10
「海だ!!」
さくさく、足裏に砂の感触が気持ちいい。
「あんまり遠くに行くなよ、重」
「うん!ここで間切たちとあそんでる!」
今日はちっちゃい子達と海に来ました。町での一件で背中を痛めて以来、海どころか買い出し、散歩でさえも許されなくて、館から出してもらえなかった。また賊に襲われたり怪我したりしたらって心配されてたようだ。それでようやく背中が回復して、約半月ぶりの外、そして約束の海に連れてきてもらえたのだ。
すごい、久しぶりに来たけどやっぱり海っていいなあ。
「日向さん泳ぎますか?」
波打ち際で舳丸くんが尋ねる。もちろん舳丸くんは泳ぐんだろう、もういつでも泳げるよう着物は脱いでる。できるならわたしも泳ぎたいけど…。
「この場合、わたしはこのまま泳ぐの?」
「上掛けは脱いで、襦袢で泳ぐことになりますね」
舳丸くんみたいに褌ってわけにもいかないし当然といえば当然なんだろうけど、襦袢で泳ぐのかあ。舳丸くんは気にしないかもだけどこれくらいの歳の男の前ではしたない格好するのもなあ、わたしが気にしすぎなのかもしれないけど。
「日向さん泳げないんでしたっけ」
「え?」
「初めて会った時岩場に打ち上げられてました」
「あっ…あーあれは打ち上げられてたっていうか寝てたというか…」
とりあえず泳げるには泳げますよ、ということだけお伝えして波打ち際でぱしゃぱしゃやってることにした。舳丸くんは遠くに行かないでくださいねと重くんたちへ向けた忠告と同じ言葉を残してざぶりと海へ潜っていく。まだそれ引っ張るのか、わたしをからかっているのか、いや実は大真面目なだけか。
グイグイ潜って舳丸くん、海水の透明度が高いおかげでよく見える。魚とか海の生き物がたくさんいるなあ。舳丸くんみたいに泳げたら気持ちいいんだろうなあ。
「あ」
きらきら光る波間を見て、そういえば、と袂からお地蔵さんを取り出す。相変わらずにこりと微笑んでいる。
お地蔵さんが見てる、っていうからいろいろ頑張ってるつもりなんだけど、全く反応ないなあ。あの時光ったくらいだ。一定の数いいことするとお知らせしてくれる機能とかないのか?そもそもこのお地蔵さん本当に私を元の時代に帰してくれるんだろうか。
海の中で光ってたし、と思って海水につけてみるけど変化なし。なんだ、何か起こるかもってちょっと期待してたのに。少しだけ肩を落として、近くの岩場に座る。
足元がぴちゃりぴちゃりと波に擽られる。後ろの方で重くんたちが遊ぶ声。時々波間から顔を出す舳丸くん。…平和だなあ。この時代にいるのも楽しいけど、うーん、やっぱりいつまでもそうはいかないよなあ。
「ひなたさーん!おしろつくろー!」
「ん、はーい」
でも今だけはね、帰るまではここで平和に暮らすのもいいよね、なんて感化されてるなあと思わず苦笑い。平和ボケってやつか?と思いながら呼ばれた声に応えて腰をあげる、と、覚えのある風が体を浚った。
「わっ…」
ぐらっと傾いた体は咄嗟に腕を伸ばして何かをつかもうとするけれどそんな都合よく掴まれるものがあったりはしない。
「わー!?ひなたさんー!」
「ひなたー!」
ばっしゃーんと海に落ちる直前慌てたちっちゃい子たちの声が聞こえたけど、そんな叫びも虚しくもわたしは海の中。またです。デシャヴ。いやでもあの時とは違って潮の流れは穏やか、全然流されたりはしない。落ち着いて浮こう、そう思って体勢を立て直そうとした時、ふと足元にぬるりと何かが這う感触。そちらをみるとカラフルな、ウ、ウミウシ。
ここで突然ですが、私の苦手なものをお伝えさせていただく。まず虫。次に会社の上司。そして三つ目、軟体動物。つまりこの状況で何が言いたいかというと、驚きと恐怖のあまり肺から酸素全部吐いてしまったということです。
「がぼっ!!?」
しまった、そう思っても後の祭り、息が苦しくなってもがく。肺から空気全部なくなれば誰でも焦るよね、必死で水面を目指すけどうまくいかない。ああ本日二度目のデジャヴ。
あのときはお地蔵さんが助けて?くれたんだったな、でも今は全然反応ないし、あれ、これ、やばいんじゃないか、だってほら、水面は遠くなる一方、一周回って息も楽になったような、あ、あ、意識も、なんだか、遠くなった、ような…。
ふと体が水の中から引き上げられる感覚、そして胸元に圧迫感。なんだろうと回らない頭で考えていると、ふと口元に何かが触れた気がした。
「げほっ」
目を覚ましたとき、わたしは砂の上に寝かされていた。目に入ったのは青い空と泣きそうな重くんたちの顔、そして珍しく焦った顔をした舳丸くん。眩しさに眉を寄せながらも目を開くと、わっと重くんたちが覆いかぶさってきた。
「ひなたー!!」
「げほっ、げほげほっ」
「ひなたさんしなないでー!」
「ぐふっ…だ、だいじょうぶ、いきてる…」
激しく咳き込みながら体を起こす、さっと支えてくれるのは舳丸くん、ありがとう。飲んでしまった海水を吐き出すとようやく一心地ついて、だんだん意識もはっきりしてきた。
「わたし…」
「溺れたんです」
「あ、そうだ…」
「みよにぃがひっぱりあげてくれたのぉ」
「しんじゃうかとおもったあああ」
わーっと泣き出すちっちゃい子達、あららら、無用な心配をかけてしまった。
「いわばでふらふらしてたらあぶないんだぞ!」
「じょうしきだぞー!」
「ご、ごめんなさい…」
幼児に怒られてしまった。情けないがごもっともである。ウミウシに驚いたのもあるけど全面的にわたしが悪いんだから素直に反省しよう。
「舳丸くんが助けてくれたの?」
「はい」
「ありがとうございます…」
いえ、大事なくてよかったです、って言ってくれたけど面目ないな、忠告されたばっかりだったのに。舳丸くん露骨に長いため息つくし。ひなたのばかー!とか怒ってくる重くんたちに謝りながら、とりあえず呑気に遊ぶ雰囲気でもなくなり館に帰ることに。いや本当に申し訳ない。
「おうおかえり…って日向さんその格好で泳いだんですか?」
「いやこれには深い事情が…」
出迎えてくれた鬼蜘蛛丸くんがわたしの格好を見て目を丸くする。ヌレオナゴ再びという感じか。かくかくしかじか、事情を話すと鬼蜘蛛丸くんはすぐに手ぬぐいを持ってきてくれた。
「岩場は滑りやすいですからね。転んで怪我なんかしないように気をつけてくださいよ」
「はい、すみませんでした」
また年下に注意されてしまった、情けない…。
夕餉の席ではすっかりわたしが海に落ちて溺れたという話が知れ渡っていて、多方面からからかわれた。ぐうの音も出ませんでした。一通りからかわれた後もお酒が入って上機嫌の義丸くんがその話題でわたしを笑っている。水軍の人からしたら海に落ちてあまつさえ溺れるなんて本当に笑い話なんだろう。
「舳丸に助けられたんだよね?」
「そうだよー」
義丸くんがにやにやしながら舳丸くんを小突く。ちょっと、どんな感触だった?じゃないよ。聞こえてるからね。舳丸くんも引っ張りあげるときは意識がなかったので重かったですとか言わないで、泣くから。
「意識なかった?じゃあなんだ、日向さんに人工呼吸したのか?」
「あの場合は仕方ないでしょう」
「ははは、だよな〜さすがにそんなベタな…ん?」
エッ…今なんと?
酔っ払って肩に手を回してくる義丸くんを面倒臭そうに払いのけながら舳丸くんが答える。一方のわたしも義丸くんもびっくり仰天、わたしは箸でつまんでいた魚をお皿に落として、義丸くんも持っていた盃を零しかけた。
「はっ!?ほんとかよ!?」
「日向さん呼吸してなかったので」
「エッ…まじですか」
その事実もびっくりだ、わたし本当に死にかけてたのか。
「人命第一ですから」
「それは…そうだね…」
す、ストイックだな…。こんな年上の女の人と人工呼吸とはいえキスしちゃうなんて、舳丸くん嫌じゃなかったのかな、いや敏感なお年頃だし、嫌だったろう。改めて申し訳ない。
「ずりぃ〜おれも日向さんとちゅーしたい!」
「兄貴、不謹慎ですよ」
「おめぇばっかりずるいだろ!日向さん今度はおれと海いこうよー」
そして義丸くんは安定の反応である。それはつまりまた私に溺れろってことですか。
「おれという海に溺れてくれてもいいんだけどね」
ここぞとばかりにキメ顔で迫ってくる義丸くんを受け流しつつ、ひっそりとため息をついた。わたし情けないなほんと…。
「で、舳丸はどうだったんだよ」
「どう、とは」
「日向さんの唇の感触!」
おい、さっきからなにきいてんだ。わたしも舳丸くんも露骨に顔をしかめるものの、義丸くん相当酔ってるのか全く気にせず続ける。
「そういやお前女子と口吸いするのも初めてか?」
「……………兄貴に関係ないでしょう」
「なんだよ隠すなんてみずくせぇな!」
「たとえ初めてだとしても、人工呼吸で感触がどうのなんて不謹慎すぎませんか」
「お前だって男だろ?不謹慎でもなんでも女子に口吸いしてその感想がねぇってことはねぇだろ」
もうやめてくれ、たのむ。いたたまれなさすぎる。
「ね〜日向さんも覚えてないの?」
「いやわたし気絶してたし…」
「舳丸どう?すごかった?」
人工呼吸がすごいってなんなんだ、めっちゃ肺活量があるとかそういうこと?
そこでふと思い出した。そういえばあの時、唇に何か柔らかいものが触れたような…?無意識に唇に指をあてる。ふと見つめた先でなぜか舳丸くんも口元に手を当てていて、たまたまバッチリ目があって、舳丸くんがさっと目をそらした。あまりにも勢いよくそらされたものだから地味に傷つく。そ、そんなに嫌だったのか…。
その後もやんややんや騒ぐ義丸くんをいなしつつご飯を食べていると、ふと舳丸くんの口元に米粒がついているのに気づいた。肩を叩いて唇を指差すと舳丸くん何故か目を見開く。しばらくわたしを凝視したのち、動揺しながらも口を開いた。
「な、んですか」
「ごはん、ついてるよ」
指摘に慌てて口元を拭った舳丸くん、なぜかこちらに背を向ける形でご飯を食べ始めた。あれ、と思って顔を覗き込もうとしても逸らされる。…え、なに、わたしなにかまずいことした?きょとんとしていると様子を見ていた義丸くんが笑いながら舳丸くんの背を叩く。
「舳丸〜お前いま日向さんの口に見惚れてたろ」
「は?馬鹿言わないでください」
「またまたァ、ドキッとしたくせに」
その言葉に舳丸くんはぎろっと人を殺せそうな目つきで義丸くんを睨む。声をかけようとするものの、そのまま膳を持って行ってしまった。義丸くんは「こわいこわい」と手を上げて降参ポーズをとるけど全く反省しているようには見えない。
「はっはっは、ありゃあ図星だな。日向さんやるねーあの舳丸を翻弄するなんて」
「いやわたしなにも…揶揄ってるのは義丸くんだよね」
「可愛い弟分の成長が嬉しいんだよ」
感慨深いねぇなんていいながら義丸くんはさらにお酒を煽る。舳丸くんからしたらいい迷惑だろうに。いやでも発端はわたしだし、そこは反省しないと。
「ねっ日向さん今度は俺と行こうね!」
わかったわかったと軽くいなしながらご飯を食べる。あとでちゃんと舳丸くんに謝っておこう。
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