胎児は夢を見た


「ペッシ、近くにサーカスが来てるんだって!観に行こう」
「この前に言ってた映画のチケットを貰ったんだ、今日はオフだよね」
「オススメのドルチェがあるんだよ、おごってあげる」

 なまえは事あるごとに、ペッシを連れだす。「年上だから」と理由を付けては遊びに食事に買い物に、その内容は多岐に渡った。
 勿論都合がつかずに見送られる日もあったし、最も優先されるべきは仕事だとわきまえていた。だからこそなまえのそんな行動を咎めるものはおらず、ペッシもまた戸惑いながら、楽しみながら誘いに応じていたのだ。

 今日の遊びは海釣りで、海にせりだしたコンクリートの上に二人は座っていた。
 ペッシのバケツには魚が悠々と泳いでいるが、隣のバケツには水が入っているだけだ。それでも彼女が楽しそうに釣糸を垂らしているのを、ペッシは横目で見ている。
 ふと思い付いたように、前から考えていたように、ペッシは問いかけた。


「あのさ、なまえ?なまえはどうして俺をこうやって連れ出してくれるんだ」
「そりゃあ私が年上だからだよ、年上は目下を可愛がる!これこそ自然の摂理ってもんなんだよペッシィ!」
「もしかしてそれ、プロシュート兄貴の真似かい?その、言いにくいけどよお」
「似てないって言ったら、今日のアンタは晩飯をリーダーの膝の上で食うことになるよ、やるって言ったらやるからね」
「そんな、無茶苦茶だろお……」


 まただ、はぐらかされてしまった。なまえはいつも、理由を訪ねられるとこうして茶化す癖があった。いや、癖などではなく意図して隠しているのかもしれない。
 それでもペッシは、こうしてなまえが暇を見ては外に連れ出してくれる理由を知りたかった。与えられてばかりではむず痒いというのもあったし、仲間として好いている相手の抱えるものが何なのか、知りたかったのだ。


「俺よお、プロシュート兄貴といい、なまえといい、チームのみんなには貰ってばっかりだ!そんなんじゃあ偏ってばかりで不公平だろ、きちんとお礼が言いたいんだよ、茶化さないでくれよ」

 少し不貞腐れたような音を滲ませて、訴えかける。それを聞いたなまえがパチパチと瞬きしたのを、ペッシは見つめていた。

「ああ、いやゴメンゴメン、いやでもね?私がアンタをこうして可愛がってる理由、理由か」

 少し真面目な表情を纏って、ペッシの方へ向き直る。何度も頷いては同じことばを繰り返す様は、まるで壊れかけた機械のようにも見えた。顔こそペッシを見つめているが、その瞳には何も映っていない。数分そうした行動を繰り返して、ようやっと口を開いた。


「弟がさ、私にはいてさ」
「それは、初めて聞いたな」
「うん、話したことなかった、私には弟がいたんだ」

 先程まで海に向けていた二人ぶんの竿をそっと地べたにおいて、ポツポツと喋りだす。なまえの視線は、依然として海にあってペッシには向けられない。

「母さんの再婚相手がチンピラ崩れでさ、まあ、家族には優しい人で、私も母さんも大切にしてくれた」


 髪の毛をクシャクシャと乱す手が、ペッシにはやけに目についた。そうして、男である自分の手とは違って、随分と指が細いのだななんて場違いな事すら考えている。


「そのうちに弟が出来て、あなたお姉ちゃんになるのよーなんてさ?その頃には父さんって認めてたし、家族が増えるんだなって、嬉しいなって、うん、嬉しかったよ」

 饒舌に語られる言葉とは裏腹に、どんどんと手が力を無くしていく。半ば仰け反るようにして海を見ているのは危ないだろうとペッシが近づいても、言葉は止まらない。むしろ喋る量はどんどんと増していた。


「父さんも、子供が二人になるってなったら色々考えたみたいで、俺は子供に恥じない親になりたいなんてさ、言い出してさあ?つるんでたロクデナシ共とスッパリ縁切っちまってさ!でも父さん、バカだったからさあ、やり方が悪かったんだよな!日曜だったよ、川に遊びにいって、花をつんで、家に帰ったら、父さんと母さんが頭から血流して死んでたんだ」

 そこまで話終えてはじめて、ペッシとなまえの目があった。年上の明るいこの女が、こんなにも色を失った顔を出来るということをペッシは初めて知った。こんなにも近くにいたのに、自分たちはお互いを何も知らなかったのかもしれないとすら思える。
 ペッシのそんな心情を知ってか知らずか、なまえがヘラリと笑った。顔かたちこそ笑っているが、その実で心は全く楽しくないのだろうと誰でも理解できる笑顔だった。


「何処に連れていってやろうかな、何してやろうかなって、毎日毎日考えてたんだ!母さんも父さんも、その子も、みーんな一緒にいっちまったけど、何にもしてやれなかったんだ……」

 それきり黙ってしまって、視線は地面に俯いた。前髪が表情を覆い隠してしまって、今どんな顔をしているのかペッシには窺い知れない。きっとどんな慰めの言葉も上っ面で、心の底には響かない。


「俺はなまえと一緒に色んなところ行くの楽しいよ、なまえといるのは、嬉しいよ」

 だからこそ、ペッシに言えるのは本当の事だけだ。嘘偽りなく伝えることしか、まだ未熟な自分には出来やしない。

「……私もね、ペッシと遊ぶのは楽しいよ」

 
 それでも、目の前の彼女がほんの微かでも笑ってくれるなら、きっと意味はあるのだ。