トゥルーレディ・ショウ_2

二メートルもある上に鍛え抜かれた大きなその身体からの威圧感は並大抵のものではない。口調は美しく、立ち振る舞いからも気品を漂わせる紳士である事が理解は出来ても、生物として本能的に感じ取る格の違いは誤魔化しようもなかった。
あきはその問いで漸く理解をした。ダニエルがなぜ、ライブラとHLPDを繋ぐ立場であるスティーブンへ自分の持つ知識を教えなかったのかと。
クラウス・V・ラインヘルツの存在だ。
非合法組織の長でありながら真っ直ぐ過ぎる彼の生き方は人を惹きつける。スティーブン・A・スターフェイズも彼の生き様に惹かれた者の一人だった。
しかし、スティーブンの"やり方"とクラウスの"やり方"は違う。スティーブンはそれが世界を救う為に"必要"なことなら、例え目を背けたくなるような事でもやってみせる。その"やり方"が、決してクラウスの生き方と相容れぬ行為であっても。
つまり、ダニエルはあきの存在がライブラ、延いてはクラウスの脅威になると見做されれば取引どころか今ここに立っているかどうかさえ危ぶまれると判断したのだ。だから、クラウスにその存在を認識させることによってあきの立場を保証した。
それを顔を突き合わせるまで気が付かないなんて。ライブラの内情を知って尚理解の遅い自分に対して苛立ちさえ覚える。
「私はずっと、貴方達を見ていました。」
「…我々を?」
あきは眼鏡のレンズ越しにクラウスの目を見据える。勿論、言えない事だらけだ。未来のこと、自分のこと、貴方の隣に立つ副官のこと。それでも、言えることだけは正直に告げよう。貴方は人に真っ直ぐ向き合うひとだから。
「はい。私が元居た世界では、画面越しにこちらの世界を覗くことが出来ました。」
あきは両の指先を合わせ、三角窓のようなものを作って覗き込む。
「ああ、覗くといってもなんでもかんでも見られたわけじゃなくて。大きな事件に瀕した、一部の時間だけですよ。ミスタークラウス、貴方がどんな方法であのエンジェルスケイルの重要情報を手に入れたか、とか。そういった。」
その言葉にライブラの三人はと胸を衝かれたように目を見開いた。ドン・アルルエル・エルカ・フルグルシュとの対局によりクラウスが情報を手に入れているという事実はレオナルドはおろか、ほとんどの構成員に秘匿している。外部の人間が知り得るわけがないのだ。この一言で、あきの言葉の信用性は格段に上がっただろう。仮に次元超越者であるということが虚言でも、ドン・アルルエル及びそれに近い上位存在と謁見できる立場の人間だということだ。当然、同時に怪しさも跳ね上がる。
あきは三角にしていた指を組み、丹田まで下ろして言葉を続けた。
「でもその…私もずっと別の世界の出来事だと思っていましたから…まさかこうしてこの街に訪れることなんて有り得ないと思ってました。」
「それは…映画のようなものということだろうか。」
「…そうですね。それが一番近いと思います。」
この世界で生きると決めてからというもの、あきはずっと躊躇っていた。クラウス達が漫画の登場人物であることを伝えるべきか、そうではないのかを。そして今、隠すことを決める。たくさんのものを失い、傷付き、藻掻き生きてきた彼らにすべてがフィクションだなどと伝える行為は、あまりにも残酷だ。それに、そのことを伝えたとて彼らの生き方は変わらないだろう。なら、このことを伝える意味などどこにもない。自己満足のために伝えるだけなら、隠してしまったほうがずっといい。
「疑わしいと思うのも無理はないと思います。でも私は薬物中毒者でも、精神異常者でもありません。ここに来てから、散々検査はしましたから。」
診断書でも見ます?と自嘲気味に笑って見せるあきの横顔を怪訝に表情を歪めたダニエルが見つめている。理不尽に弾き出された世界でわざわざ矢面に立とうとする少女の姿は、ダニエルの瞳には痛々しく映るのだろう。
クラウスが短くレオナルドの名を呼べば少年はすぐにその言葉の意を察したのか、こくりと小さく頷き、あきに向き合った。
「…し、失礼します!」
真剣な顔をしたレオナルドが目を開く。青く光を漏らすその美しい瞳に、あきは思わず呆けた声を上げた。体の隅々を見られるような気分に目を背けると、あきを見つめていたレオナルドが息を呑んだ。その呼吸に気が付いたのか、その場にいる四人は即座にレオナルドへ目線を戻した。
「これ、…何なんですか…?」
「何か、見えたのかね?」
「足と、目から頭にかけて、文字がびっしり…!」
レオナルドは瞳が映した不可解なそれに震えた声で告げれば弾かれたように一度瞼を閉じ、掌で目を覆った。この僅か数秒の間で既にレオナルドの眼球が熱を持ち始めていたのだ。少年がその反応をすること自体が上司二人にとっては珍しく、少女の異質さを際立たせた。
しかし、少女の体に残された術式が何であれ、このまま無理に続けてしまえばレオナルドの皮膚が焼ける。
「警部補」
「なんだ」
「…氷嚢か、濡れタオルでもいい。冷やせるものを用意してくれ。」
「…お前の氷じゃ無理なのか?」
「君、僕をどこでも製氷機か何かだと思ってるだろ。」
「ジョークだ、ジョーク。」
ダニエルはドアを開け、部下を呼び止めて氷嚢を頼んだ。数分も待てばダニエルの部下が氷嚢を持ってドアをノックする。得体の知れない正体に居心地の悪い沈黙が続き、ダニエルは数秒考えるように黙るとテーブルに置いたファイルを開き、レオナルドに資料を示した。
「…お前が見たのはこれか?」
その紙に載った写真は、先のあきがこの世界に訪れた日にアンが熱弁していたあきの体に残された”転移魔術の痕跡”だった。レオナルドは片目を氷嚢で冷やしつつ、頷く。
「…そうです。足に刻まれていた術はこれでした。…でも、頭にあったものとは違う。アレは、…多分、もっと規格外の…。」
規格外。神性存在に授けられた神々の義眼がたったの数秒でオーバーフローを起こすほどだ。あきの頭部に術式を刻んだ相手も恐らくそれに相当する術の使い手、若しくは上位存在になるだろう。上位存在に刻まれたものなら、人界レベルの術式に感知されなかったことにも辻褄が合う。
「頭ってことはつまり、それは私の目の原因ってことでしょうか。」
沈黙を保っていたあきが口を開く。その誰に向けたわけでもない問いに答えたのはレオナルドではなくスティーブンだった。
「ああ、頭に刻まれているならほぼ確定だろう。その上で君のその目について詳細を聞きたい。いいかい?」
最後の問いはあきではなく、ダニエルに。
上位存在が絡んでいるとなれば、HLPDよりもライブラのほうが圧倒的に有利だ。その形だけの問いにダニエルが拒否をする権利も、理由もなかった。