3話 人形作家の失恋
シャープペンシルの動きを止めて、ほう、と息を吐いた。
あの日からずっと、休まず手を動かし続けている。
新しい素材を大量に仕入れて試作の嵐。その結果をもとにラフを作っては消し、作っては消し。
……認めたくないのかもしれないな、と思った。水森さんに恋人がいるかもしれない、という事実を。
もしくは、最高の人形を作ったら、自分に靡いてくれるかもと淡い期待を抱いているのかも。そんなこと、ありえないっていうのに。
「──よし」
これ以上ない、と胸を張って言えるラフが完成した。もちろんラフがいくら良くても完成品がだめならなんの意味もないが、今の段階でできる全てを尽くした、と胸を張って言える出来だ。
水森さんにメールを送る。先日の謝罪、ラフができたこと、服も返したいので出来れば直接伺いたいこと。
返信は夕方かな、と思っていたのに、三十分後には返信が来た。夕方六時頃に来て欲しい、と。
返信が来たことそのものにもほっとしつつ、ラフのコピーと見積もりを丁寧にファイリングした。
***
──ちょっと早く来過ぎたかな。
水森さん宅の最寄駅のホームでスマホを確認した。時計は午後五時半を指している。
最寄駅から水森さんのマンションまでは歩いて五分もかからない。
喫茶店に入るほどの時間はないな、と思いつつホームのベンチに腰掛けた。
そして、ふと見た向かい側のホームに、僕はその姿を見つけてしまう。
すらりとした体躯に亜麻色の髪。間違いない、水森さんだ。
そして、その隣には明るい髪色をした女性が立っていた。女性にしては高めの身長で、海外のスーパーモデルのような体つきをしている。遠目で顔立ちまではわからないが、美人だ、と思った。
二人が何事か言葉を交わしていると、駅メロが響いて、向こう側のホームに電車が到着する。電車で向こうのホームが見えなくなる瞬間──僕は、見てしまった。
水森さんと女性がそっと、頬を寄せ合っているところを。
発車のベルが鳴って、電車はあっという間に去っていく。電車が出て行った頃には向かいのホームに水森さんはもういない。
僕は呆然とした頭で、無人のホームを見つめていた。ふと頭によぎったのは、水森さんのお宅の洗面所に置いてあった口紅のこと。
あれは──別れ際のキス、だったのだろうか。
恋人がいるかも、なんていうのは先週の時点で想定できていた。それでも、実際に目の前で見てしまうと……。
水森さんに恋人がいなくたって、僕が水森さんに選ばれることなんてない。だって僕は男で、人形作りしか取り柄がなくて、嫌われるのが怖くて好意を仄めかすことすらできない弱虫なのだから。そんなの、最初からわかりきっていたことだ。
──それでも。
──僕を選ばないなら。せめて誰も選ばないで欲しかった。
そんな傲慢な思いが、傷口からどろりと溢れ出した。恋の底に、こんな毒々しい感情が沈殿していたのだということに気付いて、心が重く、石のようになった。
──こんな汚い僕を。見て欲しいなんて、もう言えない。
今会っても、きっと冷静に話はできないだろうから。そう自分に言い訳をして、水森さんには体調が悪いと嘘をついた。
ラフとお見積もりはメールでお送りいたします。近日中にお洋服を返しに伺わせてください。
指先だけは極めて冷静に言葉を並べ立てる。
返信はすぐにきた。僕を心配する言葉ばかりが並んでいる。
なぜだか無性に泣きたかった。
それなのに、涙のひとつもこぼせない自分が腹立たしくてたまらなかった。