酒は飲んでも飲まれるな

昨晩は四天宝寺テニス部の懐かしい顔ぶれを集めて、飲み会が催されていた。最年少の金太郎がようやく成人を迎えたということで、いつにも増して盛り上がりは絶好調。はしゃぐ金太郎には甘めのソーダ割りを渡して、各々ジョッキをサーバーごと抱える勢いで飲み干していた。

「オラオラ飲め飲め無礼講だあ!」
「なまえってシュランやったんか、知らんかったわ」
「金ちゃん真似したらアカンで、アレが駄目な大人のエエ例や」

 何やら外野がやんやかんや言っていることも気にならない。全員がこうして集まるのは随分と久しぶりだったのだ。バラバラな進路にすすんだ事もあり、中々予定を合わせるのも難しい。個々人での交流はあれど、大人数での遊びは実に半年ぶり。ジョッキを飲み干すスピードも進もうというものだ。

 だからそう、その為に少し飲み過ぎてしまった嫌いがあるのは確かだ。それに真横に千歳が居たというのも、ペースに拍車を掛けていた。今はニコニコと笑いながら、全員分の唐揚げにレモンを掛けている男。

「千歳ったら随分なことすんだね」
「レモンがもったいなかけんね、なまえちゃんの分もかけちゃる」
「まあ残ったら謙也が食うか……」

 本人が聞いていれば途端に突っ込みが入りそうなものだが、生憎と今は可愛い後輩こと財前に捕まっている。意外と彼は絡み酒なので、しばらくはあのままだろう。

 その様子を見ていた千歳が、またケラケラと笑う。大人びた顔つきなのに、笑顔が幼いのは変わってないらしい。そのたびに心の奥底で、当に終わったはずの恋が胸をときめかせる。

 誰にも言ったことは無かったが、花も恥じらうような学生時代。なまえは千歳千里に恋をしていた。自分だけを見てほしいだとか、一番になりたいだとかそんな激しい熱情は無かったけれど。

 関東からの転校生と、九州からの転校生ということで何となく話す機会は他の部員よりも多かった。練習の合間にこっそりと笑いかけてくれる仕草や、おやつの飴を分け合う声だとか、ふわふわのくせ毛だとかに。柔らかくて淡い思慕を募らせていたのだ。

 だから今日はほんの少し幸せな夜だった。伝えられもせずに蕾のまま消えた思いの花も、少しは浮かばれるだろう。楽しくて幸せで、何杯目かも分からぬグラスに手を伸ばす。

 そうして、次に目が覚めた時に飛び込んできたのは見知らぬ天井だった。布団の中の自分は一糸まとわぬ姿で、あらぬ場所さえベタついている。身体のあらゆる筋肉が、普段とは違う使われ方をしていることで軋むような痛みを訴えている。

「おはよう、よう眠れたと?」
「お、おは、よう、千歳……」

 そして何より、同じく一糸纏わぬ姿で布団に隣り合っている男が昨晩散々に聞いた声で挨拶をしてくる。学生時代に恋していた同級生と酒の勢いでワンナイトした。空間の全てがその事実を物語っているのが心臓に痛かった。

「昨日はよう飲みよらしたね、具合はどぎゃんね」
「ええと、そこまでは悪くないです、はい……」

 嘘だ。許容量を越えて酒をかっ食らった罰か、頭は今にもはちきれそうガンガンと痛み続けている。気が遠くなりそうな痛みの中、それでも思い出せたことがあった。

 飲み会もお開きになったあと、あまりにも覚束ない足取りの自分を支えてくれる誰かがいた。その誰かとタクシーに乗り込んだあと、気が付いたらラブホテルのベッドで千歳に押し倒されていた。

「なまえちゃん、好いとるよ」

 お酒の入った時の告白を真に受けるなんて、間の抜けた人がすることだ。散々に語りつくされてきた言葉であるし、自身もそう考えて生きてきた。
 
 けれど、見据えてくる瞳があんまりにも痛々しいほどまっすぐで。この傷ついた美しい獣のような人がひと時でも己の胸に安息を得てくれるのなら。それで良いと思えてしまったのだ。

 改めて思い出しても気が遠くなりそうな話だ。酒の勢いでやらかしたことに変わりは無いし、十年越しの初恋が報われたというには不純が過ぎた。ああでもこれからどうしよう、無かったことにするにはどうにも気まずい。重い口を開こうとした瞬間に、遮る声があった。

「無かったことにはさせんばい」
「えっ」

 混乱しきった頭が整理しきらぬ隙を伺うように、千歳はしっかりとこちらの両手を握ってくる。骨ばった手は自分のそれよりも幾らも大きくて、生き物としての強さを思い知らされているようだ。指先を絡めあういわゆる恋人繋ぎなんてものをしているはずなのに、ちっとも心はときめかない。今にも食い破られてしまいそうなほどの緊張が場に走っていた。

「どうせなまえちゃんのことやけん、一夜の過ちでとか言い訳する気やろう?」
「いや、だって、酒の勢いでとかお互いの不名誉が……」
「十年越しの初恋が実ったんやけん、離したくなかんな道理ばい」
「あ、えええ?」

 もう何もかもがハイスピードで付いていけない。学生時代に好きだった男が実はこちらを好きで、酒の勢いでワンナイトしたものの、あっちは一夜の過ちで終わらす気など散々なく、逃がしてもらえる気が精神的にも物理的にもない。

 目をぐるぐると回す女を前に、随分と人の悪い笑みを浮かべて男が囁いた。

「なまえちゃん、好いとるよ」