トゥルーレディ・ショウ_1

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「次元超越者…っすか。」
ライブラ。
異界と現世が交わるこの街で"世界の均衡"を保つ為暗躍する秘密結社。霧のかかったこの町のように全貌が霞み、ひとたび正確な情報を手に入れればそれが断片だったとしても億単位の値段が付く。そんな危険な組織の事務所には不釣り合いにも思える、年若い少年の声が響いた。
少年の名前はレオナルド・ウォッチ。とある事情から神々の義眼を所有する様になった元一般人のライブラ構成員である。
スティーブンはレオナルドの問いに、手元の書類を眺めながら淡々と言葉を並べ出した。
「言葉通り"次元を越えてきた"存在だ。HLPD曰く、別の次元からこの街に訪れた少女がいるらしい。だがまあ、如何せん情報が少ないからな。あっちから協力を要請されたんだ。」
次元超越者…"春秋あき"の話した情報が書かれた資料をレオナルドへ示すように裏返すと、僅かに不満を滲ませたような青年の声色がスティーブンへと飛んでくる。
「それ、事実だっつー信用はあるんスか?」
ザップ・レンフロ。レオナルドの先輩でライブラの構成員だ。元一般人のレオナルドとは対照的に、ライブラが設立される以前より裏街道を歩いて来た青年。一部のHLPDによる杜撰な仕事ぶりを知っているザップが警戒するのは無理もない話である。
「そこで、だ少年。」
スティーブンは資料をレオナルドへ放ると軽く小首を傾げて笑みを浮かべた。レオナルドもライブラに来てから暫くが経つ。その笑みを為す理由も、とうに知っている。
「君と僕でその少女に会いに行く。本人からの御指名だそうだ。」

スティーブンさんと僕が二人で仕事につくなんて、初めてだ。
レオナルドは胸中でポツリと溢す。
スティーブンとレオナルドは役割の違いから、二人で共に仕事をする機会が少ない。レオナルドは普段ザップやツェッドと言った同年代で纏まっているし、スティーブンはクラウスと共に居ることが多い。そんな二人を何故少女は直々に指名したのか。顔を合わせてみないことにはわかるわけもなく、レオナルドは一人首を傾げたのだった。

***

HLPD署内、第二会議室。
ライブラの面々がダニエルに案内されドアを開けたそこには、少女が座っていた。次元超越者という堅苦しい言葉は似合わない、特筆すべき点もないような、普通の少女が。
少女_春秋あきは部屋に入る面々に気が付くと慌てて椅子から立ち上がり、会釈というには深すぎる礼をした。
本日集まったのはライブラのリーダーであるクラウス・V・ラインヘルツと、あきの指定した二名、監視役のダニエルの計五名。
最初に口を開いたのはクラウスだった。礼儀正しく腰を折り目線を合わせて丁寧な挨拶とともに名刺を差し出した。秘密結社とは何か。
あきは手元の名刺に目線を落とす。特別豪奢というわけではないが、手触りから確実に高級な素材を使っているだろうそれに住む世界の違い(これは決してジョークではない)を感じる。
「この度は無理を言ってしまって…すみません。」
あきが再度頭を下げようとするところをクラウスが軽く手で制止する。僅かに空気が緩みかけたのも束の間、スティーブンが言葉を発した。
「それで_僕たちを呼んだ理由は?」
あきの心臓が跳ねる。少しでも言葉を間違えれば疑われるだろう。言葉に迷えばそれも相手の目には不審に映る。仮にクラウスの目を誤魔化すことはできたとしても、スティーブンが気付かない筈はないからだ。こんなにも心臓に負担をかけて私の心臓は無事で済むのだろうか。現実逃避の冗談も最早笑えない。あきはなるべく相手の目を見ないように努めながら言葉を探した。
「……どこまで、聞いてますか?」
交渉は情報が命だと教えてくれたのは、誰だったか。今心の底から感謝したい。

あの取調室であきは、知識のすべてをダニエルに伝えることをしなかった。ライブラを主にした作品である血界戦線のすべてを伝えてしまうということは、秘密結社の情報を多く流してしまうということになるからだ。この世界が”世界”であるのなら、その行為に伴うリスクは大きすぎる。あきがダニエルに伝えたのは主に分けて二つ。「自分がライブラを知っている」ということと、「別の世界からこの世界のことを見ていた」ということだけだ。自白剤や脳抜き、異界技術があるのならやりようは幾らでもあったのだろうが、ダニエルがそれをしなかったのは、やはり彼の信条によるものが大きいのだろう。

「…君が次元超越者で、特異な目…いや、この場合は脳かな。それを持っているということまでは。」
あきの問いにスティーブンは柔和な表情を保ったまま言葉を返した。もしあきが何も知らないただの少女であればその端正な顔立ちに胸を高鳴らせていたのだろうが、その表情の奥に佇む陰を知っている彼女には一欠片の油断さえ許さない。
「……そう、ですか。」
あきはゆっくりと深呼吸をした。
スティーブンの言葉の真偽は兎も角、自分が今から言葉を交わす相手が決して馬鹿ではないことくらいわかりきっている。つまりそう、一つの失言が命取りになるのだ。
あきは背中に伝う汗を誤魔化すようにスティーブンからレオナルドへ目線を逸らし、はっきりと言った。
「私が次元超越者であることを証明していただきたいのです、神々の義眼保有者である貴方に」
その言葉を聞いた瞬間、驚いたようにレオナルドの眉が跳ねる。スティーブンはダニエルの方へと何かを言いたげに目線を動かすが、ダニエルは軽く首を振り、スティーブンの問いに何もしていないと目だけで告げた。
「レオナルド・ウォッチ。…貴方は、妹の視力と引き換えに"与えられた"神々の義眼を使ってライブラに所属している。…妹の視力を取り戻す為に。…違いますか?」
僅かに震えている声とは裏腹に、揺るぎない事実を確認するようにはっきりと告げられる言葉。
レオナルドは、自身がライブラに所属していることを公言はしていない。戦闘能力もない自分が"あの"ライブラの構成員だと知れ渡れば、厄介な連中にとって格好の餌食になるだろうということが容易に想像出来たからだ。だからそんな自分が神々の義眼保有者だということに加え、妹の視力と引き換えにこの目を手に入れたという一部の人間以外には話していないことまで言い当てられれば、当然表情に焦りも滲む。クラウスもスティーブンも、人の事情とおいそれと他人に喋るような人間ではないし、レオナルドにとって妹…ミシェーラの存在は自分の命よりも重いのだ。
「…貴方は、どこでそれを?」
張り詰めた空気の中口を開いたのは、今まで黙って話を聞いていたクラウスだった。