わがまま人生論


 ゲームセット、ウォンバイ切原の声がコートに響く。コートに見えるのは目を赤くさせて笑い続ける同級生、血を流して倒れふした名前も知らない他校の誰か。死屍累々という言葉がよく似合う、ともすれば事故現場のような凄惨さだ。修羅場ここに極まれり。

 同級生である切原の試合を見に来たのは本当に偶然だった。祖母の家を尋ねるために出かけた休日に、県のテニス大会でスタッフをしている叔父の忘れ物を届けることになった。無事に渡せたのは数時間前、せっかくだから大会を見ていけば良いと勧められるがままに居残ったのも数時間前。立海大付属の子達も参加しているよ、なんて言われて頭をよぎったのは隣の席の男の子だった。それだけだ。

 どうやら切原の後にも彼の先輩たちが試合をするようで、切原はベンチの方へと歩いてくる。私はちょうどベンチを見下ろす場所で試合を見ているので、その様子がよく見えた。まあコートを取り巻くように観客が密集しているし、アイドルを応援するような面持ちで頬を染めて見ている女の子たちの話し声も姦しい。どうせ気づかないだろうと歩いてくる切原をみつめていれば、目があった。あってしまった。

 赤く染まった彼の目の色が、スウと引いていくのがわかった。パクパクと何かを言いたげにこちらを指差す切原を見て、ベンチに座っていた彼の先輩も何事かと振り返る。得心がいったと言わんばかりに口の端を持ち上げた、名前も知らぬ銀髪の先輩。

 どうにも居心地が悪くて会釈すれば、切原がこちらに向かって歩いてこようとする。ええ、勘弁してほしい。逃げる態勢を取った瞬間に、黒のキャップを被った彼の先輩が切原を捕まえた。何かお小言をくらったらしい。助かった。タイミングよく掛かってきた電話に出て、足早にコートから離れる。

「なまえ、そういえば昼飯は食べたのか?よかったら一緒に食べよう」
「うん、叔父さん」

 少し遅めの昼食を終えて、あとは帰るばかりだ。支度があるという叔父を待って、会場脇のベンチでスマホに目を滑らせる。下を向く私の上に、ふと影がかかった。

「みょうじ、何でここに居んだよ」
「叔父さんの付き添い、今は支度待ち」
「フーン」

 隣空いてますかの一言もなく、ドカリと音を立てて切原が横に座る。彼の匂いに加えて制汗シートの匂いが薫るのが、いかにも試合後といった風情だ。何事かを聞きたいようで、チラチラとこちらを見てくるけれど、助け舟は出してやらない。今更お互いに気を遣うような関係でもないのだ。

 とりとめない会話をしてはすぐに打ち切ったあとに、業を煮やしたらしい切原が勢い良くこちらを向く。おお、ビックリした。

「なああのさ、みょうじ、俺の試合見たんだろ」
「うん見たよ、切原強いじゃん」
「当たり前だろ、俺なんだから!じゃねーや、他には何か言うことないワケ?」
「他ァ?」

 まさかコート周りにいた女の子のように、黄色い歓声でも私に上げてほしかったとでもいうのか。キャー切原クン格好いいーもっと相手を圧倒的にのしてー!駄目だなこりゃ。年頃の同級生が言われたがる事なんて、とんと思いつかない。お手上げだ。
 私が見当違いの事を考えていると気付いたのだろう。ジットリとした視線がこちらを射抜く。感が良いんだから。

「俺ってさあ、テニス強えじゃん?」
「強さが認められてレギュラー入りだもんねえ」
「まあ先輩たちにも怒られるけどさ、強い代わりにすぐキレちゃうのが欠点ってか」
「今更じゃん?」
「うるせえ!じゃなくてその、だからみょうじは俺のテニス、どう思った?」

 まさか、ずっとそれを聞こうとしていたのだろうか。軽口を返そうかとも思ったけれど、彼は真剣な目線でこちらを見てくる。これは茶化さずにキチンと答えなければいけないんだろう。まあでも、切原のテニスについてか。テニスに詳しくなんてないけれど。ここは率直に。

「強いんだなあと思った、あとは何だろう?好きなテニスっていうコトで目一杯試合してる切原見れて良かったなあ、とか」
「それだけか?」
「まあ相手の人は大変だったろうけどね、知らない人まで心配する義理なんて私にないんじゃない」

 その言葉を聞いた切原の真剣な顔が、ヘニャっとした笑顔に変わる。我慢させられていた好物を食べていいと言われた子供のような顔だ。不覚にも可愛いと思ってしまったことで、彼の顔の良さを改めて思い出す。ホント、顔だけはメチャクチャに良い。

「……だーよな!なんだ、心配して損したわ!」
「心配してたんだあ?」
「偶に煩く言ってくるやついるからさあ、みょうじに限ってそんなん無いって知ってたけど」
「そういう反応ほしいなら、もっと優しい人にお願いしてみれば」
「いらねーよ、分かってくれるやつだけで良い」

 私と切原が仲のいい事を、疑問に思うクラスメイトは多いらしい。共通の友人から聞かされた。校内でも花形の運動部でレギュラーをつとめる切原、かたや文化部に所属するこれと言って功績のない私。
 私達が仲の良いのは、似た者同士だからだ。自分を形作る周囲だけが大切で、その外に位置するものなんて気にも止めない排他的な友愛関係。私達は言葉にせずともそれを知っている。

「このあと先輩と飯食うんだけどさ、みょうじも来る?多分仲良くなれるぜ」
「お婆ちゃんち行くからゴメン、週明け学校でね」
「おー、そっか」

 多分その先輩とやらは道向こうの木陰で先程からチラチラ見えるあの人たちだろう。切原には気づかせず、私にだけ見える位置にいるのがタチが悪い。アレと仲良くは、少し遠慮したい。

 手を振って道の向こうへ消えていく背中を見ているうちに、今日見た試合のことは切原以外忘れてしまった。