#2 覚えてなくていいよ

「かおちゃん、こじろうくん、あーそぼ」
「おれ、おすなばいきたい」
「こじろう、きのうもそれいってた!きょうはおやま!」

 出会った頃を思い出せば、蘇るのはそれこそほっぺもお手手もふくふくだった頃。横並びに同じスモックを着て、貼り付けられたワッペンだけが私達を識別していたような幼い時分だ。

 月日が経てば子供は大きくなるし、成長もする。幼稚園から小学校、中学校から高校。そこそこに手の付けられない学生だった自負は有る。なんせ学生時代に一番手が早かったのは私だ。

 虎次郎と薫はとにかく目立つ生徒で、その横にいる女は目も付けられやすかったのだろう。薫とは違って体格には恵まれず、平均よりも痩せっぽちな体格がそれに拍車を掛けていた。

「雅、薫もまーたやり合ってきたのか」
「隣町のこの前顔合わせた奴、わざわざ喧嘩売りにきたもんだからよ」
「先に殴ったのは私でも、勝手に続いたのは薫だし」

 双子そろって負けん気の強い子だとは言われて育ったけれど、幾つになってもそれは発揮されるばかりだ。真正面からやり合えなくとも、いくらだってやり様はある。力任せの良い手本と計算づくの良い手本が横にいたのもある。小手先も目くらましも、何だって使う精神性は今思えばこの頃に形成されたのかもしれない。

「おい雅、拳のところ血出てるぞ」

 虎次郎に言われて自身の手を見ると、丁度指を折り曲げた部分から擦り切れて血が出ていた。今まで気づいてもいなかったのに、指摘されると急に痛み出すのだから不思議だった。

「えっやだあ、汚れるじゃん!かおちゃん絆創膏ちょうだい!」
「俺がそんなモン持ってるわけねえだろ」
「だよねえ知ってる、虎次郎!私のリュック漁って良いから絆創膏出して貼って」
「いや何で俺が」
「私が触ったらリュック汚れるじゃん」

 不服そうな顔をしながらも、ジッパーを開いて絆創膏の箱を取り出してくれるのだから律儀な男だ。クラスメイトが何かの拍子にくれたのをすっかり忘れて、そのまま入れっぱなしにしていたのが功を奏した。パッケージには名状しがたい色彩鮮やかなキャラクターがプリントされている。箱の中から滑りでてきた絆創膏も随分と色彩鮮やかで、何となくクラスメイトがこれをくれた理由が分かった気がした。

「ほら手出せ」
「はーい」

 ひと巻きひと巻き。ポーチの中で一緒くたにしていたウェットティッシュで血を拭われて、絆創膏を巻かれた。自分のものでない体温が掠める感覚が不思議で、ついつい手元を見つめる。随分と丁寧な手つきで壊れ物を扱うかのように触れられているのがくすぐったい。

 数分もすれば私の手は見るも色彩豊かになっていた。巻かれ具合も丁度良く、キツくもなく緩くもない。虎次郎は本当に手先が器用だ。

「ありがとう、このご恩は一生忘れねえぜ……」
「じゃあ次の数学の課題写させてくれ」
「それは私もやってないので、後で薫のノートを強奪コピーする予定です」
「テメエでやれや、馬鹿共」

 多感な時期をそれでも尚一緒に過ごしていたのは、考えてみれば特異な事なのかもしれない。私たちを結んでいたのは腐れ縁としか表現できない絆と、スケートボードに魅せられた心。昨日よりも今日の上達を、未知なる境地を。私たちは何時だって渇望していたから。

 ふと街中を歩いているときに、そんな記憶を思い起こした。ショーウィンドウの中であの日の色彩ヤバめのキャラクターたちが所狭しと並べられているのを見つけたのだ。どうやらマニアに熱狂的な人気があるらしく、今もコンスタントに商品展開を続けているらしい。ポップアップストアの入り口らしきものも横に見えた。

 数日の間あの絆創膏は取り替え続けていたのだけれど、柄を見るたびに虎次郎が少し慄いていたのを覚えている。やっぱり目玉が爛々と輝く虹色というのは、改めて見ても挑戦的だ。無理もない。

 思わず撮ったショーウィンドウの写真をメッセージアプリで送ろうとして、そのまま何もせずに閉じた。あの日の記憶は鮮やかで、未だに子細に思い出せるけれど。彼が覚えている保証なんてどこにもない。

 一方的で、独善的で、私が無かったことにすれば存在すら定かでないもの。人を恋するなんてそんなあやふやなものに、希望を持てるほど強かではなかった。

「一生忘れないよ」

 絆創膏なんて本当は自分で巻けた。少しわがままを言ってみたかっただけなのに、気安く了承してくれるのだからそれに甘えただけだ。彼にとっては些細な過去で、私にとっては掛け替えない思い出はきっと数えきれないほどあるのだろう。

 不毛な恋をしている。もう十数年以上も染み付いた思いは捨てきることもできやしない。ドロドロとへばり付くように濁りきって、春と呼ぶには呪いじみていた。
もどる?