#4 私を掬いあげて

「はーい、ということで今日のスケボー教室は先生がもう一人!南城虎次郎先生です!」
「おい雅」
「虎次郎、挨拶」
「こ、こんにちは、雅先生と一緒に今日一日みんなの先生をします、南城虎次郎です」

 目の前にはしゃがみ込む数多の少年少女たち。頭に被られたヘルメットと、手足のサポーターが可愛らしい。そして横にはひきつった笑顔の虎次郎。まるで謎の状況だが、やり遂げる他あるまい。公園の入り口に立てかけられた『こどもスケボー教室』の文字をじっと睨めつけた。


「スケボー教室なんてやってんのか、雅」
「こう、薫つながりの市民団体でちょちょっと……本当に触りだけをね」

 所は虎次郎の店。本当はランチ営業を終えている時間なのだけれど、ギリギリに滑り込んだ私を憐れんだのかこうして遅めの昼ご飯をご馳走になっている。表の看板は準備中に変えてきたので、店にいるのは私だけだ。パスタをフォークで巻き取る私に、虎次郎は隣の席から話しかけてくる。彼もまた遅めの賄いタイムと洒落こんでいた。

「薫の書道教室でさ、親御さんとかと話したりしててね?公民館のスクールの手伝いをすることになって」
「そりゃあまた大変そうだな」
「まあメインの先生は他にいるから、私はあくまで補助だけど」

 会社勤めに向かない質であることは早々に自覚していた。そのため私は就職活動すらまともにしなかった。周囲に心配されたのだか同情されたのだかは分からないが、それでも食うに困らないほどの仕事は得ている。

 何でも屋というには範囲の狭く、フリーターというには少し違う。とにかく自由業の隙間を繋ぎ合わせて、私は今日も稼ぎを得ている。シェフに書道家に政治家に、そうそうたる職業の知己たちと比べると何とも心許ないのは確かだが。

 目の前に置かれた皿から食事を食べ進めていると、不意にスマートフォンが着信音を響かせた。手だけで席を外す事を示して、店の隅で電話を取る。先ほど会話にも出ていた、スケボー教室の同僚からだった。

「はい桜屋敷です、ええはい、えっ?嗚呼成程……いえいえお大事に、こっちで心当たりを訪ねてみますから」

 数分ほどの会話を終えて、通話画面を閉じる。暗くなった画面を鏡替わりに、出来るだけ人の良い笑顔を形作った。よし、愛想の良い受付のお姉さんぐらいの顔つきにはなっている。ニコニコと笑顔で戻ってくる私に、虎次郎があからさまなしかめっ面を見せた。

「虎ー次郎くん、お願いがあります」
「雅がその顔する時は、無茶ぶりしかしてこない」
「明日定休日だよね?ちょっと先生デビューしてみないかね」
「とりあえず事情から話してくれ」

 電話の内容としては、スケボー教室の先生が急病で倒れたということだった。夏風邪だそうで、数日寝ていれば治る程度ではあるらしいのは一安心だ。しかし明日のスケボー教室にはどうしたって間に合わず、替わりの講師も見当たらない。心当たりがあるならば、代理を頼みたい。そんなお願いの連絡だ。

「俺がガキ共相手に先生とか無理あるぞ」
「いいや、今回に限っては最適解だね」
「そんなことないだろ、よく考えたか?」
「私のスケーターの知り合い、ちょっと脳内で並べてみて?」
「……俺が最適解、だなあ」

 そもそも私の交友関係でスケーターを探すとなると、どいつもこいつもが『S』の参加者に限られてくる。金銭の関わる講師依頼に未成年は避けたい、本業のある社会人は誘えない、友人とはいえ政治家を引っ張り出してくるのは論外。となると残りは明日休みが確約されており、表面上には穏やかに繕える虎次郎しかいないのだ。同じ考えに行き着いたらしい彼が、唸るように額を押さえて考え込む。

「急な話だからほんのちょっぴり、お足代に箔も付くみたい」
「如何せん、先生なんてやったことないからな」
「勿論他にもお礼はします、私に無理なく出来る限りだったら大体叶える!」

 渋る虎次郎を何とか宥めて頼み込んで肩を揉み、どうにかこうにか引き受けて貰えることとなった。当日の今日、少し緊張気味に挨拶をしていたのも早数時間前。そこには恐ろしいほどに溶け込んでいる新米先生の姿があった。

「虎次郎先生、僕すぐ落ちちゃうんだけど何でだろう」
「足の位置だな、一歩後ろに下げてみな」
「ねえこじろう先生!よろよろして真っすぐにならない!」
「ああ、膝が曲がりすぎてるんだ、もう少し伸ばせるか?」

 虎次郎は物腰穏やかだし、人当たりも柔らかい。鍛え上げられた筋肉が子供たちを委縮させるかとも思ったが、杞憂だったようだ。あれもこれもと知りたい盛りのちびっ子達に囲まれている。文句なしの人気ぶりだった。

「ねえ雅先生、私この前教えてもらったやつできるようになったよ!」
「すごいねえ、先生に見せてくれる?」
「うん、きちんと見ててね!」

 生徒のひとりに服裾を引っ張られて、意識が引き戻される。薄紫のヘルメットがのよく似合うこの子は、この教室の常連さんだ。はじめて出会ったときは随分と引っ込み思案だったのだけれど、今ではスケボーを目一杯楽しんでくれている。復習とばかりに見せられたボード捌きも、先週の課題点がよく克服されていた。人の家の子は育つのが早いとはよく言ったものだ。

 そんな風に子供たちに指導をしながら、気がつけば時刻はお昼過ぎ。あっという間にスケボー教室も終わりの時間だった。

「はい、じゃあ今日はここまでで終わりです!虎次郎先生に会えるのは今日だけなので、みんなでお礼をいって終わりましょう」
「虎次郎先生、ありがとうございました!」
「また来てねえ、こじろう先生!」
「ハハ、機会があったらなあ」

 最初はどうなるかと心配していたけれど、終わってみれば何の問題も無い。子供たちは予想よりもずっと今日限りの先生に懐いていた。最後の一人になるまで生徒たちを保護者に引き渡し、今は二人してベンチで並んでいた。ささやかな労いとして、自販機で買ったばかりの缶コーヒーを投げ渡す。流石に疲れたのか、いつもより目元に皺がよっていた。

「お疲れさま虎次郎先生、今日は本当にありがとう」
「雅先生もお疲れさま、いや子供ってすげえなあ」
「エネルギーがすごいよね、そんでこっちの事もキチンと見てくるの」
「そう、それでいて教えたこともぐんぐん吸収して……スポンジみたいで見てて面白かったなあ」

 目元をくしゃりと歪ませて笑う虎次郎は、それなりに今日を楽しんでくれていたようだ。急ごしらえの先生ではあったが、今後も機会を設けてみようか。そう思うぐらいには、今日限りにするには惜しい先生ぶりだった。

「将来自分に子供が出来たりして、こうやって教えるのも楽しいんだろうな」
「虎次郎は面倒見が良いから、きっとね」

 この優しくも、懐にいれた相手に情深い男の事だ。それはきっと幸せな家庭を築ける事だろう。彼に似た子供が初々しくボードに乗るのを、慈愛に満ちた目で見守るのが目に浮かぶようだ。そして隣には、彼のパートナーが優しく微笑んでいるのだ。そんな想像をすることすら心が軋んで、茶化すような言葉を吐いては誤魔化す。

「まあその前に誰彼構わずひっかける、たらし癖をどうにかしないことには、ねえ?」
「愛が深いって言ってくれ、素敵な出会いが俺を離さないんだよ」
「言葉の安売りは愛の価値を下げるばかりじゃないの」
「手厳しいな」

 嘘だ。彼が本当は誠実であることも、優しさゆえに誰をも無下にすることは無いのも知ってる。全部全部子供じみた嫉妬の言葉だ。自分ながら醜くって反吐が出る。自嘲の笑いが出そうになるのを、缶コーヒーごと飲み干した。

「でもこうして雅が叱ってくれるなら、俺の愛ってやつも中々価値があるんじゃないか?」
「ええ、じゃあ私ずっと虎次郎のこと横で見張ってなきゃ」
「雅だったら構わねえよ」

 冗談めかして与えられた言葉に、胸が高鳴るのを隠せていただろうか。頬は赤くなってやしないだろうか。何もかにも諦めてしまいたくなる心を、こうやって言葉一つで掬いあげてしまう。本当にずるい男だ。
もどる?