とりあえず、貴方の今後のことについて話をしなくちゃね」
アンは穏やかに、それでも淡々と言葉を並べた。
彼女の話は大きく分けて三つだった。
ひとつはあきが「暫く日本へ戻れない」という事。
もうひとつは「その間の衣食住についてはHLPDが保証を約束する」という事。
最後は「"春秋あき"も容疑者の一人である」という事。
「容疑者、って、…私がその転移魔術を使ったって、疑われてるってことですか?」
「そう深く考えなくていいわ、犯人が絞れてない以上一応被害者にも可能性はあるってだけ。留置所に入れられるなんてことはないから心配しないで。…でも、あなたが魔術に無関係だって証明されるまでは自由も制限されると思ってね。」
あきは顔を上げてへらりと優しく笑みを浮かべる。
仕方のないことだ。それでも、今までの人生容疑者扱いなどされたことがない。疑われているのだと自覚すると誰に向けるわけでもない不信感が胸の中を引っ掻いた様な気がした。

あきはその後別の警察官にビジネスホテルへと案内され、衣類や必需品についての軽い説明をされると翌朝までを自由に過ごせと一室に放り込まれた。
自由時間と言えども重要参考人の身では外出もできない。時間だけを与えられたところで何をすればいいのか。ぶつぶつと小さく文句を零しながらあきはカーテンを開ける。暗くなり光が灯る街を窓越しに見下ろすと、視界の端に一冊の本がガラス窓に反射して映った。深い赤色をした無地の表紙に中身が気になり手に取る。どうやらそれは、ホテルが一室に一冊用意する聖書のようだった。
中身は英語、読める筈もないが多少の暇は潰せるだろうと表紙を開き文字に目を落とす。
「……は?」
さらりと目を通しては思わず声を漏らした。
読めるのだ。
特別英語が出来るわけでもなく、聖書もロクに読んだことのないあきが、まるで母国語に目を通したかのように文字の意味を理解していた。
ページをぺらぺらと捲り文字を追う。確かに気のせいなどではない。
(ーーーー英語が、読めてる。)
必死で字を追っているうちに軽く目眩を起こしかけたのか、あきは聖書を放り出すとベッドに横たわった。
聖書も乱暴に扱えばバチが当たるんだろうか、なんて頭の中の冷静な自分がどうでもいいことを呟く。あきにしてみれば今の状況そのものが"バチ"の当たった結果のようなものなのだが。
幸い、時間は余る程あった。あきは乱暴にペンを取ると椅子へ向かい、部屋に用意されているメモ用紙にボールペンを滑らせ始めた。
「クソッタレ……!!」
ぼそりと漏れた声色には何処か、"感嘆"の色が滲んでいた。

雑に書き殴ったメモ用紙には英語、スペイン語、イタリア語、中国語など、異国の言葉が並んでいる。
これらは全てあきにとって『なぜか理解できた』言葉たちだ。
ひらがなで伝えたいことを表記するのと同じくらい「当たり前」に出来てしまった。勿論一般人でしかない彼女にはそんな言語を習った経験などはないし、現地に行ったことだってない。
本来ならこんなこと、「出来るわけがない」はずだ。
あきは疲れた表情を浮かべたままゆっくりと顔を上げ、なるべく音を立てないように窓を開けた。外の空気と共に遠くからの喧騒が部屋に流れ込む。
ここは、"ヘルサレムズロット"。…どれだけあきが拒絶し逃れようとしたところでこの街の名はそれ以外にない。
……ああ、そうか。自分は、次元を越えてしまったのか。
何処か現実味のない事実に未だあきはハイ状態から下りられていないらしく、全てが他人事の様に感じる。
"事実は小説より奇なり"とはよく言ったものだが、今少女が置かれた状況は、"現実"なのか"虚構"なのかすらも曖昧なものだろう。そう考えるとやはり、"世界は何でも起こるのだ"という言葉にも納得がいく。
どんよりと分厚い雲が空を覆う。
(この世界で、私はどう生きればいいのか。)
得体の知れない異界人の死体に自分の未来の姿を見た気がして、あきは小さく乾いた笑いを吐き出した。