あなたに溶ける

 前を行く藤真のポケットから何かが落ちた。放課後の廊下をせかせかと歩く後ろ姿はどんどん遠くなっていって、声をかけるにも微妙な距離になってしまった。この後体育館で渡してあげればいいだろう。こういうときにマネージャーと選手という関係は便利だ。

 しゃがみ込んで藤真の落とし物を拾い上げると、それは生徒手帳であった。ビニール素材の四角い枠の中で、写真の中の藤真がこちらを真っ直ぐに見つめてくる。

 キリリと整った眉に、意志が強そうな瞳。学生証の写真でもこんなに格好いいことあるんだ。写真相手だというのに、何だか妙な気恥ずかしさすら覚えてしまう。

「あっ」

 変な照れ方をしたせいか、緩んだ手元から生徒手帳を離してしまった。せっかく拾い上げたのに意味がない。またしゃがみ込んだ私は、そのままの姿勢で動きを止めた。

 生徒手帳の中が開かれて、中身が天井を向くように廊下に落ちている。まあ、それはいいのだ。問題はその中。藤真の学生証の裏、透明なカバー部分に1枚の写真が差し込まれていたのを見てしまった。

 校外学習に随伴したカメラマンに笑顔でピースを向ける、あまりにも見覚えがある制服姿の少女の写真。毎日鏡で見ている己の顔、つまり私の写真だった。

「なんで……?」

 どういうことなのか全く意味がわからない。校外学習の写真は希望者が好きなものを購入できるシステムになっていたので、藤真はわざわざ私の写真を買ったのだ。しかもそれを生徒手帳に入れて持ち歩いている。いや何故?

 狼狽えるあまり足元を見つめ続けていた私は、前から近づいてくる足音にも全く気がつけなかった。ふと視界の端から手が伸ばされてようやく、手帳が拾い上げられた。手の持ち主を確かめるように顔を上げる。

「あ、」
「見たか?」

 視線の先にいたのは、いつになく神妙な顔をした藤真だった。苦虫を噛み潰すような苦悶と、気恥ずかしさに顔を赤らめる純情を足して混ぜこんだように顔を引きつらせている。まるで恋する乙女みたいだ、と考えて思考がはじけた。あれ、もしかして藤真って。もしかして、もしかするとだけど。いやだって私の写真買ってるし。まさか。

「藤真って、もしかして私のこと好き?」

 言葉を受けた藤真の動きがピタリと止まる。竹を割ったようにサッパリとした言動の彼らしくなく、ううだとかああだとか唸る声が聞こえる。ややあって、藤真が自分の両頬を平手で叩いた。大きな音にびっくりする私をおいて、彼は口を開く。

「こっそり写真買って持ち歩いちゃうぐらいに、めちゃくちゃに好きだ」
「そ……うですか……」
「だから今返事くれ」
「い、今!?」
「今!」

 なんてことだ、なんてことだ。数分前とは打って変わって、私のほうが追い詰められてるじゃないか。ううだとかああだとか、自分の喉から声にならない唸りが漏れる。だってそんなの急すぎる。好きな人が私の写真を持ち歩いてるだなんて、それだけで私のちっぽけな心は限界なのに!

「あの、藤真」
「うん」

 行きどころをなくして胸の前でさまよっていた指が、前から伸びてきた藤真の手に掴まれる。私の手は溶けそうなほどに熱くて、藤真の手のひらも緊張したように熱かった。触れた端からほどけてひとつになれれば、言葉がなくてもこの恋が伝わったりしないだろうか。そんな馬鹿なことを真剣に考えるほど、私達はお互いの熱に浮かされていた。