Drawn to you …?_1


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 正午。ダニエルとあきは机を挟んでハンバーガーを食べていた。
 あの大胆極まりない勧誘の後、なんとか「返事は待ってください」と頼み込んだ。あくまでクラウスは勧誘をしただけで、強要する気はないらしい。ライブラを見送って尚考え過ぎで痛む頭を抱えていれば、同じく参った表情のダニエルに連れられてバーガーショップに向かった。普段はHLPDにて保護されているということもあり食堂で提供されるランチを食べているのだが、一段落がついたからと食事に誘われた。いただけませんと首を振るあきも「経費で落ちる」というダニエルの言葉と久方ぶりのハンバーガーの誘惑には耐えきれず、大人しく席へとついた。運ばれてきた大きなハンバーガーに目を輝かせ、いただきますと手を合わせてからかぶりつけば、ジャンクな味にセロトニンが分泌されるのを感じる。あきは幸せそうにハンバーガーをもぐもぐと咀嚼し飲み込むと、はっと気が付いたように顔を上げてダニエルの顔を見つめた。
「もしかして、バーガー奢ってやるから入社すんなってことじゃ…」
「んなわけねえだろ。うち(HLPD)の財布もそこまで寂しくはねえよ」
「あ、よかった…」
「つうかソース。ついてんぞ」
「え!? マジですか!」
 紙ナプキンで恥ずかしそうに口元を拭う少女の顔に自身の悲運を嘲る表情はなく、ただ今は年相応に笑うだけだった。ダニエルは、食べ慣れたハンバーガーを食しながら目の前で大きなそれと格闘する少女を見遣る。誰も自分を知らない世界で必死に情報を使い分けた。理由は一つ、自分の居場所を作るため。ただの少女が背負っていい重さではない。ダニエルは重苦しく吐き出しそうになった溜息をバンズとともに飲み込んだ。
「…行くつもりか」
「うーん。…そうですね、行くと思います」
 あきはハンバーガーを食べ終わると、残ったポテトを摘んで答える。まるで学生が放課後に明日の予定を話すような気軽さで。
「…一応、危険さは分かってるつもりです。でも、あの人が、ライブラの皆さんが私を必要としてくれるなら。…それに応えたい」
「…お前の能力ならHLPDで直接雇う事も出来る。希少な人材だ、上も給金を惜しむような真似はしねえだろう。…それでもか?」
 ダニエルの真剣で、それでも優しさの滲む声に思わず泣き出しそうになってしまう。あくまでもダニエルの行動は"選択肢を増やしただけ"だ。つまりその言葉は、言外にここにもあきの居場所はあるのだと示していた。
 あきは指を紙ナプキンで拭うとダニエルに笑い掛けた。
「…ありがとうございます。最初から無茶ばかり言ったのに、そんな言葉まで掛けて頂いて。…でも、私は…、…警察には居られません」
「…そうか。あー、悪かったな。引き留めるような真似しちまった」
 画面越しですら見たことがない、子供に気を遣わせたかと素直に謝るダニエルの姿にあきは慌てて手を胸の前で振り否定する。
「いやいや! 嬉しいくらいですって! 私が、その、……お世話になった身でこんなこと言うのは大変申し訳ないんですが、…警察にはあまり、〜…長く居たくなくて」
 あきは自身の髪を指先で梳くように撫でると、再び自嘲するように笑った。あきの中で警察とは、弱者を救う組織ではなく、強者に傅き弱者を蹴落とす組織でしかなかった。救いを求めて手を伸ばしたとしても、物珍しさがなければ振り払われる。手に余るほどの悪意に見舞われ唯一手を伸ばせる組織が警察だとしても、だ。彼ら全員がそうだと思っているわけでなくとも、あきにとってはその環境に身を置く事自体耐え切れないのだろう。

 ダニエルはあきのその笑みに、何があったのかと聞くことなど出来なかった。腐敗した警察官などいない、と世迷言を述べるには些か歳を重ね過ぎた。警察官による陰湿な事件、被害者が異界人だと分かれば仕事を放棄するポリスーツ、自分の手柄の為に捜査の妨害さえやってのける上司。この街がまだNYと呼ばれていた頃から、警官の中にも当たり前のように悪意は存在していた。国が変われど組織の中の環境はそう変わらないだろう。決して多くは語らないが、あきが警察官に"裏切られた"側だという事も予想は付く。ダニエルはただ目を伏せて「そうか」と一言だけ呟いた。

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 ホテルの一室に戻ったあきは適当に靴を脱ぎ捨て思い切りベッドに飛び込む。濃い一日だった。シャワーを浴びなければと思うが、今風呂場に入れば立ったまま溺れることだって出来そうだと断念する。
 まだ正式に返事を出したわけではないが、ライブラへ籍を置くことになればあきの身元引き受け人はライブラ_恐らくクラウスになり、警察の保護下から抜けることになるだろう。天井を見つめていればあきの脳裏にダニエルが浮かんだ。
(……彼は私を守ってくれていた)
 それがわからないほど馬鹿ではない。ダニエルの姿は、あきがずっと見つめていた画面の向こうに生きる彼そのものだった。警察官として、弱者を護ろうとする。あきが何度も夢に見た「警察官」としての姿だ。あきは自身がダニエルに好感を抱くのは画面越しだからなのだと思っていたが、隔たりを越えて尚変わらぬ姿に杞憂だったと苦笑する。
 ああ、この世界に訪れて初めて出会ったひとが彼で良かった。そうぽつりと呟けば少女は緩く誘う眠りに意識を沈めた。

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