傷跡から始めましょう

※チルアウト!trick9.5ネタを捏ねたパロディ

 物心ついた頃から、他人には見えないものが見えていた。木の陰に佇む煌びやかな羽根の妖精たちや、墓に纏わりつく黒狼。湖の中から微笑む乙女にエトセトラエトセトラ。そういうものたちは意外と私達の近くにたくさん住んでいて、ただ人間たちが気付いていないだけなのだ。

 その中でも特に気のいいものたちは、幼い私の良き遊び相手でもあった。だから私は、人間とは違う彼らにそれなりに好感を持っていた。

「どうだなまえ、小さいけど立派な毛並みの狐だろう」
「う、うん」
「父さんはあっちの罠を見てくるから、ここで待ってなさい」
 
 グルグルと唸り声を立てて、挟み罠に捕えられた子狐がこちらを威嚇してくる。どうやら父にはまだ子供故に小さな体躯の狐、に見えているらしい。しかし私の目に映っているのは、足を挟み罠に嚙り付かれてこちらを睨みつけている妖狐の少年だ。

 村に住んでいる子供は少なく、幾らか拓けている隣村までも程遠い。遊び場もろくに無い我が子を憐れに思ったのか、父は時折こうして私を狩りに供させることがあった。そんな気晴らしの筈の外出で、頭をこうも悩ませることになってしまったのだが。

 さてどうしようか。獣や精霊たちが、自分たちの本性を隠して現われることが有るのは知っていた。村を訪れる旅人たちの中には、どうみたって角や尻尾を生やしているものがいたし、彼らは私が気が付いていることを見止めると決まって気恥ずかしそうに誤魔化していたから。

「ギャウ!グガ、ギイイ!」

 きっとこの少年も、ただの獣に化けて人里近くまで遊びに来たのだろう。事実私の父は彼が子狐であると信じ切っていたし、傍目に見れば擬態も完璧な筈だ。私が彼の本性を見ていることにも、彼自身気が付けるはずもあるまい。

 ちらりと見やった妖狐の少年は、父が言った通り美しい毛並みをしていた。桜色というのだろうか。流れるような毛皮は光を反射して、花のように宝石のように輝いている。彼が本当に狐であったのなら、きっと毛皮は高く売れることだろう。

 けれど私は、彼が本義の意味での獣でないことを知っている。人の形に近いものを殺めることに忌避感を覚えたのもあった。散々森で獣を狩って糧としておいて、虫のいい話ではあるのだが。

 しゃがみ込んだ私が近づくと、彼は一層暴れ始めた。尖った爪が私の瞼を掠め、鮮烈な赤が飛び散る。それでも尚、罠のほうへと近づく私を不審に思ったのだろう。戸惑うような鳴き声が聞こえてきた。

「じっとしてて、父さんが帰ってくる前に逃してあげるから」

 その日使われていたのは罠の中でも簡素な作りなもので、幼い私でも簡単に解除が出来た。少年の足に食い込んでいた鉄輪を外し、狩り用に持参していた粗末な布切れで足首についた血を拭う。そのころには少年も、どうやら己の変化が看破されていると気が付いていたらしい。

「お前、俺が見えてるな」
「お前じゃなくてなまえ、お狐さんって人間の薬使っても平気?」
「多分平気だ、俺たちは人間に近い一族だから」

 鞄の中を探るように軟膏を取り出して、そっと少年の傷に塗りつけていく。清潔な包帯なんて大層なものは持ち合わせていなかったので、ハンカチで替わりに覆った。状況を理解しきれないように、少年はじっと私の手つきを見ていた。

「歩ける?」
「無粋な鎖が全部取れたからな」
「そう、じゃあ川沿いは避けて帰って、小道には罠を仕掛けてないから」

 言葉通り、少年はふら付きながらも立ち上がって見せた。傷はあまり深くないようだから、時間が経てば痕も残さず治るだろう。なんだか額に視線を感じて手を持っていくと、未だだくだくと流れる血がぬるついていた。先ほど引っかかれた所だろうか。

 場の雰囲気が緊迫しているから痛みを感じなかったけれど、そんな風にじっと見つめられると途端に痛み出すから不思議だった。申し訳なさそうな顔をしているので、さも気にしていないように布切れで瞼を覆って隠す。

「悪かった」
「別にいいよ、お狐さんも罠に掛けちゃってごめんね」
「……お狐さんじゃない、薫」
「そう、じゃあ薫のせいじゃない」

 お狐さん改め薫の手が伸ばされて、そっと私の瞼を覆う。僅かにひんやりとしていて気持ちいい。ボロボロの布切れに薫の手が触れた途端、布は綺麗な手拭いへと姿を変えた。そのまま投げて寄こされる。使えということだろうか。

「なまえ、何だか騒がしいが何かあったかー?」
「な、なんにもないよお、お父さん」

 場を裂くようにのんびりとした声が聞こえてくる。父が森に仕掛けた罠を確認して、近くまで帰ってきているのだ。姿こそ見えないがいつ場に戻るとも知れない。焦ったように私が目配せすると、薫は風のような身のこなしで近くの木の上に飛び上がった。

「なまえ、いつか必ず礼はしに行く」
「気にしないでいいのに」
「狐は受けた恩義は忘れないんだ、賢いからな」
「そう、じゃあまたね、薫」

 がさがさと茂みの中から父親が戻ってきたのと同時に、薫は姿を消した。父親が私の怪我を見て大騒ぎになった事で、罠にかかった狐が消えたことはうやむやになったのは結果オーライだ。怪我の原因を尋ねられはしても、まさか妖狐に引っかかれたというわけにもいくまい。「木の枝でひっかけた」と言い張る私の主張を、動転していた父が全て信じ込んだのもまた運がよかったのだ。


「まあ、というわけでこの傷が出来たんだけどもね」
「それサラッと話してるけど、大分痛かったんじゃないの」
「ああいう時ってパニックが先に来るから痛くないんだよ、ミヤは怪我したらきちんと言うんだよ」
「ガキ扱い止めてよね、なまえよりはきちんと対処するし」

 傷の理由を聞かれて、随分と長々話してしまった。ミヤはこの村でも数少ない子供で、なんと私と同じく人には見えないものが見える。そんな縁もあって仲良くしていたのだけれど、本日ふいに昔話をせがまれたのだ。村はずれの切り株に腰かけての歓談は、それなりに弾んだ。

 あの日の傷は今も深々と残って、私の瞼に消えることなく刻まれている。まったく気にしていないので隠しもしないし、堂々と往来に晒している。そうすると不思議なもので、人は「触れてはいけない話なのだ」と勝手に認識してくれるのだ。便利なのでそのままにしているのだけれど、ミヤには肩透かしのような理由だったらしい。

「何を話しているんだ」
「いやあ、薫との出会いをね……」
「僕、結局新婚夫婦の惚気聞かされただけじゃん」
「式はまだ来週だぞ」
「そういうことじゃないよ、馬鹿!」

 私が腰かけている切り株の後ろに、音もなく桜色の狐が現われる。そう、薫はあの日の約束通り数日もしないうちに私の元へと訪れたのだ。もちろん人間の姿に化けてはいたけれど。隣山にある村からの友人と偽って、彼は幾度となく私のもとを訪れた。そうした交流も十数年目にして、ある日いきなり婚姻を切り出されたのが先月の話だ。

「まさかこんなトントン拍子に進むとは、自分でも驚きです」
「あの日言っただろう、礼はすると」
「ええ?私への愛情って義務なの?」
「はいはい僕がいないとこでやってよね、そういうの」

 呆れたようにそっぽを向いた実也は、そのまま森のほうへと歩いて行ってしまった。おそらく友人たちの元へ行くのだろう。彼もまた交友関係が種族バラエティ豊かなのだ。意図せず二人きりになった空間で、薫へと寄り添う。

「それで?私への愛って義務なんですか?」
「義務で番を決めるわけないだろう、阿呆」
「はい、じゃあもう一言」
「嫁にするならなまえが良いと、あの日から思っていた」
「いやもうめちゃくちゃ嬉しいわ、私も愛してるよ薫」

 見えざるものが見えるこの目で生まれてきた意味を、問わない日が無かったとは言わない。どうしてこんな目にと、思い悩まなかった日が無かったとは言えない。けれどそれらすべてを跳ね飛ばすぐらいに、幸せが絶頂期の有頂天。愛ってすべてを解決する。

「私たぶん、薫に会うために生まれてきたんだよね」

 軽口のようでその実そうでないことを、私の未来の旦那様はきちんと気が付いている。指を絡めるように手を結ばれて、手の甲へと口づけられた。美人は三日で飽きるらしいので、美人の妖狐は少なく見積もっても三回生まれ変わっても飽きないだろう。だって人じゃないし、人の常識は通用しない筈だ。

 今すぐ走り回って薫への愛を叫びたいのをグッとこらえる。そうして、子猫みたいなキスをした。