やはり野に置け


 自分は捨て子だったのだと思う。正確には分からない。何せ物心ついたときには既に血生臭さは日常だったし、生きていくためには他人を犠牲にしなければいけなかった。鉛筆の使い方よりも先に覚えたのは、ナイフの効率的な使い方だ。生まれなんて知っていても、命が繋がるわけじゃない。

 だからあの日もそんなに救われた実感はなかった。カミソリや鋏が散らばる血の海で、赤い目をした大柄な青年が私を見下ろす。同じ釜の飯は食べていただろうけど、思い入れも何も無い人たちだった死体はピクリともしなかった。

「なまえ、だったか。家族がいないのなら、俺と来るか。」

 この人が悲しそうな目で幼い私を見る訳がわからなかった。どうして子供だった自分だけが生かされたのかも、とんと理解は出来なかったからだ。それほどまでに無知だったとも言える。それでもその手を取った事は、私の生涯でも間違いなく胸を張れる選択の一つだ。

 泣く子も黙るイタリアンギャングの暗殺チーム、その一員。それが男の正体で、私に与えられた居場所でもあった。男もといリゾットは、度々任務先から誰かを連れ帰ることをしていたらしい。私の存在はとがめられること無く直ぐに馴染んでしまった。

 スナッフフィルムのムービースターにされかけていた少年や、仲間から切り捨てられて囮にされた青年。ボロ雑巾みたいにうち捨てられていた少年もいた。ああそれと、見世物として人を殺すことを強要されていた少女。自分のことはどうも興味が薄れるのが、自分の悪い癖だ。

 そして私はといえば、そんな環境でスクスクと健やかに育まれて立派な暗殺者へと育っていた。きっと私の人生に関わった人は、地獄でみんな喜びの涙を流しているに違いない。なんて素敵なことだろう。私は今日も元気に仕事を全うしています。

 そんな素敵な日には、我儘の一つも言ってみたくなる。ソファに座って書類を眺めるリゾットの隣に座って、先程からにじり寄るように話し続けていた。

「次の仕事はホルマジオとがいい、ゲームで見た尋問のやつやってみたい」
「ゲーム感覚では困る、それにそういう事はホルマジオの許可がないなら……」
「ホルマジオなら言質とった、カードでボロ負けした敗者の罰ゲームも兼ねてるんだよ、だから許可ちょうだい。」
「ああ悪いなリゾット、そういう訳でなまえに言質取られちまってるんだよなあ」

 私が跳ねるせいでソファはギシギシと鳴るけれど、リゾットはピクリとも動かない。やっぱり身長が高いと体幹が違うんだろうか。向かい側のソファでは、ホルマジオが悠々自適に寛いでいる。敗者にしては随分と偉そうな態度だ。大富豪に関しては私が勝者なのに。そういう意味を込めて視線を投げれば、ホルマジオはヒラヒラと手を振って扉の外に歩いていってしまった。

「とりあえず今日の仕事行ってくるからよ、終わったら罰ゲームについて話そうぜ」
「もうそんな時間?いってらっしゃい、気をつけてね」
「何かあれば連絡しろ」
「おう、長引かせないようにするわ」
 
 多分これは上手く逃げられたんだろうな。けれどホルマジオが今日仕事なのは本当だ。すっかり暇になってしまった。これからどうしようか。

 悩みながらリゾットの膝に上がって、肩に顎を乗せる。唸りながら頭を捻れば、擽ったかったようでリゾットが肩を落とした。バランスを崩した私は、そのまま彼の胸へと飛び込むような体勢になる。

「ねえリゾット、暇!今日は私仕事もないの、暇なの」
「そうか、俺はこれから取引だ」
「知ってる、取引の後は明日の夜まで暇なこともね」

 頬を擦り付けるようにして、リゾットの背中に腕を回す。見たい映画も読みたい小説も今晩はない。ならば、誰かと一緒に過ごすのが夜の一番良い過ごし方だ。

「リゾット、暇な私に付き合ってくれても良いんだよ、良い子でお留守番できるから、ね?」

 引く様子のない私に諦めたのか、リゾットがため息を吐く。引き寄せられた腰の上を節くれだった大きな指が這う。今日のお誘いはつつがなく成功したようだ。

「夜まで掛かるから晩飯は先に食っておけ、鍵は持っていっていい。」
「たくさんご飯食べて待ってるね、ディナーは私ってやつもやってあげよっか?」

 声を上げて笑えば、呆れたように額を指先で小突かれる。冗談抜きに痛くって、思わず潰れた蛙のようなうめき声を上げた。リゾットは自身の体格の良さを、たまにこうして忘れたような言動をとるので注意が必要なのだ。

 額を抑えてのけぞる私の耳に、思わずといった様子で漏れでたような笑い声が聞こえてきた。ああでも、やっぱり幸せってこういうことを言うのかな。信頼できる仲間がいて、ご飯もいつでも食べられて、抱きしめてくれる人がいる。家族はまだいないし、その意味もよくわからないけど。この胸にわだかまる、理解出来ない感情を誤魔化すためへらりと笑った。


 目が覚めて飛び込んできたのは、白い天井だった。先程まで見ていたのは過去の記憶で、夢だったと途端に気がつく。引き上げられた意識のままに辺りを見渡せば、ベッドサイドの椅子には一人の少年が座っていた。こいつは確か。

「あんた、ジョルノ・ジョバァーナ?」
「こんにちはなまえ、一言目がそれとは思いませんでした」
「ここは病院だね、生きてるなんてビックリだ」
「ええその通り、思ったよりも意識もハッキリしてるんですね」

 それこそ死ぬつもりで、私は彼等の前には立ちはだかったのに。身体は引き攣れるように痛いし、腕の端々に点滴の管も包帯も見えるから手加減はされてなかったのだろうけど。肝心なところで敵に情けをかけるような甘ちゃんだったとも思えない。しげしげとジョルノの顔を眺める私の考えを見透かしたように、彼が口を開く。

「貴方以外は残ってません、貴方を助けようとしたわけでは有りませんが、結果論です」
「まあそうだろうね、みんなは死んでる、だから私も死んでるかと思ってたんだけど予想外れちゃった。」
「……気づいてなかったんですか、なまえ?貴方を助けたのはスタンド能力者ですよ、そして今もここにいる。」

 意味がわからないと反論しようとして、彼の視線が先ほどから私の腹にある事に気がついた。そんな、まさか。月のものは元から不順気味だからと気にも留めなかった。けれどああ、そりゃあ今もこの場所にいる訳だ。

「罪がない子供の命まで奪うことは本意じゃない、母親の命を救おうとしている子供なら尚更だ」

 私が救われた理由を丁寧に聞かせてくれているのだろうけれど、生憎とその言葉は随分遠くに聞こえて現実味がない。グルグルとまわる脳みそと目玉は、ちっぽけな私の意識をかき乱す。

 リゾット、これは貴方の優しさだったの。貴方は私に家族を教えてくれようとしたけれど、未だにわからないのよ。もう誰もいないの、誰も私に何も教えてはくれないの。愛なんてものを私は誰かに与えられるのかしら。

「は、っはは、あはは」

 動揺した女を気遣うように、ジョルノの視線がこちらに寄越されるのがわかった。殺し合いをしていた相手にこんな所を見せてしまうのは申し訳ないけれど、今はどうしたって取り繕えない。素直にその心づかいが有難かった。

 背中を追えない理由をくれたリゾットは、きっとどこまでも残酷に優しかった。悪態すらもう伝えられないけど。私が地獄に落ちられるのは、まだまだ先のようだ。