シックス・センテンス_2

「……ダニエル・ロウ警部補を呼んでください。」
あきの握り締めた手に汗が滲む。
翌日、調査の続きをとあきが取調室に連れられると、そこには昨日とは違う男性警官の姿があった。
今、この組織であきが信用出来るのは、ダニエル・ロウだけだった。あきにとって信用のできない"警察機関"で、唯一自分の命を預けてもいいと思える相手が彼である。画面越しに見たその姿だけを頼りに、彼女は今命を賭けている。警官にとっては迷惑極まりない行為かもしれないが、あきにとってはそんなことは二の次、三の次でしかない。何も知らないままこの街で生きて行ける力など持っていない少女が縋れるものは、たった一つだけなのだから。
「は?」
警官の顔が曇る。当たり前だ。昨日保護したばかりの小娘が開口一番別の人間を呼ぶなんて、警官には舐め腐った態度にしか見えない。
「悪いが、ウチはそういうシステムじゃないんだ。日本じゃどうか知らないけどね。」
小馬鹿にしたような口振りで男は肩を竦めた。上から押さえつけるような瞳。この声色と見下したような目線を彼女は、嫌というほど見てきた。
怯むな。
あきはゆっくりと息を吸い込むと警官の瞳を見上げ、はっきりと言葉を告げた。
「…私は、彼でなければ何も話しません。捜査に協力もしません。ですが、彼と話すことが出来れば、私はHLPDにどんな些細なことでも助力を惜しまないことをお約束します。」
少しでも引くと思わせるな。あきは半ば睨み付けるように相手の瞳を見つめていると、警官は盛大に溜息をついた後取調室から出て行った。取調室に、大きな舌打ちを残して。
思わず緩みそうになった気を慌てて引き締める。まだダニエルが現れると決まったわけではない。女の戯言だと切り捨てられる可能性も十分にある。少女の手にはきつく握り過ぎたせいで出来た爪痕がじくじくと痛んでいる。
…目の前の、大して重たくもないドアがゆっくりと開いた。
暗い色の髪で片目を隠した男。
紛れもなく、ダニエル・ロウだ。
「…昨日ぶりだな。」
昨日とは違う、疑心の覗く瞳。自分にとって憧れの人間にそんな目で見られる日が来ようとは、誰が予想していただろう。まあ、あきが彼に出会えた時から起こる出来事は、既に予想の範疇を遥かに超え続けているが。
そんな冗談を内心で言ってもなんの誤魔化しにもならない。あきは緊張で震える指先を握りしめる。
「で、俺を呼んだ理由は何だ。春秋あき。」
顔が上げられない。そもそも自分が目の前の男相手に交渉出来るのか?ぐるぐると頭の中が喧しい。
ええい、儘よ。あきは手の甲に爪を突き立てると、跳ね上げたように相手の顔を見上げた。
「ダニエル・ロウ警部補。……貴方は、ライブラをご存知ですね?」
ダニエルの目付きが変わる。眉を寄せ、訝しげに細められた目線を振り払うように言葉を繋げる。
「……私は恐らく、…………別の次元から来ました。」

***

「…次元超越者?」
薄汚れた路地裏には似つかわしくない穏やかなテノールが響く。
頬に傷を持つ男__スティーブン・A・スターフェイズは僅かに小首を傾げ、眼前の男を見遣った。
「ああ、そうだ。次元怪盗ヴェネーノ。…恐らくあいつと同じ類の人間だろうな。」
瓦礫に座り込むトレンチコートの男__ダニエル・ロウは口角を上げ、相手の顔を見上げる。
いつにも増して鋭く尖った視線が互いに絡まる。
「それで?それを僕に教えてどうする気なんだ?」
情報が少な過ぎる。HLPDの意図も、ダニエルの意図もスティーブンは計りかねていた。不確かな情報を深追いする程、スティーブンは馬鹿ではない。
ダニエルは目を細めてスティーブンの顔を見据え、低く言葉を繋げた。
「…前例が少ねえ。お前らの持っている情報が欲しい。」
「……僕達にメリットは?」
冷ややかな声が吐き出される。交渉はギブアンドテイクが鉄則だろう。利益にもならない手伝いをわざわざする理由はライブラにない。
ダニエルは暫く黙り込んだ後短くなった煙草を踏み消して口を開く。
「どうやら、そいつは変わった目を持ってる」
僅かにスティーブンが眉を動かした。
変わった目?そう言いたげにダニエルと目線を合わせると、ダニエルは立ち上がりスティーブンと距離を詰めた。
「"全ての言語を解するヒューマー"だとよ。信じるか?」
「…その言い方じゃ、ただ博識、ってわけじゃないんだろう?」
「当然だ。…"異界語"を読み、理解し、話す。んなこた普通の人間には出来ねえ。普通ならな。そもそも異界人と俺たちじゃ発声器官が違うし、多くある内の異界語でも訳されてんのは今現在数言語だけだ。…それが、読めちまうんだと。」
新しい煙草を取り出すとダニエルはそれを咥えて火を点け、煙を深く吸い込んだ。ダニエルとスティーブンの間で交わされる交渉は普段から張り詰めた雰囲気のものだったが、ライブラのボスもダニエルの部下も居ない今回はいつにも増して路地裏に空気が冷たく流れている。
端的に言ってしまえば、今ここでスティーブンがダニエルを消す事は至極簡単な事だ。だが抜け目のない彼のことだ、今ここで殺したら余計な事にしかならないことが目に見えていた。
スティーブンは内心で小さく独り言つ。…ああくそ、仕事の出来る警官は嫌いだ。
静かにダニエルの話を聞いていたスティーブンが溜息交じりに言葉を吐き出す。
「…わかった、こちらでも調べよう。」
1人残った路地裏でダニエルは細く煙を吐き出す。
もしこれが、「カミサマ」の思い通りなら。
異世界で今も俺を見ている人間はどんな顔をしているのかと、どうにもならないことを考えた。