恋するさだめ

青の獅子を抱く気高き騎士の国で、紋章を持って生まれた。

 民宿を営む両親は質素倹約を美徳とする素朴な人たちだ。慎ましやかながらも善良な生家の人々は、たいへんなものを生まれながらに背負う末娘を無下にはしなかった。

「私たちの先祖は王家に仕える騎士だったそうだ、その血を引くお前も気高く生きなければならないよ」

 雪深い故郷での暮らしは決して楽なものでは無かった。けれど優しい両親や朗らかな兄は、家中の資産をかき集めて末娘を士官学校へと送り出してくれたのだ。制服と共に贈られた、王国の旗を模したかのようなリボンが髪で揺れるたびに家族への思いを改める。厳しい冬と貧しい土壌の国では、自分たちが生きていくだけでも大変だったろうにと今でも感謝の念は尽きない。

 学院での暮らしは目まぐるしくも、色鮮やかな魅力に満ちていた。まさか王子殿下や貴族嫡子と机を並べて学ぶ日が来るとは思いもしなかったが、皆優しく真っ直ぐで尊敬できる仲間たちだ。
 
「青獅子は良い学級ですよ、みんな尊敬できる級友ばかりですから」
「参考になった、どうもありがとう」

 藍色の髪をした見慣れない青年に話しかけたのも、級友たちのように立派な人に見えるための背伸びをしたかったのだと思う。無表情を貼り付けたように眉一つ動かない顔で、私の話に頷くこの人もきっとここの学級なら馴染めるだろう。そんな幼い心を諌めるかのように、青年が教師としてあらわれたときには引っ繰り返りそうになったが。

「ベレト先生、質問があるのですが」
「ああなまえか、聞かせてくれ」

 藍色の青年もといベレト先生は、事実素晴らしく有能な教師であった。生徒たちを的確に教え導き、迷い無く指揮をふるい、自らの腕もひどく立つ。無表情は相変わらずだが、最近はほんの少しだけ柔らかい顔を見せてくれるようになった。

「ならやっぱり馬術の修練を積んだ方が良いですね」
「そちらの方がなまえの適性には合っていると思う」

 あ、今ほんの少し目尻が下がった。年上の男の人にこんな事を思うのは失礼かもしれないけれど、こういう所が可愛い人だよなあ。

 抱いていたのは憧れに近い、淡い恋心。口にするつもりはなかったし、伝えるつもりもなかった。それに学院を巡る戦火はますます勢いを増していったから、そんな事を考えている余裕なんて無かったというのが正しい。

 先生が崖下に飲み込まれた空白の5年間を経て、妄執に取り憑かれたような殿下のもとに、私たちはそれでも集って。時代のうねりに消えいくように、命を燃やし尽くすのだと思っていた。

 だからこうして、殿下が再び前を見据える未来が来て。先生が私達を率いてくれる日が再び来るなんて思いもしなかった。ましてや、永遠に終わらないかのような戦が終わる日が来るなんて。先生が温度の篭った目で私を見つめていることなんて、夢のまた夢のような話だ。

「未来を想像したときに、俺の横にはなまえがいてほしいと思った」
「ベレト先生、意外とロマンチストなんですね」
「うん、多分この先もずっとこの手を離してやれないよ」
「良いですよ、ぜったいに離さないでください」

 幸せだと思った。愛した人と思いを通わせる無常の喜びは、得難い無二の友たちからの祝福は、懐かしき故郷で伴侶と生きていく日々は何にも代え難い幸福だった。私のいのちが尽きるまでこの人を愛そうと誓ったのは、決して嘘じゃない。

 けれどある日突然、物語は差し代わった。

 まばたきをした瞬間に、私は昔懐かしい士官学校に佇んでいた。驚いて周囲を見わたせば、中庭の水たまりにうつるのは年若い私のすがただ。

 まぼろしにしては、照りつける太陽の熱があまりにもリアルだ。からからに乾いた喉がひきつって唾ひとつ飲み込めない。一体どういうことなんだろう。今まで私は、おそろしく長い白昼夢でも見ていたと言うのか。

「ベレトせんせい!さっきの授業で質問があるんですけれども」
「ああ、何処だ?」

 何も出来ずに立ち尽くしていると、あまりにも見知った声が聞こえてきた。よかった、あのひとはここに居るのだ。勢い良く振り返って目にしたのは、生徒の質問に答える教師の姿。なんてこと無い風景のはずなのに、私の足は竦んでしまって少しも動けない。

 あの人に親しげに話す生徒の纏う色が、あんなにも見知った青ではない。冬深き私の故郷の色ではない。気高き青の獅子を掲げた、王国の証ではないのだ。

 私の動揺に追い打ちをかけるように、見知らぬ生徒たちが会話しながら横をすり抜けていく。

「ベレト先生がうちの担任になってくれて本当に良かったよな!」
「そうね、あんなに素敵な先生そうはいないもの!」

 生徒たちが身に纏う色は、やっぱり青色じゃあなくて。故郷の色と好んで身につけていた、私の青いリボンが飾られた髪ごとむなしく風になびく。

 呆けた顔で視線を向ける私に、流石の先生も気がついたのだろう。生徒からの質問を答え終えると、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。

「なまえ、ちょうど良かった」
「……ベレト先生、わたしもお話したかったです」
「そうか、この前の学級移籍の話を考えてくれたのか?」

 ガツン、と殴られたかのような衝撃が脳裏を襲った。ああ、この人は違うのだ。今目の前にいるこの人はベレト先生であって、私の愛するベレト先生ではない。私たちを厳しくも優しく教え導いてくれた、私たちの先生でない。

 どうしてこんなことになっているのかは分からないけれど、答えは決まりきっていた。私がこの士官学校へと来たのは、家族の優しさに報いるため。美しき故郷に恥じない、立派な騎士の心を持った人になるためだ。

 たとえ愛した人と相反する道を選ぶことになろうと、心だけは裏切れない。答えを返すために口を開いた瞬間に、何かおぞましい感覚がした。私の頭の中に誰かが触れたような、私の行く先を見知らぬ誰かが決めたかのような奇妙な感覚。気持ち悪さを抱えたままに紡がれた言葉に、私は自身の耳を疑った。

「はい、お話是非とも受けさせて貰おうと思って」
「そうか、嬉しいよ」

 私はいま、何を言った。全身の血の気が引いていく音が、ありありと聞こえるようだ。私の口を借りて、誰かが私に選ばせた。いったい誰が。私のこころを、私の誇りを、私の矜持を、誰が踏みにじった。

 音にならない浅い呼吸を繰り返す私の手を、ベレト先生がそっと握る。まるであの約束の日のような手つきだなんて、浅ましくも嬉しさを感じるこころに思わず自嘲した。そんな様子を見ていた彼は、そっと耳元で囁いたのだ。

「言っただろう、この先もずっとこの手を離してやれないって」